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 ようやく朝食を運んで来た他の面々を見て、エッサはほっとした顔になった。
「さあ、朝食を食べるか。ずいぶん長かったな。――コエンテさん、朝食ですよ」
 よっぽど嬉しかったのか、彼はコエンテに向かってにこやかな笑顔を振りまいた。
「いちいち言わんでも分かる。俺をなんだと思ってるんだ。…エッサ、お前ときたら昔はびくびくして大人しかったくせに、最近やたらずうずうしくなりおって。大体俺がお前を――…」
「ええ!知ってます、知ってます。コエンテさんの苦労は、誰よりも俺がよく分かってますよ」
 エッサはすっとんきょうな声で飛び上がった。
 目で必死に、早く朝食を運びこめと他の面々に合図を送る。「いいから朝飯を食べましょうよ。俺もう腹が空いて……」
「みっともないな。おい、この家の主人が寝られたままじゃないか。なんとも度量のでかいじいさんだ。俺が来ても全然目を覚まさないとは。おい、カナトル、ご主人を起こして差し上げろ」
「言われなくてもそうしますよ」
 嫌々返事したカナトルが寝ている老人を揺り動かし、大声で呼んだ。
「じいさーん!起きろ、朝だぞ!……もう一人来ちまったけど、勘弁してくれよ。俺のせいじゃないんだから」
「なんだその言い方は!お前に厄介者扱いされる覚えはない」コエンテが叱りつけた。
 その隙にエッサは喜々として立ち上がり、コエンテから離れた席へ移動した。少年の横を通ったので、ついでに彼に耳打ちする。
「おい、君、俺の代わりにあそこへ座れ」
「…なんで僕が」
 体を離そうとした少年を捕まえ、エッサは急いでつけ加えた。
「いいから行くんだ!…どうせコエンテさんは若い奴に説教したがるんだから、先手を打っておくんだ。…君、逃げたじゃないか。男が二度も逃げるのか?」
 自分が今から逃げようとしているくせに、と会話を耳に拾ったタリカーンは呆れ果てた。
 少年がついむっとして言い返した。「僕は逃げてないし、逃げない。それは侮辱と受け取るぞ」
「――だったら座れ!男なら行け!」
「なんだ、エッサ」
 振り返ったコエンテに慌ててかぶりを振り、エッサは逃げるように端の席に座った。
 コエンテが次に目を止めたのは、給仕をしているタリカーンだった。タリカーンは大人しい静かな女のふりをして彼から逃げようともくろんでいた。
「お前、吟遊詩人だそうだな」
 来た。タリカーンは落ち着いて返事をした。「はい、その通りです」
「そうか。後で俺に何か歌ってくれ。俺は音楽が大好きなんだ」
 予想を裏切ってにこにこ嬉しそうに笑い出したコエンテを見て、タリカーンはあっけに取られた。
 視界の隅で、カナトルとエッサがやめておけと手を振っているのにもかかわらず、タリカーンはつられて笑ってしまった。「はい、もちろん」
 目の覚めた老人が不思議そうに席につき、新しく増えた男を見つめた。それに気づいたコエンテが礼をする。
「私は、彼らの保護者であるコエンテです。ご主人、世話になります」
 老人はしばらく目を細くしていたが、思い出したように手を打った。
「どこかで聞いたことがあると思ったら、わしがまだ街に住んでいた頃じゃな、あいつじゃ。お前、悪がきのコエンテじゃ。親は掃除する仕事をしておるのに、息子のお前はいつも街を汚しておった。どうじゃな、そうじゃろ?」
「いかにも。よくご存じでいらっしゃる」
 コエンテが特に動じもせずに答えた。「私は母の仕事は継ぎませんでしたが、今では立派に生活しております。親孝行はついぞできませんでしたが、亡き母も地の底で安心していることでしょう」
「そうか」
 それきりコエンテに興味を失ったらしい老人は、自分の近くにカナトルが座っていないことに腹を立て始めた。「こら!お前はわしの横に座るんじゃ。目の届かないところで何をしているか分からんからな」
「分かったぜ、じいさん」
カナトルは大人しく老人の近くに座った。慣れているらしい。
 そのせいでタリカーンはコエンテの近くになってしまった。
 何故なら、ここでは長方形のテーブルの両端に座るのは上の人間だと決まっているからだ。
 両端はそれぞれコエンテと老人が座っている。そして、老人に近い席の二つはカナトルとエッサが取ってしまった。残った席は、コエンテに近い席だけだった。
 コロだけはエッサと少年に挟まれるようにして座っている。窮屈そうだ。
 なんで自分がコエンテの相手をしなくてはならないんだろう、とタリカーンはこの配置を恨みに思った。
 老人が長々とした感謝の言葉を森に捧げ始めた。老人にならって全員手を組み、森に感謝を捧げる。


