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「…おい!姉ちゃん!吟遊詩人なのに美人じゃない姉ちゃん!一曲やってくれや!」
 口に酒の泡をつけたままのおやじががなりたてる。手にはさらに酒の入った杯を持って振り回していた。
 タリカーンはむっとしつつ、トロポンで不快な音を立てて答えた。
「あなたにお似合いなぐらいには美人のつもりですよ。――では、"虎のねどこ"を披露させていただきましょう」
 それを聞いた男たちがどっと笑い出した。がなっていたおやじも大声で笑いながらテーブルを飛び越え、機嫌よさそうに向こうへ行った。
 なぜか男たちの間では、旅の吟遊詩人といえば美人のイメージらしい。ほっそりとたおやかな指で弦をかき鳴らし、美しい声でそよぐように歌を紡ぐ姿が理想なのだろう。しかし、そんなかよわい美人がわざわざ吟遊詩人となって旅をしている例は、この広い世界でも極めて少ないはずだ。
 タリカーンは気を取り直して聴衆を見回した。
「ではお耳をしばしお貸し願います。……二百年の昔、ルドン王の時代へ首を巡らしましょう」
 飲んでいた水を置いたタリカーンは、椅子に腰掛けた姿勢を正した。指がゆっくりと動き出す。弦がほどよい反発で震え、音が宙に生まれる。彼女はこの瞬間が何よりも好きだった。
 喉が震える。これから、昔の人々の生の断片を掘り起こすのだ。


   風うなる空 針の林 足が血にまみれようとも
   山への道は 私が行こう


 曲が始まりだした途端、席をけって躍り上がった男があった。酒をあおり、「さあ、行くぞ!踊ろじゃないか!」と、叫びながら踊り出す。周りにいた男たちが笑って彼を囲むように席を移動した。タリカーンは最初の台詞を歌い上げた。


   "敵は誰だ" 
   "北の蛮族 西の海賊 それとも…"
   "いや違う そのようなもの" 
   "それはどこにいる"
   "山の中 森の向こう"
   "なんだおいらの母ちゃんじゃないのか"


 男たちが笑う。「いいや!一番恐ろしいのは母ちゃんだね!」「違いねえさ!」


   "よく聞け馬鹿どもあほうども"
   "はい、頭領"
   "我らの国を荒らすのは、人でもなければ亡霊でもない"
   "それは一体なんなのか"
   "森の獣恐ろしき猛獣 それは虎"
   "ああ、虎!"


 タリカーンは一瞬声を止め、にやりと笑う。二者を歌い分けるこの曲は忙しい。もう一人歌い手がいれば話は違うのだが。いつも歌い終わった後は息が苦しくなっているので、息継ぎには注意せねばならない。
 タリカーンはトロポンを激しくかき鳴らし、高鳴ってゆく曲の先行きを引き出す。心臓が早打ちし出しそうな盛り上がりが始まる。荒々しい頭領の声が彼女の口をついて出る。



   "おお!虎 飽かずに人を襲う野蛮な獣 一体やつはいつからあの山に棲みついたのか"
   "おいらの兄者は おいらの嫁は みーんなあいつに喰われていった!"
   "ああ、虎!一体お前はいつ腹いっぱいになるのか"
   "おいらの子ども おいらのおっかあ みーんな残らず腹におさまってからだ!"


 怒ったようなトロポンの音が宿に響き渡る。隅の方で酔いが回った男がこけて気を失い、ちょっと騒がしくなっていたが、タリカーンは無視した。誰かが下劣なことを言ってみんなを大爆笑させているが、それも目に入れない。タリカーンはトロポンを速く弾きすぎていることに焦り、少しスピードを抑えて次の会話を始めた。


   "斬らねばならぬ!"
   "そうだ!!"
   "斬らねばならぬ、あの虎を!"
   "そうだ!!"
   "私の剣で!真っ二つに!"
   "おいらたちみんなで、八つ裂きに!"


  誰かが口笛を吹き、怒鳴る。「いいや、みじん切りだ!」
  また笑いが巻き起こった。タリカーンも思わず笑ってしまってから、あわててタイミングの遅れた頭領の台詞を歌った。


    "困難なのは やつのねどこ 忍び込めたなら あら幸運"
    "それは山の中 険しい谷さ"
    "だけども私の女房は"
    "けれどもおいらたちの坊やさえ"
    "みんなあいつのねどこの中"
    "可哀想に、連れ帰ろう"


  少し低い音色がからまって流れ出す。本来山賊であったはずの男どもが、家族を亡くした復讐に決死の覚悟で山の険しい場所へわけ入る。岩の転がる険しい山は危険だ。男たちは急な斜面にある獣道を歩き、傷ついたり虎の影におびえたりしながらも前に進んで行く。
 山賊たちは元々山を拠点に暮らしていた。戦争で家や畑を失った者が多く、山賊に身をやつした者が多かった。それまで彼らは、山の近くを通る旅人や商人を狙って略奪を繰り返し、生活していた。彼らは王や領主の支配を受けなくてもやっていけるつもりでいた。しかし、いつの間にか山に棲みついた虎が彼らを襲うようになり、庇護してくれる者がいない彼らは、自分たちで虎を狩ることに決めたのだ。
 物語が進行していく。宿の客たちは時々演奏に耳を傾け、時に山賊たちを応援し、時になじりながら飲み続けた。

 ついに山賊の頭領が虎の寝床に辿り着く場面になった。山賊たちは近くに罠を仕掛けるため、その横穴におっかなびっくり近づく。


    "お気をつけて、ああ頭領 虎ってやつはすばしっこくて"
    "成る程私らの手には負えぬ だからこうして罠を張り"
    "捕まえるって寸法でさぁ…… ああ!頭領!"


