或る吟遊詩人の友情と旅 タリカーン


第一章        一.

 あけぼのの空に浮かぶ月
 もうおいでよ 森の奥 
 宵のなごりの果てない暗闇
 どこかで誰かが呼んでいる
 さあ、おいで さあ、おいで
                       ――――詩人の謡うわらべ歌




「――誰もがここに来て涙を流す。そう言われているんだ」

 朝靄の白の中に、町の全てが埋まっている。
 そのかすんだ靄(もや)の向こうを透かして見ることは難しい。やっと夜が明けようかという頃で、辺りは静けさに浸っている。
「理由は町の中心、つまりここにある。…この湖が銀のおわんでできたように丸く、水面にたたえられたさざ波の静謐な光は、例えようもなく素晴らしく美しいのだから」
 靄の中で二つの人影が佇んで会話している。一つが手を大きく広げる素振りをみせた。
「――と、いっても、今朝のこの靄では、全てが漠然としていて君の目に映ることはないのが残念だ。この町に来たのだから、ぜひとも帰るまでには湖を見物していって欲しいね」
「……あの子は」
 もう一つの影が揺れる。頭をもたげたのだろうか。
「…あの子は、どうにもなりませんか。あなたのお力を貸していただくわけには……お願いです、お礼は必ずします。どうか、お願いです」
 その影は激しい身振りで直立している影に迫る。
「残念ながら、私はあなたたちに力を貸すことはできない。代わりに、あなたたちのために幸運を祈りましょう。さあ、あなたたちの歩む道の上に、幸いの星があるように」
 影は祈るように指を振る。
 もう一つの影は立ち尽くしたように止まった。
「どうしても…だめなのですか」
「私では力が及ばない。残念だ」
「なにか方法はないのですか…―こっそり、あなたの元にやることは……」
 影は頭を振るだけだった。
 そのうち、靄が濃くなる。白い靄が全てを覆い隠していく…――



「―――……」
 タリカーンはゆっくりと目を開いた。眩しい太陽の光が、窓越しに目に刺さる。眉をしかめて目をきつく閉じると、だんだんと頭が覚醒してゆくのが分かった。
 ベッドの上に起き上がり、しばらく床の上のホコリを見つめてぼんやり物思いにふけった。
 ……あの風景は、いつのことだったろうか。今となってははっきり思い出せない、あいまいな不確かな記憶。
 あの二人は今どうしているだろう。どこにどのように暮らしているのか。
 そしてふと気づく。自分の唇の間から、小さなメロディーがこぼれ出していることを。それは空気にのって宙に浮く。
「……ふふ」
 一人、壁に背を預けて笑う。
「魔術師だったらよかったのに。――…そしたら私、詠うようにまじないを唱えるのに」
 部屋の古い扉がきしみながら開いた。開いた隙間からひょっこり小さな顔が覗く。
「…詩人さん、起きた?ねぇ、一緒にミルコ草の芽を摘みに行こー」
「はーい」
 タリカーンはゆっくりと返事をして、それからくすくす笑った。
「何がおかしいの?あたし、先に外で待ってるから、早く来てね」
「はいはい、せっかちさんだね、ナタリーちゃん」
 タリカーンはそう答えてベッドから降り、壁に立てかけた楽器を見た。


 タリカーンは詩人だった。
 町から町へと旅をして、歌を歌いながら放浪し続ける吟遊詩人。古代の英雄の伝説から、妖精の秘密の話、最近起こった戦争の情報まで、幅広く話のネタにする。
 この二日間はこの小さな宿屋に留まっていた。時々食卓で旅人たちに歌を披露しては日銭を稼いでいたが、そろそろ次の町へ向けて出発せねばならないだろう。
 タリカーンは手早く身支度をすますと、トロポンと呼ばれる長年愛用している楽器を手に取った。
 トロポンは瓜によく似た形のカヌーブという実を半分に割り、上に細長い板をつけ、その上端から4本の弦を張ったものだ。真ん中よりやや下には抉ったような空洞があった。ここで音が響く仕組みだ。
「…さて、いくか相棒。ナタリーちゃんがお待ちかねだ」
 トロポンを軽く叩くと、扉に足を向けた。
 ナタリーはこの宿を営んでいる夫妻の一人娘で、見たところまだ5、6歳の遊び盛りの子供らしかった。タリカーンは滞在中にこの娘と仲良くなっていた。

