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 ウラム語とは、事実上この大陸と東の大陸、それからその近くの島々で通用する標準語のような言語だ。
 昔、大陸は北西の隅の小国から、一人の傑物がきら星のごとく現れて瞬く間に大帝国を築きあげ、この大陸をまたがる領土を支配した時代があった。
 その大王の名をアロモスネスタス・ハリョといい、彼はあちこちに自分の名にちなんだ都市を建設し、統治した。彼らウラム人が使用した言語は上流階級の人間たちの間で広く使われるようになり、短期間のうちに大陸全体に流布した。その治世およそ百年。
 大帝国があっけなく消滅した今も、ウラム語はなおこの大陸で使われている。王族など上流階級の人間たちは国を越えてやり取りすることも珍しくないので、この標準語があっという間に伝わったのだ。
 旅人ならば、大抵ウラム語と母国語、両方を喋ることができる。
 噂では東の大陸でもこの言語が残っているらしいが、タリカーンはそれが本当かどうか知らない。
 しかし、とうのウラム人たちは、今では別に発展した言語を使っているので、古アラム語を聞いても分からないという奇妙なことになっている。
 現在内戦状態のウラム人たちの国で使っているのは、今ウラム語といって、古ウラム語を使う人間には分からない言葉だ。

 もちろん、地方によってなまりやアクセントなどかなり特徴が出る。
 南に行くと抑揚をつけて話すし、北はせっかちに強い調子で話すことが多い。
 それらのどの特徴にもあてはまらないきれいなウラム語といったら、身分の高い人間が大勢いる都市の出身者が話すものだ。都市の人間はきれいなウラム語を話す。というより、都市の人間が話すウラム語がきれいな標準語だと思われていた。


 そのため、タリカーンは少年が大陸の中央の出身かと思ったのだ。中央には大きな都市が多い。
「そんなこと聞いてどうするんだ?」と、少年が問うた。
 やはり完璧なウラム語だ。
 タリカーンは、彼はもしかしたら昔アロモスネスタスの直轄地だった八星の出身ではないか、と疑った。
 ウラム人が直接支配した八つの都市は八星と呼ばれている。
 八星の人間は、昔ながらのきれいなウラム語を話す。それか、意外と田舎の方かもしれない。実は田舎の方が昔の文化が残りやすいのだ。
 タリカーンは田舎で歌を歌うたび、古い伝承歌の昔の歌詞を教えられて驚くことがある。時代の流れに歌詞の変わってしまった歌も、田舎ではずっと昔からそのまま歌い続けていることが少なくない。
「クェマリルさんは、ひょっとして田舎の奥の方から出てきたんじゃないの?」
 少年は不機嫌な顔になった。「なんだそれは。僕を馬鹿にしているのか。言っとくが、あんたの方がよっぽど田舎者らしいぞ」
 そう返されてはぐうの音も出ない。
 前を歩いていた召使いが足を止め、二人に側の扉を手で示した。
「こちらがエイター様の執務室です。くれぐれも失礼なことをなさらないよう」その目は主にタリカーンを見つめている。
 そんなに田舎者に見えるだろうか、と気持ちの沈むタリカーンはおそるおそるたずねた。
「あの、ところでエイターさまは何をやってらっしゃるお方なんですか」
 それを聞いて召使いの表情がさらに固まった。彼は蔑むような視線を二人に向けた。
「……あなたは何をしにいらっしゃったのですか。――エイターさまは市長でいらっしゃいますから、あのお方の前ではくれぐれもそういうぶしつけな質問は控えていただきたい。よろしいですか」
 エイターが市長!この街で一番偉い人間ではなかろうか。
 タリカーンは驚いて横の少年のフードを引っ張った。
 少年も動揺しているような顔だった。「……村長の叔父なんだから、その上の職業――市長であってもおかしくない。世の中うまくできている」
「ええ!?そう?いや、クェマリルさん言ってることがよく分からないよ!」
 扉の前の騒がしさが伝わったのか、向こう側から声が響いた。
「入れ」
 いかにも威厳のある声だ。
 タリカーンは青くなりながら足を踏み出した。元のすました顔に戻った少年も続いた。


