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 既に何をしに来たのか分からなくなっていたコエンテが、ようやく本題を切り出した。
「――さて、そろそろ俺がここへ来たわけを話そうか」
 その言葉で真顔になったエッサとカナトルが、同時に彼へ問いかけた。
「わけとは?」
「ようやく来たな。もう忘れてるんじゃないかと思っていたぜ」
 コエンテは首を巡らして少年を見た。
 少年は眉を寄せて彼を見返した。「なんですか?さっさと聞かせてください」
「……もちろんこの若造の用で来たわけだが」コエンテは言った。「――しばらく待ってみたが、ウィキンたちからの知らせがないところを見ると、あいつ、失敗したようだな」
「失敗?ウィキンは何をしていたんですか?」と、全く知らなかったらしいエッサが聞いた。


 突然、コエンテは思いもよらぬ言葉を少年に投げかけた。
「……すまぬ。うちの壁の中に、アビエタに情報を流している人間がおった。お前がここにいることは敵方にとっくに筒抜けになっておる」
 少年の顔がサッと緊張した。電気が走ったように、その顔つきが一変する。もはや、たった今まで歌を楽しんでいた少年の影はどこにもなかった。ただ冷たい目がコエンテを見据えた。
 カナトルが驚いた様子もなく言った。
「何言ってんですか。今まで俺たちは、アビエタの連中とも情報を共有してきたじゃないですか。今さらそのことで困るはずはないだろうに」
 しかし、コエンテは、首を振って、そうではない、と言葉を重ねた。
「いや、今までは問題がない程度だったから、たまたま良かったのだ。しかし、今回アビエタの壁に依頼したやつらは、この若造の命を狙っている。アビエタが情報を依頼主に伝えれば、すぐさまここへそいつらがなだれ込んで来るだろう。俺はそこまで重大な情報を扱う時は、たとえどんなに親しい人間であろうと絶対に情報を売るなと言ってきた。前々から、アビエタとうちの連中が親し過ぎるのが気になってはいたのだ。手を打つのが遅かったかもしれんな」
「でも、今そいつらがここへ来ていないのは……?」
 思わずタリカーンが聞くと、コエンテは顔を上げた。
「もちろん、ウィキンがアビエタの連中と交渉していたからだ。いくつかおいしい情報を提供してやるかわりに、この少年の情報を依頼主へ伝えるのは待つようにな。彼がここに居た情報が漏れるのは、避けたい。次に行ける街は限られている。たとえその情報が遅く漏れたとしても、それは有力な情報となりうる」
「だからウィキンが、この少年が逃げる時間を稼ぐために交渉にあたったのですね」
 と、事の次第が飲み込めたエッサがうなずいた。
 コエンテはうなずいた。「そうだ。最低でも三日は黙っているよう、アビエタの壁に承知させるつもりだった。俺はウィキンに今日の昼までが限度だと言っておいた。それ以上交渉に時間を割いても、意味がないからな。アビエタが交渉に応じるふりをした裏で、こちらの動きを探っている可能性もある。そして、もうすぐ昼だ。――ウィキンは失敗した。だから俺はお前に言う、ここから逃げろ」

 少年は無表情で黙り込んでいた。
 しかし、すぐ落ち着き払った態度のままうなずき、動いた。
「――分かった。あんたには感謝する。僕は本来、一つ所に長く留まってはいけないんだ。今すぐここを出る」
 彼は追われる身である自分の立場を忘れたことがなかった。
 カナトルがたずねた。
「コエンテさん。――ウィキンはまだ?」
「うむ。交渉を続けられるだけ、続けているはずだ。時間を稼ぐためにな。しかし、アビエタの壁が黙って交渉に応じているのみとは考えづらい。既に依頼主へ少年の居場所を売った後という可能性もある」
 少年はみなまで聞かなかった。物置になっていた寝室へ入り、すぐに少ない荷物を持って出て来た。
 タリカーンも動いた。寝室の壁にかけておいたローブを取り、羽織って出てくる。
 彼女はいつでも出られるよう、今朝から体に荷物をくくりつけていた。こういう身軽さは長年の旅人暮らしで身についている。
 少年は当然のように出立の備えをしたタリカーンを見ていたが、もう何も言わなかった。
「なんにしても、そういうことはもっと早く言わないと」と、どこか呆れた様子のカナトルが言った。
 コエンテは怒った様子もなくそれに答えた。
「――俺は、ウィキンが成功するものと思っていた。あいつは馬鹿じゃないし、交渉がどんなものかも知っている。…が、それにもかかわらずあいつが失敗してしまったところを見ると、アビエタめ、よほど高い報酬を約束されているんだな」
 それを聞いた少年がくるりと振り返った。蔑みを含んだ目がコエンテとぶつかる。
「あんたたちの協力には感謝している」
 少年は冷ややかに言った。「…だが、金で人の噂や巷間のよた話まで売り買いするあんたたちの仕事には、賛成できないね。あんたには人の情ってものがないのか?あんたたち壁というのは、高い金さえもらえれば、どんな情報でも売れるのか?それで生計を立てて恥ずかしいと感じないのか。僕には理解できない。それは他に働きができない人間のするような仕事だろう」