 タリカーンは小川を越えた先にある丘までナタリーと一緒に草を摘みに出かけた。
 丘には春らしい水気をはらんだ若い緑が萌え、日の光を受けて鮮やかに揺れていた。かぐわしい草と土の匂いまでどこか新鮮なものに思える。ナタリーははだしで勢いよく駆け出し、丘のてっぺんに陣取った。
「いちばーん!ナタリー、一番とった!」
「そうだね」
 タリカーンは肩にかけたトロポンの皮をずらしながら、ゆっくり斜面を登る。遠くの丘には羊の白い点がかたまっていた。なんとはなしに目を向けて眺めていると、ナタリーのせかす声が降ってきた。
「早く、早く!芽をたくさん摘んで帰るってお母さんと約束したんだから」
「私だっていっしょうけんめい登ってるんだよ」
 頂上は爽快な青空を頂いている。登りきったタリカーンは、
「――さて、」
 と、腰を下ろしてあぐらをかいた。
「どれ、一曲やってから始めましょう」
「じゃあ、“テイオコイの晩夏”がいいわ」ナタリーが注文した。
 タリカーンは片眉を上げて彼女を見た。
「ナタリーは大人びてらっしゃるようだね。君にはまだ早いよ」
「昨日の夜、みんなに聞かせていたじゃないの」
 ナタリーのいうみんな、とは、昨晩タリカーンが宿で歌を披露した旅人たちだ。
 あの時間にまだ起きていたのか、とタリカーンは半分呆れて肩をすくめた。
「分かったよ。――私が子どもの頃は、この歌はつまらなく思えたものだけどね。今の子供は違うのかい」
 まずタリカーンの細い指先が弦を爪弾き、吟じるためにトロポンをゆすって構えなおした。指がそっと弦に触れると―…
 緑の丘に、音が流れ始めた。


  ミルクの川、蜂蜜の池
  黄金の帳(とばり)はなべて天を覆う ああ、木漏れ日の歌い小鳥の踊る
  ここはテイオコイの園 地上の楽園
  獅子のごとく勇猛な男 彼の名はオリタス
  花のように可憐な娘  彼女の名はパルムーゼ

  園の要たる女神イツキスは息子オリタスに告げる
  
  "昨夜見し夢のいかなることぞ
   太陽のように輝きし息子、我らがオリタス 不死の汝が生は永遠ではないのか"
  
  太陽のように輝きし男オリタスは その母イツキスに乞うた

  "賢き母上 あなたの見た夢とはいかなるものか
   私の耳にお告げください"

  "私は1輪のバラを持ちて立っている
   薄青き霧含む風が私を包む
   私はスミトリュースの広場で佇む
   周りの群集はざわめき出すのだ、かきわけてくる一人の男によって
   木こりのようなる男、手には斧を持ち、その長靴は擦り切れたまま
   持ちたる斧をもてして私の胴を裂き
   私の孕んでいた汝が体が飛び出し
   汝は私の足元で横たわる"

  "賢き母上 私はスミトリュースの広場で死ぬのですね"
  
  勇猛にして果敢なる男オリタスは叫ぶ

  "その青い霧をもたらす風なるものは
   ゼイナポス山から吹きつける春の嵐に違いありませぬ
   私が行ってかの山を高くし 吹きつける風を防ぎましょう"
  
  勇猛な男オリタスはその夜、宴で男たちを集めて言った

  "賢き主、園を慈しむ者、我らがイツキスは言われた
   薄青き霧をもたらす風が彼女に害を与え
   その因によって私は死ぬだろうと"
  

   男たちは口々に答えた
  "青い霧をもたらす風 それは雄々しきゼイナポスから吹きつける風に違いありませぬ"

  獅子のごとく勇敢な男オリタスとその男たちは 花の蜜からなる酒ゼリッパを飲み干し、
  三日と三晩馬を走らせてゼイナポスの山へ辿りついた

  ゼイナポスの山に集う乙女らが彼らを出迎えた

  "テイオコイの最も勇ましき勇士どの あなた方はいかなる時も我らが祝福を受け取るでしょう"

  乙女らはオリタスとその男らに祝福を授けた
  太陽のごとく輝きしテイオコイの男 オリタスは乙女らにたずねた

  "ミツレムの蝶のように華やかなあなた方は、
  ゼイナポスがもたらす風がどこから来るものか知っているか"

  蝶のように舞う乙女が答えた

  "我らが長 アモーネが知るところにあります"

  乙女らが袖を束ねし者 豊かな髪をもつ人アモーネが告げる
 
  "汝がゼイナポスの影のあるところ その場所のみを登ってゆけば
  暗き穴が前にゆくことができるであろう"

