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「さあ、今日はみんなの大好きなお肉よ。よく噛んで食べましょうね」
 おっとりした青の長が全てのテーブルに声をかけた。
 テーブルからは子どもたちの元気のいい声が答え、待ってましたとばかりに食事を始めた。
 食堂には長細いテーブルがいくつも並べられ、子どもたちが所狭しと椅子を並べて食事をしていた。干し肉をお湯で戻しただけの簡単な料理だが、誰も文句は言わない。家より毎日ずっと安定した食事が摂れるという子が多かった。
 彼らは口々におしゃべりしながら食べていた。

 タリカーンは、サリエシカとリネットとエルバ、それからさっき紹介された同室のヤエニと一緒に食事をしていた。タリカーンの割り当てられた部屋は、幸運にも住人が少なかったのだ。

「――ねえ、タリカーン。この食堂の料理はどう?」
 ヤエニが真向かいからたずねてきた。

 ヤエニは、髪をきつく後ろに引っ張ってお団子にまとめた髪がよく似合う、落ち着いた雰囲気の少女だった。十三らしいが、もっと大人びて見える。
「文句なしにおいしいに決まってるわよ。今晩はあたしたちが手伝ったんだから」
 タリカーンの横に座っていたサリエシカが声を上げた。
 彼女の方でも、褐色の髪をお下げにした姿がよく似合っている。十五ぐらいだと言っていたが、表情によっては、もっと大人びたり、もっと幼くも見えた。
 今は手につまんだ肉をぶらぶら揺らしながら、横のタリカーンの顔をうかがっていた。
「もお!ばらしちゃ駄目じゃない、サリー」ヤエニが怒ったようにサリエシカを睨みつけた。
「あ、ごめん、ごめん」サリエシカは慌てたが、あまり悪びれていない。
「あなたたちが作ってるの?」
 タリカーンは意外に思った。「てっきり青の長とか、大人の方が大勢で作っているのだとばかり…」
「セイは教えてくれるだけなの」
 と、何か言いたくてうずうずしていたリネットが口を挟んだ。
「部屋ごとにその日の当番を決めて、あたしたちだけで食事を作らされるんだよ。今日はあたしたちの部屋もだったの」
「え?でも、私は呼ばれなかったけど」
 びっくりしたタリカーンはヤエニたちを見た。
「タリカーンは来たばっかりだもん。セイが、疲れてるだろうからって、手伝わせなかったのよ」同じくうずうずしていたエルバが言った。
 それからちびっこ二人は声を合わせてため息を吐いた。
「…いいよねー、タリカーンは」
「――私も言われればお手伝いしたのに」
 気落ちしたタリカーンは眉をしかめて肉を噛んだ。
 旅慣れているから少々のことでは疲れないし、料理は好きだ。そこまで気を遣われているとは思わなかった。
「ありゃりゃ。気にすることないのよ、タリカーン」
 と、ちび二人の頭を軽く小突きながらヤエニが言った。
「まずは他に覚えてもらうことがあるもの。食事当番くらい、飛ばしたらいいわ」
 まるで自分がずっとここに居るような扱いであったので、タリカーンは慌てて否定しようとした。ここははっきりさせておかねばならない。