 堂々と部屋の奥に仁王立ちしている男、これがエイターだろう。
 その両脇にはいかにも屈強とした逞しい男がそれぞれ控えていた。市長代理と副市長…などではなくて、護衛のような存在だろう。
 しかし、とうのエイターは八十過ぎの老人と思われた。白いひげが厳しい顔にいかめしさを出している。その顔に刻まれたしわの数は多く、深い。これで現役とは、敬服すべきものがある。
 少年が一歩すすんで丁重な礼をとった。エイターがうなずいてそれに返す。
「よく来た。甥のゴルダオから用をつかっているそうだが、何用か?」
 問われた少年が口を開いた。その顔つきはタリカーンに無理やり連れられて来たとは思えないつつましやかさで、この場にふさわしい礼節を備えていた。
「実は、私どもはユバ村で悪党に狙われたところを、ゴルダオ村長のご好意で一晩かくまっていただき、保護していただいたものです。ゴルダオ村長にはまったく感謝の言葉もありません。あなた様のことは、ゴルダオ村長から直接伺いました。この上厚かましいとは思いますが――…」
 少年が言いよどむ。自尊心の高そうな少年の性格からすると、無理もないだろう。本当に厚かましい頼みごとなのだ。
 代わってタリカーンが進み出た。
「ひとまず、先にゴルダオ村長さまから言づかった伝言をお伝えしたく思います。『不肖の甥はまだ元気で村長の日々。叔父上より先にはまからぬ心づもり。叔父上には達者で暮らされたく云々』。…持参しました、土産のイモでございます」
 何か意味があるのだろうか。
 タリカーンが護衛の男に渡すと、護衛からイモの入った袋を受け取ったエイターがにやりと含み笑いをした。
「あのガキはまだしぶとく生きておるようだな」
 護衛があきれたような顔で返されたイモの袋を受け取り、置く所もないので結局持ったまま立っていることになった。
「あれは、まだ洟っ垂れの時分によくわしの畑からイモを盗んで行ったものだ。棒で叩いて追い出したものだが…もしまたユバ村にゆくことがあったら、あいつに伝えとけ、『今さらかえしても遅い』、とな」
「…よく分かりました」
 タリカーンは市長が畑の番をしていたということよりも、あんなしわくちゃな顔をしていた村長にも若かりし頃があったという方がショックだった。時とは恐ろしいものだ。
「――で、お前たちはわしに頼みごとがあるようだな。言ってみろ。どんな無茶な要求でも、怒って叩き出したりなどはしない」
 タリカーンは唾を飲み込んでから言った。
「はい……いきなりこんなことを申すのも恐れ多いのですが、今晩わたくしの弟をこのお屋敷に泊めていただきたいのです。弟はつまらないけんかから悪党に狙われていて、宿では不安なものですから…」
 エイターが返事をしないので、タリカーンは伏せていた面を上げた。「あの、いかがでしょうか?」
「…そうだな、別にこちらとしては困ることはないし、急ぎでなければ客人をこの屋敷に泊めることもままある。お前たちが泊まるのは一向にかまわん。…うむ、では次長を呼べ。お客人の部屋の用意をしろ」市長は部屋の隅の召使いに向かって指示を出した。
 タリカーンはほっと息を吐き出した。「ありがとうございます。感謝いたします」
 少年は微妙な顔をしている。彼の自尊心はこういう頼みごとでさえ平静でいられないのだ。しかし守るべき礼節は守った。彼はかしこまった礼でエイターに感謝を表した。
「ありがとうございます、尊き市長さま」
「今晩はくつろがれるがよい」エイターは鷹揚にうなずいた。


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