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 扉を閉めたエッサは、振り返って顔つきを改めた。
「――さて、これから俺がヒムレイヤの町まで君たちを案内する。残念ながらうちは、あの町にいる壁とは仲よくないから、手引きしてやることはできん」
 最後まで彼が言わぬうちに少年が顔を上げた。足にまとわりついていたコロを振りほどき、エッサに問いただす。
「ヒムレイヤ?それはひょっとして、ジャインタインから見て東北にある町じゃないのか?」
「そうだ。ここから人目を忍んで行くなら、大まかに道は二つしかない。ヒムレイヤに行かないなら険しい山を経て北へ抜けるルートもある。しかし、これはお勧めしない。山を越えるだけで、最低三日はいる」
「三日……。ロークタルクは北にあるが、どうするか…。――どう思う?」
 少年はとっさに振り返ってタリカーンを見た。今までは意見を交換することのない間柄だったので、タリカーンは意表をつかれて間の抜けた顔をさらした。
「へ?あ、いや……そうだね、私もエッサの言う道に賛成だ。山越えは私たちには無理だよ。準備をしていないもの。ヒムレイヤは確かに遠回りだけど、逆にその方が時間の短縮になる」
「そうか。あんたの言うことを信じよう。――ヒムレイヤへ」
 首を戻した少年がうなずいたので、エッサは彼らを連れて歩き出した。

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 ながらかな丘陵地帯を越え、薄闇がただよう涼しい日暮れになって、ヒムレイヤの町が見えてきた。
 町を目にしたタリカーンは、安堵して、前を歩いているエッサに近づいて言った。
「とうとう着いたみたいだね。ありがとう、エッサ。あなたたちのおかげでずいぶん助かった。ここまででいいよ」
 エッサは立ち止まった。薄暗がりに、目だけががよく反射して光る。
「……いや、俺はもう少し君たちに付き合う」
「何故だ?」と、寄って来た少年がたずねた。
「はっきり言えないが、ここで別れるのはまだ不安なんだ。アビエタの連中のこともあるし…。もう少し広い道に出られるまで、君たちにお供する」
 少年とタリカーンは顔を見合わせた。二人ともエッサの不安がよく理解できなかった。
 少しの間とはいえ、二人で旅をしてきた経験もあったから、そこにエッサとコロが加わっていることに少々違和感を感じたせいもあった。
「その申し出はありがたいが…あんたには本来の仕事もあるだろう。こんな所にいていいのか?」
 少年の疑問に、タリカーンもつけ加える。
「そうそう、けっこうジャインタインの街を離れた所まで来たよ。みんなあなたのことを待っているんじゃないの」
「平気だ」エッサは二人に微笑んだ。
 これ以上強く言う必要はないと感じたので、タリカーンも少年もそれきり口を閉じた。
 彼らはヒムレイヤの町に一泊し、翌朝早く出発した。

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 緑が目に眩しい野だった。歩きずらくない程度に起伏のある土地を越えると、段々往来を行き来する人が目にみえて増え始めた。比較的大きな道であり、商人や旅人とすれ違う頻度が多くなる。
 大地の上にこぼれるように咲く花は天然の色彩となって野を彩っていた。

「なんか、空気に匂いがするなあ」
 コロが思ったことをそのままもらし、鼻を広げてかぐわしい野の匂いを吸い込んだ。
「ああ。ここに寝転んだら、さぞ気持ちいいだろうな」
 少年も歩みを緩めて、コロの言葉に同調した。彼も眩しそうに目を細め、遠くを眺めやっている。
「おいおい、俺たちは花を堪能しに遠出しに来ているんじゃないんだぞ」呆れた声で振り返ったエッサは、少し目をすがめた。「……まあいい。ほら、さっさと行くぞ」

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 月が輝く時間が近づいた。いつの間にか暗くなった周囲を見回し、エッサが立ち止まった。
「ここに野宿する?」
 タリカーンがたずねると、彼はしばらく考え込んで少年とコロを見やった。
「どうしたものかな。…おい、君。何か引っかからないか?」
「何かって?」と、抽象的な言い方に、少年が眉をしかめて聞き返した。「具体的になんだ?」
「日中からずっと見られている気がするんだが。そろそろ連中が追いついて来たかな」
 エッサは、少年が思わずサッと背後を振り返りかけたのを制止し、続けた。
「そんなことをしても意味はない。しかし、ここで寝るのは不安だな。いくら見晴らしがよくても、身を守る生垣一つない」
「では、少し後退してはどうだ」と、少年が提案した。今度は自然な様子で振り返って、遠くを指した。「――さっき通り過ぎた道の近くに窪んだ場所があった。窪地で寝ても、後ろは見渡しのいい平野だ。背後から敵は来ない場所だ。身を守りやすいだろう」
 エッサはしばらくあれこれと少年と話し合って、そこまで後戻りすることに決めた。タリカーンとコロは黙ってそれに従った。