「――タリカーン」
 その時背後から声がした。タリカーンは振り返ってびっくりした。
「ユナン!無神経男がまた来たわ」
 サリエシカがこれみよがしに横のエルバを引き寄せて抱き締めた。
「――またろくでもないことを言いに来たのよ。気をつけましょう!」
 ユナンの頬がぴくりと引きつったが、何も言い返さなかった。馬鹿馬鹿しい、と冷えた目で彼女を一瞥し、タリカーンと目を合わす。
「タリカーン、食事が済んだら赤の長の所へ行ってくれ。用があるそうだ」
 タリカーンはうなずきながら彼の顔をまじまじと見つめた。
「分かった。――…どうしたの、それ?」
 ユナンは一瞬顔の腫れた所や傷に手をやろうとして、止めた。
「…なんでもない。伝言はそれだけだ。赤の長の部屋は誰かに案内してもらえ」
 彼が行ってしまうと、サリエシカとリネットは口をとんがらして非難した。
「なんなの、あの態度!タリカーンは大人なのに、全然控えめな態度を取らないんだから!」
「あたしたちの部屋を覗いたこと、まだ反省してないわ!」
 ヤエニが肩をすくめ、すすっていた野菜スープから口を離して言った。
「…またけんかしたのね、ユナン。マラボイといい加減仲直りしたらいいのに」
「無理でしょ」サリエシカが声をひそめて身を乗り出した。
「マラボイは、ものすごくユナンが嫌いなのよ。ここに来た時から。――今回二人とも試練だったでしょう?その時、マラボイがユナンに何かしたんだって」
 ヤエニが片眉を上げて見返した。「何かって?」
「何かよ…手を出そうとしたらしいけど」
 サリエシカは横のタリカーンが見つめていることに気づいて、慌てて打ち消した。「もちろん噂だけどね!」
「あんたはそういう噂を鵜呑みし過ぎ」
 ヤエニはぴしゃりとはねつけ、静かにスープをすすった。
 サリエシカはむくれて椅子に座りなおし、肉をわしづかんだ。乱暴に口に入れる。
 タリカーンは彼女が飲み込むのを待って話しかけた。
「サリエシカ。ユナンはしょっちゅうけんかするの?」
「けんか?うん」サリエシカは今度はスープに手をやり、それを飲み干しながら答えた。
「――ユナンは男たちからすごい嫌われてるのよ。あんな性格じゃ無理もないけどね。…このスープ、薄いわ。水じゃない」
「ミレヴァたちの味つけでしょ。あの子たちケチだもの」ヤエニが肩をすくめて答えた。
 タリカーンはなおも質問した。
「でも、青の長はユナンが面倒見がよいとか慕われてるということは仰っても、嫌われているようなことは一つも仰らなかったよ。彼女は何も気づいていないんだろうか?」
 サリエシカとヤエニは真顔で見つめ合った。
「年下には人気があるのよ」と、ヤエニ。
「…セイはすごく優しいけど、あんまり頼りにはならないのよね。特にユナンにとってはそうね」
 サリエシカは残りわずかな肉をもてあそびながら言った。

 これ以上ユナンの話題は避けた方がよさそうだ、とタリカーンは察した。それで今度は食事の味つけについて話し出した。女の子たちは誰の味つけがよいとか悪いとかいうことで大騒ぎし始めた。食卓はにぎやかで、話題に事欠くということはなかった。



 タリカーンは一人で神殿に向かっていた。
 既に太陽は消えている時刻だった。
 神殿は複雑な部屋割りではなく、大部分が広い回廊に占められている単純な構図みたいだから、迷いにくいだろう、と昼間見た時感じたからだ。
 サリエシカたちは案内すると言って聞かなかったが、食事の後片づけもあり、なおかつ一人になりたがったタリカーンが断ったので、道を教えるだけにとどめた。それに、中に入ったら誰かを見つけて道案内してもらえばいい、と考えていたタリカーンのもくろみは外れた。神殿の中は静かで、人っ子一人見つからなかった。
 考えてみれば、揺るぎの玉の人間は、長老と長たちと、それに修学者と呼ばれている子どもたちだけである。その他に世話係などがいたとしても、それほど人数が多いわけではなさそうだ。
 食事の時に聞いた話によると、揺るぎの玉はできるだけ子どもたちに自立した生活をするように指導しているようだった。掃除も料理も全て子どもたちのやることだった。

 …今、神殿を歩いているのは自分だけではないか。
 タリカーンはだんだん嫌な想像が膨らんできた。これで迷ったらどうしよう。

 しかし、今のところタリカーンは教えられた道順を正しく進んでいた。問題は、彼女はそれが正しいのか間違っているのか分からず、不安だったということだけだった。
 あと少しで赤の長の部屋に行ける、というところでようやく人の影を見つけた。
 背がすらりと高く、ほっそりした男だった。上品な雰囲気を身に纏い、どこか優美なしぐさをする。振り向いたその動作も極めて自然で、無駄というものがなかった。