 タリカーンは、トロポンを強く弾く。ついで一瞬のかき乱すような音。


     "穴から何かが出てきやがる!ちくしょう、おいらたちの頭領に…!"
    
     穴の縁にのぞいた影 黄色い毛並みが彼らを驚かす


  朗々とした説明を述べた後、タリカーンの声は一転して太いものへ変わる。


      "剣をしまえ!お前たち こいつはちいさな虎じゃないか!"
      "ああ、小さい虎の赤ん坊だ!!"


  壁際の飲んだくれが、「虎にも赤ん坊っているのか?」と首をかしげている。「そりゃあ、いるに決まっているさ」と、横にいた男が答えていた。


      "これは不思議だ信じられぬ"
      "あんなに凶暴悪辣な"
      "私たちを苦しめる虎でさえ"
      "小さければ可愛らしい"

     驚きに満ちた虎のねどこ その時彼らの背後から 音なく忍ぶは一つの影
     彼らがうなるその後ろ 躍り上がった白い牙 たちまち濡れる乾いた大地

       "頭領!頭領!助けてください!"
       "離れろ虎め! 死ぬがいい!"


 混乱した旋律が踊る。激した頭領の言葉を叫びながらも、タリカーンは冷静に指を運んでトロポンを歌わせた。
 恐慌をきたした山賊の男たちは逃げ惑い、崖から落ちてしまう。怒り狂った頭領は我を忘れて虎に飛びかかり、その体に刃を突き立てる。
 深手を負った虎は、山頂へと逃げる。同じく虎の爪によって横腹をえぐられた頭領も、よろめきながらその後を追う。
 タリカーンのトロポンは、急に弱々しく奏でられ、今にも消え入りそうな独白がそれにかぶさる。

       "ああ、あいつをもっと大事にしてやるんだったのに…"

      大地には転々と、赤い足跡つけられる
      風吹きすさぶ山道に 眩しい雲が飛んでゆく

       "きれいな服を着せてやり 肉のたくさん入ったシチューを食べさせて
        そしたらお腹の中の子も すくすく育ってくれたやも"

      彼の体は今にも倒れ 地を永遠の寝床にせんばかり
      しかして彼の魂は もはや頂きしか見えはせぬ

 
 タリカーンは胸を張り、トロポンをしっかと抱えなおした。山場だ。


      "風うなる空 針の林 足が汚れても
       山への道は 私が行こう"


 高らかに歌った後で、タリカーンの顔が一瞬固まった。――しまった。歌詞を間違えてしまった。
 最初に歌ったとおり、"足が血にまみれようとも"と歌わねばならなかったのだが……まあいい、誰も気がついていない。意味は一緒なのだから、このまま歌いきるしかない。ちょっとリズムがそこだけずれてしまったが。詩人として、演奏をとぎれさせ場を白けさせるようなことがあってはならない。
 そのままタリカーンは、一気に頭領の最期まで歌いきった。山賊の頭領は人々に嫌われる存在である虎と山賊の自分とを重ね、自嘲しながらも虎を殺す。山頂の岩は両者の血にまみれ、最も見晴らしのよいそこで頭領は一人寂しく最期を迎える。ただ吹きすさぶ風が彼の遺骸を冷たくするのみである。


「おい!ねえちゃん!今度はもっと調子いいのやってくれや!辛気くさくてかなわねえ!」
 さっきの男が再びがなり出した。
 タリカーンはトロポンを抱えたまま硬直した。この後一匹とり残された虎の子が、日のあたるところで何も知らず無邪気に踊りまわるところを弾いて終わりだ。あとちょっとなのに、今やめろというのか。
 まさか主人公的人物の頭領が死んだので、曲が終わったと勘違いしてんじゃなかろうか。
(まだ弾いてるだろ、この野郎…)
 タリカーンは気を取り直して咳払いをし、男に顔を向けた。
「――…ご注文は?」
「"聖歌王とフィルケチャ"!だよ!」
 ああ、あの下品な話か、と思いながらもタリカーンは承知して演奏を始めた。
 別に話自体は下品ではないのだが、物語に出てくる女たちが誰もかれも頭の中がお花畑なんじゃなかろうか、というくらいおめでたい性格ばかりなので好きにはなれなかった。そのかわりこれに登場する男たちはかっこいいやつばかりだ。
 それから、二、三曲歌った頃には、宿の客や地元の男たちはいい感じに出来上がり、だんだん騒がしさも下火に向かいつつあった。自分の部屋に戻る客がちらほらいる。
 ここら辺で明るい曲をパッと一つやって最後に盛り上げてから、大人しめの曲で段々収束していくのがいいかもしれない、とタリカーンは考えた。机につっぷしたり床に寝っころがっている人間がゴロゴロしている時に締めの曲をやっても盛り上がらないのだ。まだ客の数が多いうちに、ここらで華々しく飾れる曲を弾いておきたい。
 タリカーンが頭の中で次にやる曲の候補を考えて吟味していた時だった。


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