<< prev top next >>


 …柵の向こうで、茶色や白色の混ざったものがたくさん動いている。にわとりだ。
 その脇の小屋のように小さな家から、娘が一人出てきて、彼らにエサをやった。にわとりたちは彼女の与えるミミズに群がってせわしなく尻尾を振っている。娘が顔を上げた。
「……あら」
 少女は顔にかかった髪をはらい、にこりと微笑む。
「…旅人さんですね?うれしいわ、村の人以外と話すのなんて久しぶり。何か面白い話を知っていないかしら?」
 タリカーンは柵にもたれていた体を正し、手を上げて彼女に挨拶した。
「こんにちは。あいにく今は面白い噂や知らせは持っていないんですが――…」
 娘はタリカーンの横の少年にも微笑んでから、タリカーンの背後に突き出ているものを見て、表情を変えた。
「まあっ、吟遊詩人さん?」
「ええ。歌ならばいくらでも持ってきていますよ。歌は好き?」
「とても好きよ!…うれしい、ミリアやサリアも呼んでくるわ。お母さんは今手が離せるかしら……ちょっと待っててね!」
 娘は残りのミミズを地面にぶちまけ、嬉しそうに家の中に戻った。誰かを呼んでいる声だけが聞こえる。
 一斉に降ってきたエサに、にわとりたちが少し慌てたように集まってくる。首をすばやく動かしてついばむさまを眺めていると、横の少年がタリカーンに顔を向けた。
「なかなか人気だな」
「まあね。田舎に行けば行くほど歓迎してくれる。いいでしょう?」
 タリカーンは少年ににやりと笑った。
 少年はうなずいてから、手でもてあそんでいた草を捨て、急に背を向けた。
「どこ行くの?」
「宿」
「そう。後で会いましょう」
 少年は手を上げて応えた。
 その時横から歓声が聞こえて、タリカーンは首を戻した。娘が妹二人と母親を連れて、嬉しそうににこにこしながらタリカーンに家に入るよう招いていた。
 タリカーンはもっと広いところの方が気持ちよく歌を聴いてもらえるから、と断って、村の中心の井戸で演奏したいと申し出た。(その方がまとめて村人を集められ、まとめて報酬が貰えるのだ)
「そうだわ!それがいいわ、そうしましょう!ほら、サリア、吟遊詩人さんを井戸に案内するのよ!」
 娘たちは口々にそれがいい、と賛成して、相変わらず興奮しながらタリカーンを囲んでおしゃべりし出した。
 ここまで嬉しそうに迎えられると気持ちがいいもんである。タリカーンもにこにこしながら連れられて行って、やがて村の中心で演奏を始めることになった。
 村人がすぐに集まってきて、色々遠方の様子を尋ねたりしながら、彼女を囲んでしばらくその歌に聞き入った。


 散々村人たちに引っ張り回されて少し疲れていたタリカーンは、少年の横の席にどっかと腰を下ろした。
 少年が顔を向ける前に、その手から酒を取り上げる。
「――まだ早い」
「僕はこれ以上背が伸びるとも思えないし、問題ない」
 少年はすぐさま杯を取り返して、一気に残りをあおった。
 タリカーンはため息をついてから伸びをした。「……疲れた」
「だろうね。今晩は宿で演奏しないのか?」
「それが、親切な人が泊まって行けって言うんで、好意に甘えさせてもらうことにした」
「あ、そう」
 少年は二杯目を注文しようとする。
「一杯でやめときなさいよ」
「問題ない」
「いや、ぜいたくだからやめとけって言ってるんだよ」
 少年は少し考え込んだ。それから黙って頭を振る。
「なんだい?」
「それもそうだ。それにこれ以上酔うのも危ないし。あんたの忠告を聞いておこう」
 いちいちもったいぶった喋り方しかできんのかお前は、とタリカーンは少年を小突いた。
 タリカーンはちょっとの間少年の横顔を見つめてから、口を開いた。「……一つ聞くけど」
「ああ」
