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 タリカーンは開けきらないまぶたをなんとか動かし、テーブルにのった朝食を見た。
 硬いパンが少しと、水っぽいスープが先ほど運ばれてきた時からそのまま彼女を待っている。
 タリカーンはのたくたと手を動かし、パンをかじり始めた。
 寝不足の時はいつもこうである。結局タリカーンは長いこと演奏し続け、十分眠らなかった。これから長い街道を歩くのかと思うとうんざりするが、仕方がない。
 ひとつ心残りがあるとすれば、ナタリーにちゃんとお別れを言っていないことか。
 ずっと歌を聴き続けたナタリーも当然疲れてしまって、今はぐっすり眠り込んでいる。日が高くなるまで起きないだろう。
「さて……」
 タリカーンは食事を終えると、ナタリーの両親に世話になった感謝と別れを告げ、いつかまた来ると約束して宿を出た。
 街道をしばらく歩いていくと、人の影が見えた。同じ方向に向かって進んでいる。
「人か…多分、同じ目的地だろうな」タリカーンは呟いた。
 人影はゆっくり歩いている。だんだん目が覚めてきたタリカーンは調子を取り戻し、いつの間にかその人影に追いつくところまでいった。そこで気がつく。
「あれって…?」
 はっきり相手を確かめられる距離までくると、もう間違いなかった。昨日の青年だ。
 このままだと追い抜いてしまう。さすがに何も言わずに通り過ぎるのは気が引けたので、声を上げる。
「クェマリルさーん!」
 青年は反応しなかった。二回目に呼んだ時やっと振り向き、歩いてくるタリカーンに気がついた。
 青年が立ち止まったので、タリカーンはそのまま歩いて彼に追いついた。
「あなたの名前だよ、クェマリルさん。まさか忘れたんじゃないだろうね?」
 青年は黙ってタリカーンを見ている。どう対処しようか迷っている顔だ。当然だ。別にお互い友人でもなんでもないのだから。気さくに会話に応じる必要もない。
「私たちは知り合いではないけども、まったくの赤の他人ではないし、どうかな?よかったら一緒に歩いていくのは。あなたも次のユバ村に行くつもりなんでしょう」
 青年がやっとうなずいた。「ああ」
 タリカーンは青年と肩を並べて歩き出した。が、そこまではいいものの、特に喋ることもないので二人はずっと黙ることになった。質問しようと思えばいくらでもできるが、二人ともそこまで相手に興味を持っていないのだ。
 タリカーンと青年の間に、しばし奇妙な沈黙が続いた。
「……ところでクェマリルさんは」
 青年の反応が一瞬遅れた。「…なんだ?」
「――あなたの名前でしょうが。…クェマリルさんは、何故旅を?」
「事情がある。聞くな」
 なんとも簡潔な答えである。ここまではっきり拒絶されるのも珍しい。
 話題が終わってしまったので、タリカーンはしばらく黙って歩き続けた。
「…兄弟はいるの?わたしは兄が―」
「別に。いない」
 青年がそれきり何も言わないので、タリカーンはふと思いついた。
「……もしかして疲れてる?昨日はもう少し元気だったけど」
「もしかしなくても、そうだ。僕はあんたより早く起きている。最悪なことに昨日は疲れがたまっていたんだ」
 ふーん、と返事してタリカーンはちょっと考え込んだ。
「なのに付き合ってくれたんだね。ありがとう。おかげでナタリーはすごく嬉しそうだったし、あなたのおかげだ」
「あんたに礼を言われる筋合いはない。…ちょっと黙っててくれないか」
 青年の機嫌が悪そうなので、タリカーンは大人しく口をつぐんだ。
 昼過ぎに、二人は木が気持ちよさそうな陰をつくっている場所に通りがかった。タリカーンは口笛を吹いた。
「ちょうどいい。あそこでお昼を食べよう。休むのにちょうど良さそうな場所じゃない?」
「昼を食べるのか、そうか。なら頑張って食べてくれ。デザートには夜もあるぞ」
 青年が皮肉たっぷりに言いながらタリカーンの横を通り過ぎ、木陰に腰を下ろした。
「……。大分元気になったようだね」
 タリカーンは言い返してやりたいのを押さえ、同じく木陰に座った。
 懐からパンを取り出してかじっていた青年が答える。
「寝不足の時は判断力が低下しているんだ。だから今考えてるよ。なんであんたと一緒に行くことを承知したんだろう、って」