 男はわずかに眉を寄せて突っ立っているタリカーンの姿を見つめた。
 冷たい顔が、何故ここに人が立っているのか理解できない、とでもいうように見下ろしている。
「君は誰かね?」
 男が問うた。静かな声だが、抑揚があってよく通る。
「タリカーンと言います。今日ここへ何故か連れて来られた吟遊詩人です」タリカーンは答えた。「・・・あの、赤の長の部屋へ行きたいのですが、このまま進めば行けますか?」
 男は無表情な顔を廊下の先へ巡らせた。
「そういうことか。――このまままっすぐ行きなさい。すぐだ」
 タリカーンはお礼を言ってその横を通り過ぎようとした。が、ふと気が変わって男にたずねた。
「あなたも長ですか?」
「いかにも。見て分からんかね?」男が鋭い視線を離さずうなずいた。
「何の長ですか?」
「金の長だ」男は一言で片づけようとして、タリカーンの目を見てつけ加えた。「"輝(か)ぐ日"をつかさどる。――まだ質問があるかね?」
「ありません」
 背を向けて歩き出したタリカーンは、何故か体から噴き出す汗を感じて、胸の内で息を吐いた。妙に威圧感のある人物だった。対面しただけで相手を緊張させる人間というものに、初めて出会った。威厳というのはああいうものを言うのだろう、と一人納得したタリカーンはうなずいた。
 確かにすぐだった。タリカーンはそれらしいしっかりした造りの木の扉を前にして、咳払いした。この厚みのありそうな扉では声が通りにくいと思ったのだ。
「……赤」
「来たか。入りなさい」
 赤の長が声を上げるのが先だった。
 タリカーンは言いかけた言葉を飲み込み、失礼します、と呟いてその部屋に足を踏み入れた。
 照明がほとんどなく薄暗かった廊下とはうって変わって、明るさが目に眩しい部屋だった。その差に目をつぶりかけたタリカーンを見て、誰かの笑い声が近づいてくる。
「眩しそうだな。――早く扉を閉めなさい」
 タリカーンはうなずいて後ろ手にドアを閉めた。どうやら、壁際に置かれた揺るぎの玉が光源らしかった。こういう使い方も出来るのか、と感心してしまう。タリカーンはしばらくまたたいてから、ようやく赤の長その人の姿を見つけ、近寄った。
「今晩は。――何か話がおありだそうですね?なんでしょうか?」
 問いかけたタリカーンに、赤の長が笑って椅子を勧めた。
「そう話を急くな。まず、腰を下ろしなさい。何か飲むかね?」
「出していただけるなら、白湯でけっこうです。私はせっかちな性分なんです。話ってなんですか?」タリカーンは腰を下ろしながら重ねて聞いた。
 赤の長は本当に湯を沸かしに行き、奥へ姿を消していた。声だけが返ってくる。
「ちょっと待て。私はいっぺんに二つのことはできんのだ」
 絶対嘘だ、と思いながらもタリカーンは大人しく返事を返し、暇つぶしがてら部屋をじろじろ観察した。
 書物などいかにも知識人らしいアイテムが散らばっているが、整理されていない服や小物なども奥に見かけられる。きちんとした性分ではないらしい。
 タリカーンは赤の長にいい印象を持っていなかったので、彼が間違いなく嫌がるであろう片づけをしてやろうかと考えた。
 研究だかなんだか知らないが、床に落ちている無精な道具を勝手に整理してやることで、彼がどんな反応をするか想像してみた。
 タリカーンは彼が湯を沸かして戻る前を見計らって、部屋を片づけだした。
 予想通りすぐに姿を現した赤の長は、驚いた顔をして慌ててタリカーンを止めた。