(…ま、また、何言い出すんだ、この男は……)
 側にいたタリカーンは、生きた心地がしなかった。
 自分よりずっと力を持っている人間に対して、なんて口のきき方だろうか。しかも世話になっておきながら。この恐ろしいまでの孤高さはどこからきているのだろう。少年の性質は潔癖といってよかった。
 情報屋が、農民や漁師や職人といった、いわゆる生産性のある仕事と比べて、裏世間の汚れた仕事としてさげすまれていうのは、一般的なことだった。だから、少年の蔑みは特別なものではない。しかし、それにしても……。

 壁際のカナトルとエッサの体が緊張をはらんだのが、タリカーンにも分かった。
 コエンテ本人の名誉を傷つけるような失言を少年がしてしまったなら、彼ら二人が黙ってはいない。
「いいや、金が全てを動かすわけじゃない」
 コエンテは冷静に答えた。「どんな高い金を積まれても、俺は部下を裏切る真似はしない。最も可愛い部下のウィキンが、珍しく泣きついてきたんだ。昔の友達が自分のことを頼ってきた、これは信頼に応えねばならないと。俺はウィキンに約束したんだ。絶対にそいつらは俺が守ってやるってな」
 別の答えを予想していたらしい少年が、初めてたじろいだ。
 彼は一瞬タリカーンの方に目をやりかけてから、頭を振った。「……彼が言っているのは、この僕のことではない。彼女だ。僕はあんたの部下の知り合いでもなんでもない」
「それはもはや関係ないんだ、若造」と、コエンテ。
 緊張をほどいたカナトルが少年に近寄り、その肩を掴んで揺すぶった。 側にいたタリカーンは、生きた心地がしなかった。
「――…あーっ、もー!馬鹿だなお前は。コエンテさんが出て来るのは、近頃じゃ珍しいんだぞ。嘘でもいいから、手を貸してもらえただけでもありがたいとかなんとか言っておけよ。じゃないと、機嫌の悪くなったコエンテさんに手を焼くのは俺たちなんだぜ」
 黙って立ち上がったコエンテがカナトルの首根っこを押さえて激しく揺さぶった。
「…カナトル!お前は昔からちっとも変わらんな!俺への敬意の表し方を教えてやろうか?」
 エッサは知らない顔をして目をそらしていた。解放されたカナトルに、ねぎらうような気の毒そうな目を向ける。
「――エッサ!何ぼさっと突っ立ってる!こいつらを広い道まで送って行け!指示を出さんとなんも出来んのか。まったく、そろいもそろってお前たちは――…」
 慌ててエッサは風のように飛び出し、扉を開けて少年とタリカーンを導いた。
 その時、思いがけなくもコロが口を出した。
「…俺も行きたい」
 コエンテが不機嫌なままそちらに目を向けた。コロが緊張した面に口を引き結んでいるのを知って、せっかちにうなずく。「…ああ、ああ。行って来い!お前はそのために来たんだぞ」
 パッと顔を花開かせたコロは、またたく間に飛び出し、扉を出かかっていた少年の足に飛びついた。
「やめろよ、転ぶだろ」言葉とは裏腹に、少年は嬉しそうだ。
 やれやれとコエンテは首を振った。小さく呟く。
「ほんとにどうなってるんだ?俺が長年、手塩にかけて育てた馬鹿二人は実をつけず、なんの教えも受けていない子どもの方が、どうすべきか分かっているなんてな」
 タリカーンは確かにその声を聞いた。しかし彼に何か別れの言葉をかける前に、彼女の背後で扉は音を立てて閉まった。


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