<< prev top next >>


 コエンテは戻って来た二人をみとめ、散々説教していたカナトルをやっと解放した。
「うむ、戻ったか」
「はい。…あの、私コエンテさんに曲をお聞かせしたいのですが、今よろしいですか?」タリカーンはおずおずと切り出した。まだ上品な女は継続中だ。
 その申し出を聞いたコエンテは顔を輝かせた。
「そうか、そうか!よし、一曲聞かせてくれ。選曲はお前に任せるぞ」
 タリカーンは椅子に腰掛け、トロポンを構えた。
 コエンテの相手をされなくてすむと知ったエッサがほっとして離れようとしていた。
 タリカーンはそこで急に思いついたように顔を上げ、エッサを見た。
「あ……。ちょっと待って、エッサ」タリカーンはコエンテに顔を向けた。「この曲、男性が歌った方がぴったりなんです。船乗りの歌ですので…。お許しいただけるなら、歌はエッサさんに頼みたいのですが。有名な歌なので、歌えるはずです」
 エッサがぎくりとして立ち止まった。慌ててコエンテに顔を近づける。「…いや!俺は歌には詳しくないので」
「それもいいな。歌え、エッサ。俺に口ごたえするな。そんなの俺の知ったことか」
 エッサは真っ青になった。ようやくどういうことか悟ったらしく、トロポンを調節しているタリカーンに慌てて目で訴えた。
 タリカーンはうつむきながらにんまりほくそ笑んだ。エッサはひどい音痴なのだ。
 部屋の隅では、足を組んで座っている少年が不思議そうにエッサのうろたえぶりを見守っていた。それでもわれ関せず、といったそ知らぬ態度を貫き通している。

 タリカーンは問答無用でトロポンを奏で出した。軽妙な音が室内に流れ出す。
 コエンテはうんうんと満足そうにうなずいている。
 緊張したエッサは部屋の中央で立ちすくんだ。
 軽やかな旋律が坂を転がるように勢いよく溢れる。港の明るい空気が音となって部屋に充満し、愉快なリズムが伸びやかに響いた。
 歌い出しはとっくに過ぎているが、直立したエッサはぴくとも動かない。
 怪訝に思ったコエンテが眉を跳ね上げさせた。その表情は、早く歌え、と命令している。
 エッサは今度は顔を真っ赤にさせ、のどを鳴らして上下させた。彼は恥ずかしそうにうつむいた。

 …その時思いもよらない声が聞こえてきた。澄んでいるが低い、男の美しい歌声だった。


    "やれあの帆を追いかけろ ヒーホー
     俺たち船乗り お手のもの 水の上が俺たちの庭 ヒーホー"


 いつの間にか立ち上がっていた少年が近づいてくる。タリカーンはびっくりしたが、手を止めたりはしなかった。軽快な音楽に乗り、軽やかに少年の歌声が上がる。

    
    "港で待つのは 可愛いあの子
     日焼けした肌 綺麗だね 
     俺はそれすら言えやしない 悲しい船乗り ヒーホー"


 これは、歌詞を替えて街での恋の歌にも歌われる、とても庶民的な歌だ。それを少年が知っているのは不思議でもなんでもない。しかし、この楽しい歌はなんとなく少年には不似合いな気がしていた。
 が、歌わせてみれば、これほど似合う男もいない、とタリカーンは思った。
 熱っぽい目をして、歌詞をもう少し洒落た当世風のものに替えれば、あまたの乙女たちが悲鳴を上げて集まってくるだろう。歌っている時の少年は爽やかで好青年に見えるし、何より歌の上手い男はもてるのだ。
 タリカーンはさらにぎょっとした。もう一つ歌声が聞こえる。これは……なんとエッサの声だ。しかも何故かかなり上手い。何故だ?タリカーンは困惑したままトロポンを弾き続けた。
 一人喜んでいるコエンテが手を打つ。壁際では、つまらなさそうなカナトルがコロをつかまえて遊ぼうとしていた。よっぽど暇らしい。

 エッサはさっきの娘っ子のような内気さはどこへやったのか、胸を張って堂々と歌っていた。その目が少年を捕まえて、にやりと笑った。しかし少年はそんなことにもかまわず、ひたすら熱心に歌っている。


      "いつかは海の藻屑と消える 嵐の海が俺の墓場さ
       それでも待っていてくれるかい? 港で手を振り俺を送る
       愛しいお前がいて欲しいんだ  ヒーホー"


 歌が終わると、嬉しそうな様子のコエンテが三人に拍手を送った。
「うむ!なかなか良い演奏だったぞ、吟遊詩人!それからエッサ、お前も大したもんだ。それからそこのお前、素晴らしい。なんといってもまだ高い声のうちはいいな。俺の若かりし頃を思い出す」
 目が酔っているコエンテは置いておいて、驚きを隠せないタリカーンは勢いよく立ち上がった。口を開けたままエッサに指を突きつける。
「…なんだ?その顔は。君が頼んだから歌ってやったんじゃないか」
 意地悪くエッサが笑った。
 ようやく演奏が終わったので寄って来たカナトルも、エッサの肩に腕をのせ、口を添えた。
「馬鹿だな、タリカーン。昔からエッサはちゃんと歌えるんだぜ。ただ人前だとあがるからうまく歌えなかっただけなんだよ。うまく歌わせたら、俺なんか足元にも及ばない」
「…あんたが何を考えていたかは大体分かる。もっと建設的なことに頭を使ったらどうだ?」
 少年までタリカーンを馬鹿にした。

 …なんてことだ!エッサは音痴だと思っていたのに。どうやら昔を忘れていたのは、タリカーンもだったようだ。
 エッサはそこで恥ずかしそうに笑って、少年の方を向いた。「こんなに気分よく人前で歌えたのは初めてだ。ありがとう、君」
 少年はなんでもないような顔つきで見返している。しばらく沈黙してから、ただこう返した。
「…歌の好きな人間は一目で分かる。あんた、遠慮せず堂々と歌った方がいい。あんたの歌声はきれいだ」
 地団太を踏んでくやしがっているタリカーンに目を止め、カナトルが呆れたように手を広げた。「おいおい、せっかく友好的な空気なのに、お前一人それでどうするんだよ」
「…うるさい!!」 
 完全に目論見が外れたタリカーンは顔を赤くして叫んだ。これでは自分が道化ではないか。
 エッサとカナトルは遠慮なくタリカーンを笑った。
 後になるまで知らなかったが、実はこの時少年も笑っていたのだ。しかしそんなことは露知らず、タリカーンはコロが止めてくれるまでずっと腹立たしくてわめき続けていた。


<< prev top next >>