「…何をしてる!勝手に私の物に触るんじゃない!」
「…でも、あまりに散らかっていたものですから……」
 タリカーンはわざと生真面目な顔で振り向いた。
「どこに何があるかは分かっているんだ。これ以上ないくらい居心地よい環境にしていたのに、なんてことをするんだ!」
 赤の長はかんかんになって怒鳴りつけたが、とっさに持っている白湯を床に置くこともできず、もどかしそうに手を振った。
 タリカーンは十分満足すると、これ以上は大人気ない行為はやめよう、と思って再び腰を下ろした。
 部屋の隅から埃をかぶった机を運んできた赤の長が、ため息をつきながら彼女の前に白湯を置いた。
「――まったくなんて非常識な。…子どももやっかいだが、慣れていないお前のような成人の相手をするのも疲れるものだな」
「じゃあ、帰らせてください」タリカーンは悪びれず彼を見上げた。
 赤の長は腰を下ろし、頭をなでつけながら言った。「それは無理だ。――飲みなさい」
 タリカーンは出された飲み物には見向きもせず、強情な声で詰問した。
「なんで無理なんですか?私が何かしましたか?試練のことはお詫びしました。私はここに居たいとは思いません。本人の意思を無視して何を勝手な――…」
「お前は自分の価値を分かっていない」
 赤の長は身を乗り出した。目が輝いている。
「いいかね?"夢睦の白"だぞ、夢睦の白!それも、あんなにはっきり鏡の中で白く輝いた。お前の才能は素晴らしいものなんだ」
 だからなんだ、とタリカーンは彼を睨んだ。
 自分の人生をここで浪費しろなんて、冗談じゃない。
「…いいかね、ここ最近、"揺るぎの玉"にはお前のような才を持った人間が現れなかった。長老でさえ、"夢睦の白"の力を使おうとしても、誤った未来を見ることしかできないだろう。その才を持っていない人間には、使いこなすことが難しい力なのだよ」
「長老は何の長だったんですか?」
 タリカーンは初めてまともに質問した。
「金の長だ。だから、長老は元々"輝ぐ日"を最も得意としてらっしゃる。もちろん、あの方は並外れた使い手で、"夢睦の白"以外の力なら全て使いこなしていらっしゃる。だが、その分野においては、お前の方が長老よりも力を発揮できるのだ!これは夢のようなことなのだ。分かるかね?吟遊詩人の娘」
「そんな不遜な夢を見たいとは思いませんね」
 タリカーンは無愛想に答えた。
「私は歌を歌って生計を立てられたら、それで満足です」
 赤の長は白湯で口を湿らしてから続けた。
「――もちろん、吟遊詩人であることをやめろとは言わない。ここを卒業したのち、お前がどのように生きようと自由だ。だが、ここで我々の教えを学ぶうちに、お前の頑なな考えも変わるだろう。…予知ができる揺るぎの玉の使い手となれば、あちこちの王族、豪族からの誘いが、引く手あまたでお前を迎える。悪い人生ではないぞ。もちろん、我々揺るぎの玉の役に立ってもらう時もあるだろうが、基本お前は自由なのだ」
 タリカーンは閉口して彼の言葉を聞いていた。赤の長は熱心に弁舌をふるう。彼の瞳はきらきら純朴に輝いていた。
「信じられないような禄で王族に仕えることができる。一生生活に困ることはないだろう。――どうだ?ここに居る気になったかね?」
 タリカーンは黙って白湯に口をつけた。睨むように赤の長を見つめていると、彼は声の調子を変えた。
「私は無理強いする気はない。お前は異例の方法で素質を発見され、迎え入れるかどうか迷う長の声もあった。しかし、私がお前の才能のことを審議で告げると、みな驚き、満場一致でお前を迎えることが決まった。それほどお前の才能は貴重で、珍しいものなのだ」
 タリカーンは白湯を置いた。あれこれ考えを巡らし、口を開く。
「…審議?審議とはなんですか?」
「長老と私たち長が集まり、開く会議だ。長老が出席なさらない場合もあるが、今回は全員で意見を交換した。お前のケースは特別だからな」
「満場一致とおっしゃいましたが、長老は私を仲間に入れることに反対されていたはずでは……?」
 赤の長は初めて言葉を止めた。しかし、すぐまた何でもないかのように喋り出した。
「長老をのぞく我々長は、全員一致して賛成した、という意味の満場一致だ。残念だが、長老は慎重なお方なので、あらゆる物事に慎重な対応をなされるのだ。だが、不安になることはない。お前がどういう人間か理解されたら、長老もお前の味方になってくださるだろう」
 タリカーンはさっきから気になっていたことをたずねた。
「…ところで、私の名前を覚えていらっしゃいますか?」
 赤の長はちょっと黙り込んだ。白湯を飲み、それから平然と答える。
「タリカーンだろう。お前が自ら名乗ったではないか」
「良かった」タリカーンはわざとらしく肩をすくめてみせた。とげのある声で続ける。
「さっきからお前としか呼ばれないので、ご存じないのかと思っていました」
「もちろん知っているとも、タリカーン」やや慌てた声で赤の長がなだめにかかった。
「気分を害したのなら謝罪しよう。――とにかく、お前…お前は一度冷静になって考えてみるべきだ、タリカーン」
 タリカーンはしばらく手元を見つめて黙っていた。このままでは平行線だ。それからしばらく考えた末、真っ向からこの話に反対するのは諦めた。ここはひとまず、違う話でお互い頭を冷やした方がよさそうだった。
「――ところで、ユナンの話ですが…」
「何?ユナン?」
 突然出てきた名前に、赤の長が意外そうな顔になる。タリカーンはうなずいた。
「ユナンは、ここではうまくやっているのですか?どうもあの性格では、周囲と色々衝突していそうですが…」
「ああ。お前はユナンを心配して塔まで来たのだったな」
 納得がいったように赤の長は髭を撫でてうなずいた。
「保護者のような気持ちになっているのかね?」
「そうではありませんが……心配です。なんでも、よくけんかしているそうですね?」言いながら、これじゃ保護者以外の何者でもないな、と思う。
「ユナンは、な……」
 赤の長は珍しく言いよどんだ。たった今までの演説じみたはきはきした物言いが揺れ、歯切れが悪くなった。
「才能のある子だが、気の強いのがいかん。ここに来た時から問題を起こしてばかりいる。周りとなじもうとする努力をしていない」
「でも、そこまで気難しい性格じゃないと思いますよ」
 タリカーンの言葉に赤の長は笑った。「もちろんだ。なんだ、そんなに心配かね。――彼はうまくやっているよ。どのみち、つまらない嫉妬や嫌がらせで駄目になるような人間ではない。お前や私が心配する必要はない。それに、それは彼が自分でどうにかせねばいかんことだ」
「嫉妬?どうして嫉妬されるんですか?もしかして、身分が高いとか?」
 彼の高慢な態度からして、それは十分ありうることだった。
「いや、身分でいえば平民だ。しかし、ユナンには素晴らしい才能がある。彼は揺るぎの玉に入るために生まれたといっても過言ではないし、その他の実技…つまり剣術においても、素晴らしい腕前を持っている。他(た)から嫉妬されるのも当然だ」
 タリカーンはユナンの言葉を思い出していた。
 …マラボイが何度も自分を殺そうとした、と言ったユナンの言葉は冗談ではなかった。そしてタリカーンは彼がそういうくだらない嘘をつくような性格ではないことも既に知っていた。

