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*****序章 あらすじ*****************
 放浪の吟遊詩人、タリカーンは、旅の途中で謎の少年に出会った。
 彼は命を狙われているようだ。おせっかいから一緒に旅をすることになったが、
 追手との闘いの中で彼の謎は深まるばかりだった。
 なぜ彼は命を狙われているのか…? どこからやって来たのか?
 やっと旅を前進させた二人。タリカーンは、そこで不思議な人々に出会う。

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第一章        一.

  霧の深い日に、その場所へ行くと、おぼろげな街の影が見えるんだってさ。
  さまよえる国の中に、分け入った者は、二度と朝日を拝むことはかなわぬというね。
  そして、その霧の中の国には、見たこともないような、美しい人々が待ち構えていて、
  消えることのないごちそう、夢のような着心地のいい服を着せられて、迷い人は、永遠に、外へ出ないのだそうだ。
  …おや、なぜ知っているのかって? …さあ、それは、永遠の謎だね…。
                             ――ある里で収集されたおとぎ語り。発祥地不詳




「――早く走れ走れ走れ!中に入れ!」
 ユナンが怒鳴る。
 それはもう必死になってタリカーンは走った。
「…うるさいな!分かってる、怒鳴らないで!」
 だって背中のトロポンがぶつかって痛いのに、と文句を言いたいが、そんな暇もないタリカーンは、とにかく足を動かした。
 疾走しているのは二人だけではなかった。周りには群衆がいた。
 何人かは悲鳴を上げて、なだれこむように先へ辿り着いている。
 ラバをひいた男が情けない顔をして急いでいるのが見える。その横では、むしろのような丸めたものを頭に抱えた母娘が走っている。家畜の悲鳴じみた騒々しい鳴き声や、それを追い立てる人の声が空に響いている。山のような頭がうごめくなかで、二人も必死になって走った。
 やかましい鐘の音が響く。
 滑り込むように門の内側へ辿り着いた二人は、その場で膝に手をついて息を切らした。

「閉門ー…。閉門ー…」
 櫓の上で鐘が打ち鳴らされる。二人の後方で重い音が響き、扉が閉められた。
 外から悲鳴と怒号が沸き起こった。間に合わなかった人々が、投石を始めそうなくらいいきり立ち、失望していた。
 残された彼らは、市壁のすぐ外側で開業している宿屋に泊まるか、野宿せねばならない。外にある宿屋は足元を見てかなり高い料金をふんだくるのだ。彼らが怒っているのも無理はない。
 大きな門扉は固く閉じられてしまったが、その脇に備え付けられた小さな門は、それからも何度か開き、取り残されていたはずの人が何人か入ってきた。

「あいつら、袖の下なんか使ってるぞ……」
 息の上がったユナンはそれを睨みつけて、やっとのことでそれだけ言った。
「…しょうがないじゃない……私たち、そんなお金ないんだから…」
 体力が尽きたタリカーンはその場にへたり込んだ。みっともない、と叱っているユナンの言葉なんか耳にも入れず、ひたすら空気を吸いまくる。急に走るのをやめたせいで、かえってつらい。



 ロークタルク。黄金の街、と呼ばれる大陸でも有数の大都市だ。
 学問の発達していることで知られる学術都市で、世界中から名だたる学者がこぞってやって来る。ついでに職人とか芸術家なんかも集まってくる。ようするに様々なものが流れ込んでくる栄えた都市だった。
 ようやく辿り着いたのはいいが、ユナンもタリカーンも金が少なかった。タリカーンはここ最近稼ぎが少なかったせいで、ユナンはたんに持っていた金が減っていた。

「で?あなたはこれからどこに行くわけ?」
 タリカーンは雑踏の中を歩みながら、かたわらの連れに問うた。

 さすがは大都市。賑わいが半端なものではない。財布を体に巻きつけておいてよかった、とタリカーンはひそかに胸を撫で下ろした。
 左右には種々様々な店がひしめき合い、長い通りに所狭しと軒をつらねている。
 喧騒かしましく揉め事絶えず、取引も駆け引きも一日中絶えないこの忙しい一大市場は、黄金の都市の名にふさわしいものだった。旅人から商人から、街の人間まで、果ては欲しいものがない人間でさえ、ここに来て何かしら買わされて行くのだ。