 それが終わると長い食卓が幕を開けた。
 コエンテは何か気に入らないことがあるとテーブルを越えて叱咤した。配置は関係なかったようだ。
「――おい!カナトル、そのスプーンの持ち方はなんだ!スプーンは、ほら、俺のを見ろ、こうやって持つものだ」
「知ってるよ」
 辟易したカナトルは顔をそらした。それでも二度と注意されたくないがために、ちゃんと持ち方を変えた。
「…おい!エッサ、そこに肘をのせて食べるな。ご主人が狭そうに食事されておられるではないか!大体食卓に肘をのせるな。お前はまだ若いくせにたるんでいる!」
 エッサは慌ててテーブルから肘をどかし、行儀よく食べた。
「女!お前……女にしては、がっついて食べるな。それはそれでいいが、もうちょっと上品にした方が男うけがいいぞ」
 タリカーンは顔を赤らめた。
 何故自分だけこんな注意のされ方なんだ。でも、口ごたえしていらぬ反感を買いたくない。ぐっとこらえてお上品に答える。
「…はい、そうでしょうね。そうします」
 ところが、「聞いていた話と違うな」とコエンテは何故か首を左右に振った。
「ほら、俺はあれだ。ウィキンがガキの頃惚れていた女が居るというから、ちょっと楽しみにやって来たじゃないか。普通のやつではないか、つまらない」
 エッサがスープを吹き出した。飛び散ったスープのかかった老人が怒ったので謝り、それから彼は慌てて袖で口をぬぐいながら叫んだ。
「ちょ、ちょっと……!なんてこと言うんですか、コエンテさん!思わず吹き出しちゃったじゃないですか。第一それは誤解ですよ」口が引きつっている。
 タリカーンが睨みつけてやったが、それでも笑いがこらえられないらしく、口元を隠した。あれでどうやって食事を続けるつもりだろうか。
 話を聞いていたコロがびっくりした目でタリカーンを見つめた。
 見ろ!何も知らないコロが勘違いしてしまっているじゃないか!否定するならちゃんと否定しろ。
 後でエッサに仕返ししてやる決意を固め、それからタリカーンは遅れて気がついた。
 コロの隣の少年が笑っている。本人は気がついていないかもしれないが、その唇が吊り上って微笑んでいるのだ。
タリカーンは直視しないように気をつけて、ちらちらそれを盗み見た。誰も少年に注目していないせいか、とても自然な笑い方だった。タリカーンは得したような気持ちになって思い直した。
 ま、いいもんが見れたのだから、よしとするか。
 しかしコエンテは相変わらず黙っていられなかった。
「――で、エッサ。ウィキンはいつこいつと知り合ったんだ?俺に教えろ」
「だ、だから違うって…!げほっ、ごほ!喉に入った…コエンテさん、笑わせないでくださいよ!」
 腹を抱えて転げるエッサにお上品を忘れて殴りかかるところだった。タリカーンは腹に据えかねて眉をけいれんさせた。見てろよ。後で後悔させてやる。

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 エッサは悪びれもなく言い訳した。彼は後片づけを手伝っているところだった。
「え?ああ、悪かったよ……いや、コエンテさんにしては珍しく笑える冗談だったんだ」
「それ、言い訳になってないよね」
 エッサに向かって顔をしかめながら、タリカーンは少年のことを考えていた。
 少年はまだ食卓の席で一人で座っているだろう。
 タリカーンは彼が笑っているところをもう一度見たいと考えていた。多分、今は元の仏頂面に戻っているだろうな。

 コエンテの今の相手はカナトルとコロだった。カナトルが怒っているのか、隣の部屋から時々大声を上げているのが聞こえる。
「ウィキンの初恋の相手かあ……」エッサが思い出すように呟いた。「確か、洗濯女の綺麗なお姉さんだったな。タリカーン、君にも見せたかったよ。あいつそれは入れ込んでたんだぞ。十三歳のガキの頃だったがな」
「いやあ、さすが早熟……なんであなたが知ってるの?」
「みんな知ってたさ。あれ、どっちだっけ。タリカーンは居たっけ?まだ居なかったか?」
「私がみんなに出会ったのは、もっと後のことだよ。覚えてないの?」
 エッサは皿をきれいに拭き、乾かすために裏返して置いた。
 答えないのは、昔のことを忘れてしまっていたのをごまかすためか。タリカーンは昔の記憶を思い出したひょうしに、エッサに関するあることも思い出した。
 そういえば、コエンテに食事の後演奏を頼まれていたんだ。これはいい、エッサに恥をかかせてやれ。復讐だ。


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