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「…おかえり。怪我はない?大丈夫…?」
 心配で気の休まらなかったタリカーンは、二人の姿を認めると、ほっと内心で胸をなでおろした。そして立ち上がって彼らを迎えた。
 二つの黒い影は、そのまま静かにこちらに歩いてくる。
 その歩調に違和感を感じ、タリカーンが眉をひそめた時、
「……彼が。タリカーン、傷薬を持っているか?」
 苦い口調で呟くように言ったのは、背の高い方の影、少年だった。
 タリカーンは真っ青になって、ゆっくり歩いているエッサに駆け寄った。近くでよく見れば、横腹を押さえている。
「…どうしたの!?斬られたの?」タリカーンは悲鳴に近い声で叫んだ。
 軽く顔をしかめていたエッサは、首を振って答えた。
「矢だ。…暗くて避けようがなかった。浅く刺さっていたから、いいが」
「矢じりは抜いた。毒は塗っていなかったようだ」少年が暗い声で後を引き取った。自分の揉め事に他人を巻き込んでしまったことに責任を感じているらしい。
「――とにかく、こっちに入って」
 マントでつくられた急こしらえの幕の向こうを指し、タリカーンは、二人をせっかちに招いた。「もう連中はいないんだね?」
「二人逃がしたが、問題はないだろう。戻って来る気配はない」エッサが答えた。
 …二人以外は殺したということだろうか。タリカーンは黙り込んで窪地に下りた。二人がその後に続く。
 不安そうな瞳で彼らを待っていたコロが座っていた。
「…エッサ!?どうしたんだ?」
 コロも驚いた悲鳴を上げた。エッサはちょっとうっとうしくなってきたのか、空いている方の手を振った。
「平気だ。騒ぐな」
 タリカーンは傷薬を取り出してエッサを治療した。コロがエッサに言われて幕になっていたマントを引き裂き、布切れにして包帯として彼の腹に巻いた。
 今見張りは少年がしている。少年はとりあえず無傷だった。

 手当ての終わったエッサは、コロを安心させてからタリカーンに向き直った。
「思っていたよりも人数が多い。あれがアビエタの連中の依頼主だな。彼を狙っている」
 タリカーンは何が起こったのか知らないので、エッサに争いがどんな様子だったのかたずねた。
「……特に、言うべきこともないが。五人ぐらいいたな。こういうことに慣れている連中だ」エッサは淡々と答えた。「しかし、それ以上にあの少年は剣を振るうのに慣れているようだ」
「クェマリルさんが?まさか」びっくりしてタリカーンは言った。「だって彼はまだ十四だよ」
「歳は関係ない。しかし、逃がした二人が気になる。他に仲間がいたら連絡を取るかもしれない。我々は夜が明けたらすぐ出発しよう。――コロ、行けるな?」
「うん」コロは大人しくうなずいた。


 数時間後、地平から昇ったまぶしい陽光が雲を染める中、一行は出発した。茜色の陽が散らばった雲を鮮やかに染め、憎らしいほど美しい景色だった。
 その日辿り着いた町に泊まり、あくる日には大きな街道へ到着した。