「ん……?…ああ、そうだな…」
 ユナンはさっきから気もそぞろに目をさまよわせていた。
 そのたびに何か面白いものでも発見したのか、とタリカーンが彼の視線の先を探るが、何もない。ユナンは何に気を取られているのだろう。
 ようやく長いこと人の波をさまよっていた彼の足が止まった。市の通りの真ん中で、彼らは向き合った。
「――僕は、ここで試練を受けねばならない」
「は?何?」
 馬鹿みたいにぽかんとしたタリカーンの顔に苛立ち、ユナンは言い直した。
「僕は、これから行くところがある。ここでお別れだ」
 その言葉の中に一抹の寂しさが紛れ込んでいたとしても、タリカーンには分からなかった。
「…え?何?もう一回言って」
「だから……!」声を荒げるユナン。
「ハイハイっ!安いよ安いよ安いよ新鮮な魚!なんとこの三尾でびっくりのお値段!」
「だから、僕は!」
「そこのキレーなお姉さん!あ、振り向いてくれるなんて嬉しいねえ!何?詩人さん?じゃあもう指先を飾る指輪なんか欲しいでしょう!コレ、この指輪なんかどう?美人な吟遊詩人のお姉さんがこんな指輪つけてたら…――え?嫌?じゃコレは?待って待って、最後にコレだけ!コレコレ!」
 ユナンはようやく場所がふさわしくないことに気づき、あきらめて足早に歩を進めた。
 しつこい押し売りに困っていたタリカーンが売り子を振り払い、ようやく彼に追いついた。
「ごめん、ごめん。聞こえなかったんだよ。――で?なんて?」
「後で話す」と、腹立たしそうなユナン。
 途中で、街の東に小高い丘があり、そこが憩いの場になっているらしい、と小耳に挟んだ二人はそこへ移動することにした。

 盛り上がった丘にはほどよく刈り込まれた草が生え、街の人間が木陰に集まって世間話をしていた。
「……え?ここ?」
 タリカーンはそこに立ち止まって、目の前を見渡した。
 何故か恋人たちの多い場所だった。うっとりした空気が関係ない者にはうっとうしくてたまらない、独特の奇妙な空間ができている。こんな所に男女で座るなんて、針のむしろに等しい。
 ユナンは構わずさっさと通り過ぎ、近所の人間や主婦の多いエリアを発見して腰を下ろした。
「よし。――そこへ座れ」
 ユナンに呼ばれ、タリカーンは大人しく彼の前に座った。興味津々でユナンの次の言葉を待つ。
 あぐらをかいたユナンは真面目な顔で切り出した。
「僕の目的地はここだ。…僕は、ある所で育った。そこでは一人前の人間になるためには試練を受けねばならないことになっていて、ここでその試練が行われる。僕はそのためにここへ来た」
 タリカーンは目をしばたたかせた。
 真剣に話しているから嘘じゃないとは思うのだが、あまりに突拍子もない話でついてゆけなかった。
「…あ、そうなの」
 やっとそれだけ言ったが、後が続かない。「……で、どうするの?その、試練を受けに行くの?…頑張ってね、うん」
 その言い方にかちんと来たらしいユナンが、怒って言った。
「なんだよ、その反応は。他に言うことはないのか?」
 何を言って欲しかったんだろう、と思ったがそれは口にしない。気のきいた台詞が思い浮かばないタリカーンは口ごもった。
「え、いや……そうだよね、大変だね。儀式かなんだか知らないけど、そのためにわざわざここまで来させられて。その、村の風習かなんだか知らないけどさ、気負っちゃだめだよ。どうせつまらない迷信なんだから。そういうのって」
 適当なことを言って励ましたタリカーンの、そのあまりに的外れな言葉にユナンが声を荒げた。
「あんた、何を言ってるんだ。僕の話をちゃんと聞け。勝手な推測で変な想像をつけ足すな、なんのことだ、風習って」