「おや」タリカーンは肩をすくめた。「一人より二人の方が安全だからに決まっているでしょう」
 青年が顔を上げる。
「吟遊詩人が一人増えたところで、僕にはなんの得にもなりはしない。あんたは見るからに戦えなさそうじゃないか。それでよく一人旅ができるもんだな」
 高飛車というのは寝不足でも治らないんだな、とタリカーンはぼそっと呟いた。
「何か言ったか?」
「別に何も。クェマリルさんこそ、ずいぶん細い体で旅には向いていないように見えるよ。ずっと一人旅をしているの?」
 元の見るからに自尊心の高そうな顔に戻った青年は、馬鹿にしたように答えた。
「人を見た目で判断するものじゃないぞ。こう見えても僕はかなり体を鍛えてある。あんたが十人いるより役に立つはずだ」
「私が十人もいたら怖いわ」
「誰がそんな話をしている。あんた、どうしてそう不真面目な態度ばっかとるんだ」
 青年が怒ったように言い返す。
 タリカーンはだんだん面白くなってきて笑い出した。「冗談だよ。クェマリルさんは案外面白いな」
「どういう意味だ。…やっぱり一人で行くべきだった」
 青年は舌打ちし、さっさとパンの最後の一かけを口に押し込んで立ち上がった。
「行こう」
「どこに?」
「ふざけるな。まだのろのろ食っているのか。僕は先に行くぞ。あんたは後から来ればいい」
 タリカーンはさっさと街道に戻ってゆく青年の後姿を見送り、のんびり昼食を済ましてから出発した。無理してペースを合わせる必要はない。
 ユバ村まではそれなりに距離がある。近くの住人たちに聞いた話を元に考えると、この調子で行けば夕方ぐらいには着くだろう。そんなことを考えながら、タリカーンは横で歩いている青年にたずねた。
「あなたの笛の腕前は素晴らしいね。どこで教わったの?」
「ある人に。僕の尊敬する師匠だ」
「ふーん。幸運なことだね。それに、笛そのものも素晴らしかった。あんな見事な笛、一体どうしたの?」
 昨夜青年が演奏した笛は、ただの代物ではなかった。ちょっと見ただけでもわかる値打ちものだ。
 青年が顔をしかめた。「…だから人前で出したくないんだ。僕の師匠がくださったんだ。僕にとっては値段のつけられない大事なものだ」
「そうなの。私は笛が吹けないんだけど、もし私が笛を手に入れたら、教えてくれない?」
「なんだって?」
 青年が驚いて声を高くした。「何故僕があんたに笛を教えるんだ?」
「私は色んな楽器を使ってみたいんだよ。――いや、相棒、浮気なんてしたりしないよ。挑戦してみたいだけ」
 何故か背中の楽器に向かって弁解する吟遊詩人を眺め、青年は眉をひそめた。
「それが賢明だね。一つの楽器をこなすのに、一朝一夕の時間でできるものか。一つのものをやり抜いた方がいい。僕も笛を極めているわけじゃない」
 タリカーンはちょっとがっかりした。タリカーンは音楽そのものが好きなので、いろんな楽器に触れてその音を味わってみたいと思うのだ。もちろん、彼女の中では初めからトロポンが一番なのだが。
「…クェマリルさんは、若いのに達観してらっしゃっててすごいですねえ…。あれ、ところで歳はいくつ?」
「十四だ」
 タリカーンはその場で立ち止まった。「……なんだって?」
「背が高いせいか年上に見られる。あんたは?」
 タリカーンは震え出した。子どもじゃないか!
「…なんだって!?十四!…信じられないよ。どうりで細っこいはずだ。今の今までてっきり……いや、それよりあなた、私より十も年下じゃないか!」
「そうか…あんたは意外と歳くってる方だな」
 タリカーンは青年、いや少年の背中をどついて黙らせた。
「誰が歳くってるだ!…一体子どもが一人旅なんかして、どうするの?将来のこと考えてんの?いや、それよりもそのふてぶてしい態度はどうなのよ」
 とたんにおばさんくさく喋ってしまう自分に嫌気がさしながら、タリカーンは少年に詰め寄った。
「僕は自分の尊敬できる人間でなければ、それにふさわしい対応をするということだ」
 少年の不遜な態度に、さすがにタリカーンも呆れ果てて黙り込んでしまった。
「歳なんかどうだっていいだろう。……じゃあ、行こうか。おばさん」
「もう一度言ってみろ」
 タリカーンは少年に説教しながら、少年はそれに言い返しながら道中は過ぎていった。


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