  "日のあたるところを登ってはいけないのか"

  テイオコイのもっとも勇敢な男オリタスがたずねた

  "影を伝わねばならぬ 汝に許されしはそれのみと知れば
   畏き我らがゆりかご、ゼイナポスは 汝を拒むことはせぬ"

  豊かな髪をもつ女 アモーネはオリタスとその男たちに銀のつるを与え、送り出した
  銀のつる 芽のとがり葉のからまる細きつる
  いずれの時生まれしか 富む世最も麗しき草――…


「ねえ、つまらないわ」
 自分で注文したはずなのに、ナタリーが早くも飽き始めた。
 タリカーンは弦を押さえて手を止め、にっこりと微笑んだ。
「だから退屈な話だって言ったろう?」
「昨日はもっと面白いとこをやっていたじゃないの。ほら、お姫さまが出てくるとこ」
 タリカーンは真顔になって聞き返した。
「お姫さま?パルムーゼのことかい?あいにくパルムーゼはお姫さまではなく豪族の娘だよ。美人ではあるけどね」
「それよ。そこが聞きたいわ」
 ナタリーは草の上に座りなおし、かしこまって膝の上に手を握り締めて顔を上げた。いつでもこいという姿勢だ。タリカーンは苦笑して、分かりました私のお姫様、と言って再び爪弾きだした。


  "私の半身はもう滅びました それでもあなたが愛しいのです
   美しいパルムーゼ"

   英雄オリタスは百合のように白い娘 パルムーゼに告げる

  "最も勇ましく最も聡明なる人 我らがオリタス
   あなたのなくなった右肩が私に寄り添うことはもうなく
   あなたの今はない右手が私の手をとることはもうないでしょう"
  
   いかな花よりも可憐なる娘 パルムーゼは答える

  "たとい半身のみであろうとも、あなたを守りとおすと誓いましょう 私の輝くパルムーゼ"

  "ではスミナイの川を上り 私のためにヨッコイの一族を滅ぼしてください"

   鳥のように美しくさえずる娘パルムーゼはスミナイに船を浮かべ
   テイオコイの英雄オリタスが梶をとる
   
   獅子のごとく勇ましい男オリタスはヨッコイの治むる地イズバンダルに足跡をつけ
   パルムーゼが彼の背に従う
  

   ヨッコイの長 ウィキンが彼らの歩く道の上に立っていた
   ウィキンは槍ギョッルを掲げて天を突き、地を揺らした

   "我らが宿敵、アゾフ族のヨドンの子パルムーゼが来た
    汝がこの道を通るならば汝の魂は地へ下る"

   ヨドンの子パルムーゼは答えていった

   "ミリオルがつくろう葦の服のような宝が汝にあるならば、汝は救われる"

   獅子のごとく勇ましきオリタス 狼ソルゲイトの宿りし剣トーヴァを振るう
   トーヴァのきらめくこと その一閃に火花ちり 雪の降るかのごとく舞う
   ヨッコイ族の長ウィキンは槍ギョッルでオリタスの膝を突き
   片足のみの英雄オリタスの体は傾いた
   その体が地に伏した時 大地大いに揺れ 
   かのスミナイの川が源たる泉エレゲナム
   尽きることなかりしその水は
   ヒバイ山を下ち海へ流れ込んだ
   このためエレゲナムは永遠に枯れた

   パルムーゼが笛を吹くと
   サモイネの花粉が辺りに満ち満ち 地は黄に染むる
   ウィキンが槍ギョッルを落としたので
   藪に潜んでいたへびの尾を切り へびは藪から飛び出した
   ウィキンはへびによって首を噛まれその声と力を失った
   この世で最も勇猛な男オリタスは立ち上がりウィキンの胸を突いた

   女神よりも気高く勇ましく立つ娘 パルムーゼが叫んだ

   "獅子のごとく勇ましき英雄、我らがオリタスがヨッコイ族の長ウィキンを討ち取ったる
    これよりイズバンダルは勇猛なる人オリタスによってその生ある限り治められるであろう"

   その叫びを聞いたヨッコイの人らはみな後退し
   ついにはモルグの地に辿り着く

   その時、パルムーゼが飛ばししサモイネの花粉はオケイナの森へ
   オケイナの森に咲くサモイネと実を結び
   開いた花の内よりオリタスの失われし体が出でて
   スミナイの流れを遡り オリタスの元へと還った

  "私の体を取り戻す人 私を完全なものにしたる人パルムーゼ
   私はあなたのためにヨッコイの長、轟く者ウィキンを討ち取った
   あなたは何を私に与えるのだろうか"