「あなた、どこに行くの?」
「なんであんたに目的地を教えなくちゃならないんだ?」
 タリカーンはテーブルにもたれながら答えた。「いや、もしかしたら同じ場所に行くのかなと思って。私はロークタルクを目指してる」
 少年が頬杖をついていた手を滑らした。
「……本当か?」
「あれ。やっぱりクェマリルさんも行くの?」
「……ああ」
 二人はしばらく見つめあった。
 日中歩いていて気がついたことだが、二人はほとんど進むペースが同じだった。おそらく、この分で行けば毎日顔を合わせることになるだろう。
「こりゃまいったね。――どう?いっそのこと、二人一緒に旅をする?」
「冗談じゃない」少年が即座に返した。
「冷たいなあ」
「僕にどんなメリットがあるんだ」
「こんなメリット」タリカーンは自分の顔を指した。
「……だからどんな?」
「美人のお姉さんが一人ついてくる」
「……それはどこに居るんだ?」
 ちくしょう、とののしりながらタリカーンは立ち上がった。「…実を言うと、私にもメリットはないけど」
「そうだよな」当然のように少年がうなずく。
「せめてあなたがすごい剣の腕を持っていたらお願いしないでもないけど。そうは見えないしね」
 その言葉には、少しむっとしたように少年が答えた。「あんたが二十人いるより役に立つって言っただろう」
「十人増えてるけど」
「どっちでもいい。…金はあるのか?」
 タリカーンは耳を疑った。「なんだって?」
「僕を雇いたいなら、それなりの報酬を用意してくれなきゃ困る。もしあんたが金を持っているなら考えてもいい」
「へー。ちなみにおいくらなの?」
「そうだな…半月で銀貨一枚」
 タリカーンは怒って問い返した。
「ふざけてんの?誰があなたをそんな高額で雇うっていうんだ?寝言は寝てから言いなさい」
「実は今寝てる」
「たわけ」
 タリカーンは怒って宿を出ようとした。やはり少年はいいとこのおぼっちゃんらしい。金の価値も分からず喋ることがどれだけ恥ずべきか知らないのだろうか。思い上がりにも程がある。
 しかし、タリカーンは戸口へ向けた足をすぐ止めねばならなかった。
 宿の薄い扉を押し開け、二人組の大男が入って来たからだ。

 タリカーンはすぐに顔をうつむけて、男たちを避けて歩こうとした。こっちは女一人だ。絡まれるのだけは避けないといけない。相手は見るからに粗野で無骨な荒くれ者のようだった。
 しかし、男たちは何故かタリカーンの前で立ち止まった。不審に思ってタリカーンが顔を上げると、男たちは彼女の後ろを見ていた。
「――おい。立て」
「のんびりメシ食ってる場合じゃないぞ、ガキ」
 二人組みはそのままタリカーンを通り過ぎて、少年を挟むように立った。傍目にも少年の空気が緊張しているのが分かる。
「…僕に用か?」
「立てって言ってんだ」
 男の一人が少年の首筋を押さえて立たそうと、手を伸ばした。
 とたんに少年がすばやく立ち上がり、男の手をはたいた。
 男が劇的に表情を変えて少年を殴ろうとすると、少年はその腕をつかんで、半身を回してひねった。
「……っで!この野郎!」
 片腕を固定された男はもう一つの腕をもがくように振り回し、なんとか少年を殴ろうとした。しかし、少年は相手が殴りにくようにその体を固めている。少年はそのまま少し勢いをつけて体を傾かせ、足払いして男を床に伏せた。そして間をおかずに流れるように抜いた剣で、拳を振り上げていたもう一人の男を牽制した。
「動くな」
 宿は一瞬の出来事に静まり返っていた。
 しかし争いが止まったとたん、数少ない客たちは、抑えた声で口々に何事かと騒ぎ出した。
 タリカーンは今のうちに外に出るべきか否か迷いながら、立ち尽くしていた。今外に出ようとしたら無駄に注意を引いてしまう。動ける空気ではなかった。
