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「起きろ」
 不機嫌な声が彼女を呼ぶ。タリカーンはまぶたをきつく閉じた。何故この声は、いつもこう感情を不愉快に逆なでするのか。
「起きろ。……おばさん、おい」
 タリカーンは飛び起きた。
「誰がおばさんか!……うう、眠い」
「今さら眠がるなよ。僕は先に行くぞ」
 タリカーンは寝ぼけ眼をこすって去っていく少年の背中をぼんやりと見つめていた。だんだん頭の覚醒が追いついてくる。
「そうか、朝か……。起こしてくれたのか。親切だな、クェマリルさん」
 珍しく熟睡していたようだ。いつもならもう少し前に自然に起きている。
 あくびをついて立ち上がる。みっともない顔をしているだろうな、と思いつつ頭をかいて衣服をひっぱり、服のしわを伸ばした。こんな姿、故郷の恋人にはとてもではないが見せられない。ショックで寝込んでしまうだろう。タリカーンはちょっと気まり悪くて背筋を正した。
 街道に沿って歩いて行くと、遠くに少年の影が小さく見える。
「速いな。今日はえらく調子良さそうじゃないの」
 そう呟いてのんびり歩いていたタリカーンは、五分後には目をしばたたかせた。
「ん?……おいおい、まさか」
 少年の影が点になっている。間違いない、速度を上げて歩いている。タリカーンを引き離すつもりなのだ。
「ま、いっか。今日の昼にはジャインタインに着いているんだから」 
 目的地が分かっている以上、焦る必要はない。少年の方が一時間ほど早くついてしまう勢いだが、わざわざ追いかけて行って呼び止めるほどの気もわかない。

 ジャインタイン。古い砦の残る街。
 入り口である門は人でごった返し、喧騒がやかましかった。
 何故こうも狭いつくりなのだろう、とタリカーンは口をへの字に曲げながら人をかきわけた。理由は単純。戦の時、敵が攻めにくいように狭くしているのだ。大勢の兵士もこれでは通れない。
 そうは分かっていても、平素から不便な玄関とは街としていかがなものか。
 やっと街に足を踏み入れたタリカーンは、周りを見回した。
 来たばかりの旅人をターゲットに、様々な商店が軒をつらねている。日よけの幕の下では裸足の子どもらが駆け回り、水々しい果物を旅人に見せつけて誘惑する。その横では呼子が負けじと声を張り上げていた。お得な商品がいかに素晴らしいか、通りがかる旅人を捕まえては唾を飛ばしている。
 タリカーンはそのおっかない呼子に捕まらないように気をつけながら、周囲を見回し続けた。少年を探しているのではない。知った顔を探しているのだ。
「いないな」
 仕事を変えてしまったのか。それとももうこの町にはいないのか。
 その時頭に蘇った記憶の場所があって、タリカーンはそこをあたってみることにした。


「ああ!ウィキン!―それにマースも!」
 なんともいえない懐かしさに、タリカーンは両手を広げて二人に近づいた。
 マースはぎょっとした顔でこちらを向いた。
 先にタリカーンに気づいていたウィキンが、同じく腕を広げてタリカーンを歓迎する。
「タリカーン!タリカーンじゃないか!ずいぶん久しぶりだ。なんだ、どうしたんだ」
 ウィキンは喜色満面でタリカーンの肩を叩いた。タリカーンは笑顔で返した。
「ちょっと寄ったんだ。――マース、何年か前に会った吟遊詩人のタリカーンだよ。覚えてるかい?」
「ああ!ああ!」
 マースはタリカーンを指差して口を開け、ついで忙しく洗濯物をたたんで小走りに駆けて来た。
「――…タリカーン!なんて立派になったの、誰だか分からなかったわ!見違えた!」マースも嬉しそうに目を細めた。