「ここまで来たら大分楽だよ、お兄さん」
 道々少年と会話していたコロが顔を上げた。
「ああ、ここから北を目指して行けばロークタルクだ」
 そう言った後、少年は立ち止まっていたエッサに追いつき、彼の腕を軽く叩いた。
「世話になった。僕はこのことは忘れない、ありがとう」
「とんでもない。いつかまた、ジャインタインに寄るといい。歓迎しよう」エッサは穏やかに別れの挨拶を返した。
 それから少年は視線を下ろし、もう一度側のコロと目を合わした。「コロ、元気でいろよ。あんまり走り過ぎて転ぶなよ」
 コロはうなずいて少年のすねを蹴った。冗談のつもりらしいが、少年は一瞬本気で痛そうに顔を歪めた。子どもの無邪気な一撃は意外と痛い。見ていたエッサとタリカーンは吹き出した。
 コロは威勢良く返事を返した。
「――おお!お兄さん、今度来た時は俺に仕事頼めよ!あ、あとモズにお金あげてよ」
 約束を思い出したらしい少年は、不意をつかれた顔になった。
「あ、ああ…。そうだったな。忘れるところだった」
 それを聞いたエッサが、慌ててコロの腕を掴んだ。
「お前な……!モズはまたそんなこと言ったのか。お前たちはいらんこと心配しなくていいんだ、そういうませたこと言うんじゃない!」
「だってさあ、お兄さんモズにお金払うって言ったんだぜ。俺たちが逃げるの手伝った時。俺ちゃんと覚えてるからな」と、コロは口を尖らせた。
「もちろん僕も覚えている。どっちみち、僕はいつかジャインタインに行くこともあるだろう。その時礼は返す。忘れるな」
「よーしっ!言ったな。そっちこそ忘れんなよ」
 何故か胸を張ってコロが少年を指差した。エッサが彼の頭を叩く。
「また勝手なことを……!すまん、うちの子どもたちときたら、最近こういうことばっかり覚えてしまって…」エッサは決まり悪そうに謝った。

 タリカーンは苦笑いしてコロを見守っていた。ああ、やっとコロくんともお別れできるのか。
 すぐトロポンにべたべた触ろうとする子どもは好きじゃない。特にこのコロ少年はタリカーンが嫌がるのを知って、わざとトロポンに触りたがった。ここ三日は彼との攻防でもあった。

 コロは最後に何気なく手を伸ばし、横にいたタリカーンのトロポンの弦をかき鳴らそうとした。
「やめなさい」タリカーンは悲鳴を上げて身を引いた。「壊したら弁償してくれんの?ええ?おたく弁償できんの?」
「大人気ないな。ちょっと触らせるくらいいいだろう」
 何も知らない少年が呆れた顔をする。いや、何も知らないはずはない。見ないふりしおってこいつら、とタリカーンは二人の大人をねめつけた。
「さあ、コロ。もう行こうじゃないか」
 見かねたエッサがコロを引き寄せた。コロは最後にタリカーンに体当たりして打撃を与えた。よろめいたけれどトロポンは死守したタリカーンはふてぶてしく笑ってやった。
 コロは不満そうにエッサに引きずられて帰っていった。そのまま彼は細い腕を振り、大声で叫んだ。
「またなー―!ユナン!絶対俺に会いに来いよ!」
「分かった、分かった。早く行け!……エッサを困らせるな!」
 苦笑いに近い表情で少年が手を振り返す。
 遠くなっていく彼らの姿を見守っていた少年は、しばらくして振り返った。
「…くそっ。あいつ遠慮なく殴ったり蹴ったりして…体中痛くなってしまった」
 でも構ってもらえてちょっと嬉しかったらしい少年の笑顔はほほえましいものだったかもしれないが、それよりも気になることがあったタリカーンは合いの手を入れた。
「え、いやいや、ちょっと待って。何?ユナンって?」
「僕の名前だ」
 あっさり答える少年。もちろん流れからしてそんなことぐらい分かる。
「……本名?」
「うん」
「……なんであの子に先に教えちゃうの?私より先に」
「何?なんだそれは」
 少年は分かっていないらしく、不思議そうに言った。
 先に出会ったのは自分だし、一緒にいた時間はもちろんこっちの方が長い。なんであの子の方が先に教えてもらえるんだよ、とタリカーンはむっつりふてくされた。
「正式には、ユイナン・テレストロイカ・ケルクだ。長いから覚えなくていい」何か勘違いしたらしい少年がつけ足した。
 確かにそれは覚える気もしない。タリカーンは肩をすくめてから、自分も名乗った。
「私はタリカーンだ。苗字はない。お母さんが捨てたからね。――やれやれ、今頃名乗りあって何してんだか、私たちは」
「まったくだ」
 ユナンは肩をすくめた。それから彼は目指していた北に足を向け、踏み出した。

 二人は旅を始めた。



                                   ――序章  了

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