「…でも、周りの嫌がらせは度を越しているんじゃないですか?」
 赤の長は急に冷めた目つきになった。
「それはユナン自身が判断し、我々に訴えることだ。お前が気にすることはない」

 この時、タリカーンはユナンの高潔さがどこから来ていたのか悟った。この里だ。

 ほとんどの長は閉鎖的で、他者を見下したような目をしている。それは、特別な才能を見出され、特別な教育をほどこされてきた者だけができる目だった。王族など、限られた人間だけに許される目でもあった。
 この里の人間は全て高いプライドを持ち、他者を寄せつけない力の強さを自分たちに求めている。
 ユナンが人に頼ろうとしないのは、彼の生来の我の強さだけではなく、揺るぎの玉の気質が影響しているといえそうだった。

 タリカーンは立ち上がった。これ以上彼と無駄なやり取りをする気はなかった。
 赤の長は目で彼女を追った。
「どこへ行くのかね?」
「外です。私は明朝出立させていただきます。色々お世話になりましたが、これっきりの出会いだと思っていただきたい」
 振り返ることなく返されたタリカーンの答えに、やや慌てた赤の長は立ち上がり、タリカーンの方へ回りこもうとしたが、なにしろ床に散らばった物が多いせいで思うように動けなかった。彼は悪態をついてから言った。
「…どうしたんだ?…ユナンが心配ではなかったのかね?彼をここに一人残して行く気なのか?」
 タリカーンは戸口で一瞬振り返りそうになった。それを押しとどめて、努めて平坦な声で返した。
「…あなたが仰いましたね。ユナンが自分でなんとかすると。そのとおりです。私も彼の人生に口出す気はありませんから」
 赤の長はちょっとの間黙っていた。
 タリカーンが扉に手をかけた時、彼は低い声でたずねた。
「…今回試練の間で起きたことだが、ユナンは何か言っていたのか?」
 タリカーンは振り向いた。
 赤の長は床から拾い上げた書物に息を吹きつけ、埃を払っていた。
「――何も。彼は何も言っていませんでした。…何故です?」
「そうか。ユナンはマラボイの仕業だと思っているんだろうがね」
 タリカーンは目を険しくさせ、書物を踏むのもかまわず彼に近寄った。
「あなた方も、マラボイという子が怪しいと思っているんじゃないですか?そうでしょう?」
「そう思っているのは私だけだ。他の長は、誰がやったか興味がない」
「……やっぱり、人の故意による仕業だと思っているんですね?」
 タリカーンは赤の長の前に立ち、彼を睨みつけた。
 赤の長は書物を机に置いて彼女と目を合わせた。
「偶然にしては出来すぎている」
「では、どうしてユナンを守ってやらないんですか?あなた方は監督する役目があるのではないですか?」
「彼の身は彼が守るべきだ。――我々は彼の親ではないし、親だったとしても、そこまでする気にはならん。この先彼は一人で生きていくのに、こんな序盤から他人の手を借りて自分の揉め事を収めるというのかね?」赤の長はきっぱりと言い切った。「我々は子どもを甘やかすために存在しているのではない」
「ユナンが死んでいたら、犯人を捜そうとしましたか?」
「もちろんだ」赤の長はうなずいた。
 タリカーンは黙った。しばらく赤の長を睨んでから、これがここの決まりなのだ、と悟った。