   オリタスは戻った右腕をもてして川の波のように波打つ髪もつ娘パルムーゼを抱く
   星よりも明るく輝く瞳 パルムーゼの金の目はオリタスを照らす

  "勇ましき英雄オリタス 私はあなたの妻です"

   オリタスは弟メイバスケスに命じトムトルンの丘に城を築く
   メイバスケスは金の鬣垂らす馬ヨッケに岩を引かせ トムトルンの城を築く
   かの城 名はメヴァンデアーグ 
   その庭にはイツキスの植えし不朽の樹オグワあり
   衰えを知らぬ花咲き誇り
   葡萄酒の湧く泉かこいたる
  
   メヴァンデアーグには世の勇士集い
   かの人、真珠のように白く輝く肌の人パルムーゼを訪れる


「……でも、パルムーゼの幸せは永遠には続かないのよね」
「そのとおりだよ」
 ナタリーのため息に、タリカーンの手が止まる。丘を流れていった歌は、今の今までこの草原に英雄たちの生きるかつての世界を再現していた。
 タリカーンがふと眉根をしかめてナタリーに聞いた。「……ところで、まだ続きを聞くつもり?」
「いけないの?」
「君のお母さんに仰せつかった仕事が、まだ始まっていないんだけどね。そろそろ始めとしようじゃないか」
「ええ?あたしは最後まで聞きたいの」
 駄々をこねるようなナタリーの声に、
「最後まで!?冗談じゃないよ」タリカーンの悲鳴がかぶさる。「これ全部で八章あるんだよ。一章と三章は今かいつまんで歌ってあげたでしょう、勘弁してよ。これ、一日じゃあとてもじゃないけど歌いきれないんだから」
「あたし、最初と最後と…あと有名なとこは全部知ってるわ。けどちゃんと通して聞いたことないの」
 ナタリーは不満そうな顔をしている。
 タリカーンは首を振った。
「正直、テイオコイの晩夏は二章と三章が一番面白くて、後はおまけみたいなもんだよ。最後はナタリーちゃんも知ってるように、悲しい終わり方だし。さあ、やめたやめた。残りはお代を頂戴してから、ね。さあ、萌え出たばかりのかわいそうなミルコ草の芽を探して摘むんだ」
 二人は立ち上がって服についた草を払った。気がつけば空気がぬくんでいるような気がする。早朝のまだ寒々しかった気配はうせ、大気が温まった土のぬくもりを受けてどんどん温かくなってきているのだ。
 しばらくののち、ナタリーは前掛けいっぱいに摘んだばかりのミルコ草の芽を抱え、顔中に広がる笑みで嬉しそうにタリカーンを見上げていた。丘を下るその後ろ姿はとても可愛らしく、タリカーンは今がたまらなく幸福な時であると感じた。
 タリカーンは離れたところにある村の家々に目をやろうとして、ぎくりとした。不審な男が丘のすそに立っている。
 うつむき加減の顔を隠している髪は暗い赤色で、とても特徴的だ。どこか遠くから来た人間なのかもしれない、初めて見る独特な装身具を胸に下げている。しかし服装はこの辺の旅人とも変わらない一般的なもので、髪さえ隠していれば違和感はなかったかもしれない。
 その男が顔を上げた。鋭いが、暗い目つきだ。タリカーンは物怖じせず見返した。男が何者にせよ、たじろいではあなどられるおそれがある。
 赤髪の男は腕を上げ、鼻をこすった。しかし目つきはじっと丘を下ってくる二人に固定されたまま、微動だにしない。体格のいい男に堂々と立ちはだかられているとさすがに不安になってくる。
 タリカーンは自分の不安を隠すためにナタリーの手をとった。「…ナタリーちゃん、怖くないからね。私と一緒に歩いていたら大丈夫だよ」
「えっ?なあに?」
 振り向いたナタリーの天真爛漫な顔を見て、やっとタリカーンは気がついた。
 すぐに目を下に戻す。
 男はいなかった。
(…なんだ……。――気がつかないとは、うっかりしていたものだ。最近見ていなかったからな)
 とりあえず安心して、胸の内でほっと息をついた。
「…ううん、なんでもないよ。――ミルコ草、いっぱい取れたよねえ」
「うん!これすりつぶして薬にしたら、旅人さんにも分けてあげるね!」
 タリカーンは微笑みで返した。ミルコ草はすりつぶして粉状にさせる前に、二日は乾燥させねばならない。その前に自分はここを発っているだろう。そろそろこの町を出る頃だ。


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