 その時、声が響いた。
「――ユナン!!」
 ぎくりとした表情でユナンが固まる。その背後に駆け寄ってくる人物がある。
 タリカーンは振り向こうともしないユナンを不思議に思いながら、そちらを注視した。
「……ユナン!わあ、嬉しい。あんたに会えるなんて。いつ来たの?」
 はじけたような声は、まだ幼い少女のものだった。
 十二、三だろうか、愛らしい顔つきをした少女は、親しげな様子で振り向こうとしたユナンの首をほっそりした腕で巻いた。
 少女は明るい顔ではしゃいでいた。「嬉しい嬉しい!だってあたしさ―…」そこで顔を上げた少女は固まって、一瞬で、感情のない面になった。「…何?この女」
 初対面の人間に冷たい目で見られたタリカーンは凍りついた。ユナンを見る。年下の女の子にこんな目で見られたら、さすがに傷つく。
 ユナンはうっとうしそうに少女の腕を振りほどこうとしていた。乱暴にできないので、苦戦しているようだ。
「ネウリカ。邪魔だ、離れてくれ」
 とたんに小鳥のようにやかましくなった少女がユナンに顔を近づけた。
「ひどい!邪魔って何よ!…ねえ、この人何?部外者と接触しちゃいけないって知ってるでしょ。…それに、一緒にいるはずのハサンはどこにいるの?何してるの?ねえ、離れた方がいいよ。ユナン」

 ひそひそするのはいいが、思いっきり聞こえてるよ。タリカーンは少女に言ってやりたかった。なんだなんだ、この非常識な女の子は。高慢だと思っていたユナンの顔つきが、これ以上ないくらい謙虚でいじらしいものに見えてくるから不思議だ。

 我慢の限界になったらしいユナンが手を伸ばし、少女の腰を押して離れさせようとした。
「…きゃーっ!ちょっとちょっとどこ触ってるの、ユナン!」
 甲高い悲鳴もとい歓声に、丘でのんびり午後を過ごしていた住人たちが驚いて彼らに注目した。
 ユナンは顔を真っ赤にして少女の腕を掴み、力ずくで引っぺがした。
 ユナンは沈黙しているタリカーンを見やった。タリカーンは笑みの上りかけた口端を引きつらせていた。
「……え?いや、いいと思うよ」
「まだ何も言っていないだろう」
 ユナンは疲れた声で返し、ネウリカと距離をとろうとした。
「あっ、ひどーい!なんでそういう態度を取るの?あたしにそんな冷たくして、後悔したいの?」
 ネウリカは一瞬で彼との距離をつめる。見境のなくなった女の子とは恐ろしい。ユナンが悲鳴を上げて離れた。
「離れろ!…なんでお前に会わなくちゃいけないんだ」
 ちょっとかわいそうになってきたタリカーンが、二人の間に割って入った。
 ほほえましいと思えなくもない光景だが、一方が本気で嫌がっていると気の毒でしかなかった。

「お嬢さん。嬉しいのは分かるけど、ちょっと距離をとろうよ。彼はあなたみたいに…熱いタイプじゃないんだよ」
 ネウリカは氷のように冷たいまなざしでタリカーンを睨みつけた。「それがあんたになんの関係があるの?」
「いや、だってかわいそうだし……じゃなくて、ちょっと落ち着いてのんびり話そうじゃない」
「関係のないおばさんはあっちに行って」
 確かにおばさんと呼ばれる年齢だが、しかしそんなこと認めたくもないタリカーンは聞き流した。「…はいはい、落ち着こうね、離れようね。そんでお姉さんって言い直してね」
 ネウリカは目を吊り上げたが、あくまで冷たい声で返した。「何?あんた、なんでさっきからあたしたちに話しかけてくるの?自分が場違いだって分からないの?おばさん」
 タリカーンが再び怒りの形相になりかけた時、
「――おい!ネウリカ、いい加減にしろよ。やめろ!僕に触るな」
 距離をとっていたユナンが、おそるおそる近づいてきた。彼はネウリカの伸ばした手を恐ろしげによけた。
 ネウリカは彼に不思議そうな目を向け、少し興奮が冷めたらしい顔で首をかしげてみせた。
「ねえ、ユナンはどうしてまだこんな所にいるの?まだあっちに行っていないんでしょう?急いで行かなきゃ。――来て。あたし案内するわ」
 ネウリカはユナンの手をとり、丘の反対側へ駆け出した。いそいそと愛しい人を引っ張る様子はさすがに可愛らしい。
 ユナンは慌てた顔で手を振りほどこうとしたものの、たおやかな少女の手を強引に振りほどくこともできず、引っ張られるまま歩き出した。彼はなんとか振り返ってタリカーンに手を振った。その顔がなんだか情けなくておかしい。
 二人はあれこれ大騒ぎしながら去っていった。

 丘に取り残されたタリカーンは、しばし呆然とした。


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