 三人は以前この街で出会った。旧友だ。
 タリカーンは二人とよく会っていた秘密の場所を覚えていた。街の入り組んだ場所にある、よくある古びた集合住宅の一つだった。以前は大勢の住人が住んでいたようだが、数年前から既にうち捨てられて誰も住んでいなかった。ウィキンとマースは、仕事柄よくこの部屋に集まって相談していた。

 小部屋はちょっとした歓声でにぎわった
「もうすぐカナトルやエッサたちが帰ってくるの。――ね、あんたまだこの場所覚えてたのね。実はここ、最近までしばらくほったらかしてたのよ。またここに集まるようになったのは、先月――いえ違うわ、二月前からよ。そうよね?あらどうだったかしら、まあいいわ。最近まで、放ったらかして、汚いくもの巣やら埃やらかぶっていて、そりゃあもうひどかったんだから!ほっかむりとはたきで武装したあたしたちの勇姿をあんたにも見せたかったわ。でも、今じゃずいぶんうまく片付いたもんだけどね。あ、ごめんなさいタリカーン。こんな話どうでもいいことよね。とにかくあたし嬉しいわ。タリカーンは一番いいタイミングで戻ってきたのよ。最近はこの街も前よりずっと大きくなって、色々不便でもあるのよ。道が複雑になったのもあるし、それに人も建物も増えてねえ。年寄りじゃないけど昔が懐かしいわ。あんたがここを探し当てたのはツィムダル神の恵みよね。あたしはお布施もお参りしてないけれど。お恵みだけはちゃっかり授かれるなんて、神さまもなんてご親切なのかしら。今度からお布施の一つもやらなけりゃ罰あたりってもんだわ。なんにしろ良かったわ運がよくって。ね、ウィキン」
 姿だけはすっかり大人びていたけれど、マースがおしゃべり好きなのは相変わらずのようだ。
 いっぺんに矢継ぎ早に近況を話すマースは昔のように目を輝かせていた。
 タリカーンはウィキンと目を合わせて密かに笑った。もちろん、おなじみのものに再び出会えたことが嬉しくて笑うのだ。

 ウィキンが部屋の隅にいた三人の子どもを呼んだ。
「こいつら、俺が面倒みてるんだ。――彼女はタリカーンだ。お前ら、この顔よく覚えとくんだぞ。何年経ってこの人がこの街に来ても、お前らが出迎えるんだ。いいな?」
 子どもらの一人がうなずいた。
「何言ってるのよ、この子たちの面倒をみてるのはあたし。あたしだからね、タリカーン。ウィキンはすぐ調子いいこと言うの」マースはとんでもないとウィキンの言葉を否定した。
 あまりにも二人が変わらないので、タリカーンは嬉しくて微笑んでしまった。この場所が特別だった。みんなの場所だったのだから。
「――懐かしいね、二人とも。ここでみんなで遊んだこと、あれからもよく思い出してたんだ」
「遊んでたわけじゃないぜ。俺たちは仕事してたんだ」ウィキンが真面目くさって言う。
「ほんとに?……ところで、今日は頼みもあって来たんだ。二人の仕事が以前のままなら、なんとかしてくれるんじゃないかと思って」
 二人は急に顔つきを改めた。彼らは本来の落ち着いた雰囲気に戻った。
「誰か探してるの?」と、マース。
「うん、若い男の子で、でも見た目はそれほど幼い感じではなくて――…」
 大体の特徴を話すとウィキンがすぐに側の子どもに用を言いつけ、どこかにやった。
 その後話を整理するため、要点を繰り返す。
「十四の少年で、見た目は二十歳そこそこかそれ以上。色の落ちた藍のローブをつけて、実用一点張りの剣を帯びている。背はタリカーンより頭ひとつ半高いくらい。色白で育ちはよさそう。顎がとがってる。この街に着いたのは一時間ぐらい前。……―その時間なら、モズとコロが居たはずだな」
 奇妙な名前にタリカーンは思わず聞き返した。「…何?そのコロって?」
「犬みたいな奴だから、コロ。俺がつけた名前」と、胸を張るウィキン。
 安直な上に趣味が悪い、とタリカーンが呆れ、
「そーよ。冗談じゃないわよ、犬みたいな名前つけて。傷つくじゃないの」
 マースがここぞと文句をつけた。
「いいんだよ、俺が拾ったんだから」
 ウィキンが理由になっているような、なっていないような説明で弁明していると、使いの子どもがさらに二人子どもを連れて帰って来た。