「――動いたらこのままお前の首を斬る」少年は淡々と低い声で男に告げた。
 男が憤怒の表情を浮かべて少年を睨んだ。
「…俺を斬れるつもりか、お前!…斬れるもんなら斬ってみろよ!」
 少年は無言で剣を走らせた。
 男の腕に深い傷ができる。男はあっと腕を押さえて叫んだ。「…痛えっ!痛え!」
「動くな。斬れるぞ」
 少年はもう一度男の首筋に剣をあてた。その姿勢のまま、立ち上がろうとしているもう一人の男に目をやる。
「お前もだ。お前が近づこうとしたら、こっちを斬る」
 剣を突きつけられている男は、立ち上がった仲間に向かって首を横に振った。それを見た男は、仲間と少年を交互に見やって、
「……くそったれ!!」と吐き捨て、少年を睨んだまま動かなかった。
「お前たち二人では僕の相手にならない。退け」
 少年は事務的に淡々と言った。無駄に相手を刺激しないようにしているが、決して穏当な態度ではない。少年は冷たく男たちの様子を見ていた。
 男はしばらく顔を真っ赤にして睨んでいたが、いまいましそうに側にあったテーブルを蹴飛ばし、戸口に向かった。
 そいつが出て行くと、少年がけん制していた男の背後に回り、出て行くように促した。男はそのまま出て行くかに見えたが、扉を開ける寸前、
「このまま調子に乗ったままでいられると思うなよ」と、捨て台詞のようなことを言って、荒々しく扉を閉めて出て行った。
 少年は何事もなかったように剣をしまった。さっき立ち上がる時倒した椅子を軽く直し、宿の主人の方を向く。
「迷惑をかけたな」
 主人はなんとも言えない顔でうなずいている。
 タリカーンは少年の肩に手をおいた。
「…無事で良かったね。今のやつらは?」
 少年は今タリカーンの存在を思い出したかのようだった。
「…ああ、あんた、まだいたのか。……さあ、僕も知らない」
「何か狙われるようなことをしたの?あれは誰かに雇われている連中じゃないのかい」
「かもね。どっちにしてもあんたには関係ないわけだが」
 タリカーンは厳しい顔で少年の肩を掴んだ。
「どういうことか分かってるの?あれはもう一度戻って来る気だよ。もっと大勢連れて来るだろう」
 少年はその言葉に一瞬目を上げかけた。しかしまた目をふせって、うっとうしそうにタリカーンの手を払った。「だとしても構わない。迎え撃ってやろうじゃないか」
 あまりに強情な態度だったからか。それを聞いたタリカーンは、頭に血が上るのを感じた。「何を馬鹿なことを。…来なさい!」
 手をつかまれた少年は驚いたようにそれを払った。
「何をする」
「私は今晩、この村の村長の家に招待されている。あなたもそこに来るんだ。宿じゃ誰も助けてくれない。少しでも力のある人に守ってもらうんだ。――さあ」
 少年は話にならないようにそっぽを向いた。「関係ない人間の世話になるつもりはない」
「馬鹿。強がってる場合か」
 少年がもの凄い勢いで振り返った。語気を強くして叫ぶ。
「――馬鹿とはなんだ!あんたに何故そんな風に言われなくちゃならないんだ!僕を馬鹿にしていいのは…」口ごもって続ける。「――僕が尊敬する人だけだ。あんたに指図されたくない。僕は誰にも頼るつもりはない」
 今度はタリカーンが言葉を強くして相手を叱咤した。
「頼れなんて言っていないでしょう!利用できる人は利用して身を守れと言っているんだ。そんな調子で生きていかれるつもりなの?いいから、私について来るんだ」
 タリカーンが腕をつかむと、少年はそれを振り払って自分から歩き出した。
 タリカーンは少しほっとしたが、しかし、何故こういうことになるんだろう、と不思議な成り行きに内心首を傾げるしかなかった。


<< prev top next >>