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 少年とエッサは連携をとり、窪地をさらに掘って、塹壕のようになし、その上にマントで覆って、できるだけ目立たなくさせた。
 その間、タリカーンはコロに調子をたずね、短い談笑をしながら、先にパンで簡単な夕食をとった。
 それから少年とエッサが食事をとり、そこで話し合った結果、エッサが一番初めに見張りをすることにした。

(…なんだ、エッサはなんだかんだ言って、彼の面倒を見てくれてるじゃないか…)
 タリカーンでは、少し口達者過ぎる少年の相手は少々不安だった。
 それに、こういう物騒な事態には、どうしていいのやら、見当もつかない。エッサが少年の相手をつとめてくれるのは色々とありがたかった。
 タリカーンがこっそり謝意を含んだ視線を横流しにしたのに気づいたのか、エッサはこちらに向かって、一度微笑んで見せた。

 彼が見張りをかって出てくれたので、残りの三人は簡単に夕食を済ませて眠りについた。



 ……夜半、月がいくらか下った頃、タリカーンは誰かに足を蹴っ飛ばされて目を覚ました。
「あ。……すまない」
 暗さで表情の分からぬ少年が、タリカーンを見下ろしていた。背後にかかる金色の月が美しい光を放って輝いている。
 タリカーンは手を上げてなんでもないと示してみせて、寝返りを打った。彼女は自分の体の下に引き込むようにマントを引っ張り、背中を丸めてうずくまった。
 その夢うつつの耳に、二人組の話し声が聞こえてきた。風にのったかすかな声は窪地にまで届く。
 耳のいいタリカーンは、寝ぼけながらもちゃっかりそれを拾っていた。

「……随分冷えるな……」
「……まだ、冬よりましだと思わなければ……座るか?…ああ、そうだな……」

 少年がエッサと話しているのか。そのとたん、タリカーンは驚いて身を起こした。
 …今何時だ?慌てて確かめた月は、寝る前に見た位置から大分離れている。
 エッサは長い間見張りをしていたようだ。声をかけてくれたら交替したのにと、彼の気遣いがあまり嬉しくないタリカーンはむくれた。一人だけ無理をされても、嬉しいとは思わない。

「…起こせばよかったのに。僕は替わった」
 少年がちょうど似たようなことを言葉に出した。それに応えるエッサのかすかな笑い声が聞こえる。
「仕事柄、一晩中見張るのもお手のものなのさ。気にするな」
 自分も彼らに加わろうか、と思ったタリカーンは、頭をかいてマントを払った。
 その時だった。鋭い声が夜のしじまを破った。

「――来た!……やつらだ!」
 さっと張りつめる空気。張り裂けそうなほど鋭い緊張感が一瞬で膨れ上がった。
「君は頭を引っ込めろ!……おい!?待て、どこへ行く!」
 制止するエッサの声がした。
 タリカーンはマントに足をもつれさせながら立ち上がり、転げるように斜面を駆け上がった。一人でまん幕に頭を突っ込んでいたエッサの横に滑り込む。
「――彼は!?」
「飛び出した。…待て!君まで来るな」
 既に立ち上がろうとしていたエッサが、タリカーンの肩を押さえつけた。彼は効果的な怒鳴り声で言った。「君は足手まといになる、来るな!コロを守っててくれ」
 そう言って手をついて起き上がったエッサの服から土がこぼれ落ち、タリカーンの顔にかかった。タリカーンはそれを払いながら叫んだ。
「…彼を捕まえて!危険だ!」
 エッサはうなずいたようだったが、よく分からなかった。彼はもう走り出していた。

 タリカーンの暗闇に慣れてきた目が、遠くで動き回っている複数の影をやっととらえた。
 その様子だけでは何が起こっているのか分からないが、状況からして戦っている人影であることは間違いない。少年は一人で敵を迎え撃ちに行ったのだ。
 無茶だ。タリカーンは下の唇を噛んだ。遠くの影が立ち回る様子をじっと睨みつける。
 そこに小さくなりつつあるエッサの影が矢のように飛び込んでいった。

 争う影はやがて収束した。戻ってきた影は二つだった。


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