 一人は吊り上がった目の特徴的な少年。もう一人は、少し背は高いがやせっぽちの、どこにでも居そうな少女。
「ウィキン、あたしたちもうちょっとで交代の時間なの。困るわ」
 少女が顔を合わすなり冷静に口を開いた。非難する口ぶりだ。
「お前ら三時間前から正門を見張っているな」ウィキンはそれを聞き流して、質問で返した。
「ええ。そうだけど」少女はそれが、というように顎を上げた。
「今から言う特徴の男が通らなかったか、思い出せ」
 ウィキンが先ほど整理した少年の特徴を説明した。
 二人の子どもはじっと考え込んでいたが、やがて目の吊り上った少年が先に顔を上げた。
「思い出した。その人なら一人で街に入って来た。――ほら、きっとあの人だよ、モズ」
「ええ?誰」と、少女。
「俺が、プライド高そうな人だなって言った奴だよ。ボスがいつもの笑えない冗談を言った直後だ」
 少女が手を打った。「…ああ!思い出した」
 ウィキンが小さめの声で呟いた。「…お前ら、その笑えない冗談っての、ボスの前で言うなよ」
 タリカーンは少年たちにたずねた。
「その人はどこに歩いていったか、分かる?」
 そこで初めてその存在に気づいたかのように、少年たちは一斉にタリカーンに注目し、ついで顔を見合わせた。ウィキンに目を向ける。
「……この人誰?」
「お前らの注意力は一体どうなっているんだ?」
 ウィキンは嘆いた。「真っ先にする質問だろうが、それは。いつも街の中を見張っている時の注意力はどこに忘れて来たんだ」
「僕たちは短い時間にすごい集中しなきゃいけないから、その分他のことは注意力散漫になるんですよ」
「嫌な言い方だわ。仕事以外のことで文句を言うのはやめてちょうだい」
 少年と少女は同じような口調で言い返した。
 タリカーンは思わず感想をもらした。「ウィキンが子どもたちの世話をみていると聞いていたけど、これではまるで…」
「そう、子どもに面倒をみてもらっているのよ。ウィキンはいっつも子どもたちにはやり込められているんだから」おかしそうに横のマースが笑った。
「――お探しの人なら、門を入ってすぐ修繕屋のおじいさんに道を聞いて、どこかへ行ったと思います」
 コロというらしい少年がようやく本題に戻った。
 ウィキンはすぐ待機していた子どもの一人の名を呼び、その老人になんと聞かれたのか聞いてくるよう使い走りに出そうとした。
 タリカーンは慌ててそれを止めた。
「いや、そこまではしてもらわなくていいよ。後は直接私があたる。…ありがとう、コロくんとモズさん。ウィキンとマースも、突然のお願いを聞いてもらって感謝するよ」タリカーンは懐を探った。「――お代はいくら?」
「金ならいいよ。昔のよしみだ」ウィキンはあっさりと断った。
「そうよ、あたしたちの仲じゃない。あとどれだけ街に居る気か知らないけれど、またいつでもいらっしゃいよ。タダで請け負うわ」マースも簡単に言ってのけた。
 タリカーンはそれでも懐から小さな袋を取り出し、二人に渡そうとした。
「――じゃあ、足りないかもしれないけど、とりあえずこれだけもらっといてよ。珍しい怪我薬が手に入ってさ、一人だとあまり使わないし…」
 タリカーンは感謝を述べて正門にとんぼ返りした。


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