 大人は教えるだけで、手を貸さない。子どもたちも大人に期待はしない。その代わり自分たちで好きなようにする。そして卒業したら、本当に一人前なのだ。
 赤の長は親身なまなざしになってタリカーンの肩に手を置いた。
「…ユナンが心配かね?ならば、ここに残って彼に力を貸してやればいい。――確かに、ここ最近彼は危ない橋を渡っているようだ。誰かの力が必要な時があるかもしれない。だが、私たちは基本子どもの間で起きていることには手を出さないことにしている。それが我々のやり方だからな」
 タリカーンは黙って彼の手をどかさせた。しばらく沈黙を守っていると、長はやれやれと首を振り、椅子に戻って腰を下ろした。
「ここで揺るぎの玉の教えを受けることは、おまけだと思えばよい。ユナンは、誰かが見守ってやるべきなのかもしれん」
「…私は人の人生に口出しするのは、嫌いなんですよ」
 タリカーンはようやく言葉を発した。赤の長は白湯を飲んでいた。
「――もちろん誰だってそうだろうさ。おせっかいな人間以外はな。だが、お前はロークタルクまでユナンに付き合ったぐらいおせっかいなんだ。一年我慢したって悪いものではないだろう」
「一年?」タリカーンは眉をひそめた。聞いていない。なんだろうか、その期限は。
「お前ぐらいの年齢なら、急げばそれくらいの時間で教えを習得できるだろう。普通の修学者は、十歳にならないうちにここに入り、十五ぐらいまでに卒業するものだが、お前のように成人した人間であればゆっくり教える必要もない。型破りの短さだ。お前があまりに揺るぎの玉に入ることを拒否しているので、それを考慮して審議で決まった日数だ。一年ならば、そう長くもないだろう?」
「いや、私にとっては十分長いですよ」タリカーンは抗議した。
「これでも譲歩した数字だが。二年でなければ、とてもではないが教えられない、という長もおったのだ。しかし、お前はその前に勝手に出て行きそうだったからな。どうだ?タリカーン。今夜じっくり考えてみるといい」
 タリカーンはしばしその場に立って赤の長の顔を見つめていた。タリカーンは首を振った。
「……一晩もいりません。結構です、お誘いをお受けしましょう。ここでしばらく過ごしたいと思います」
 赤の長は顔を輝かして立ち上がった。歩み寄り、不服そうなタリカーンの手を握る。
「よく答えた!――お前なら理解するだろうと思っていたがな。私は今、まるでプロポーズを受け入れられたかのように喜ばしい気分だ!」
「やめてください。私はユナンのために承諾したのですよ」タリカーンは手を振りほどいた。
「分かっている」
 真面目な顔に戻った赤の長がうなずいた。「――だが、彼への口出しはしないことだ。ユナンほど誇り高いやつはいない」
「そうですね」タリカーンもそれにはうなずいた。
 また笑顔に戻った赤の長が今度はタリカーンの肩を叩こうとしたが、嫌がったタリカーンは身をひねって逃げ出した。


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