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「どこから来たの?え、南から。あっそう」
 さっきからしつこく話しかけてくる楽師がいる。中年の、大人しそうな顔つきの竪琴弾きだ。

 タリカーンはこの広場に足を踏み入れた瞬間、なんだか嫌な予感がした。
 水場のすぐそばで固まっていた楽師の一団が一斉に彼女に注目し、じろじろ観察しだしたからだ。
 そして、石造りの水場の囲いに腰を下ろしたタリカーンがトロポンの調節を始めると、さっそくこの男がやって来て、彼女に話しかけだしたのだ。
「――…あのね、ところでね、お嬢さん。ここは我々がいつも演奏している広場なの。音がぶつかっても嫌でしょう、移動してくれる?」
 タリカーンは顔を上げて、初めてまともに相手と目を合わせた。「――いくら必要なんですか?場所代が必要なら払います」
「え?いや、そういうことでもないんだよ」
 勘違いしたタリカーンに、男がせわしない動作で離れた場所を示してみせた。「ちょっと離れて欲しいだけなんだ。あのね、違う楽器だったらあなたを我々の楽団に入れてあげてもいいけどね、それ、トロポンでしょう。我々の仲間にはもうトロポンはいるから、二つも三つも必要ないの。あのね、お嬢さんも分かるでしょう。楽師が大勢ぶつかっても演奏の意味ないからね。分かったらさっさと向こう行って」
 迷惑そうにしかめられた男の眉を見て、タリカーンは大人しく下ろしたばかりの腰を上げた。
 確かに、何人もの楽師が同じ場所で演奏を始めたって、騒がしいだけでろくに聴いてもらえやしない。
 タリカーンとしても、他の楽師に占(と)られた場所に未練はなかった。やはり、人の大勢集まってくる場所は、誰かしらいるものだ。


 しばらく通りをぶらついていると、別名糸弾きと呼ばれるシュケルタイのねが聞こえてきた。
 タリカーンはそちらに足を向けた。
 シュケルタイとは、中が空洞になっている木の筒を加工したもので、その空洞の中に縦に糸を張り、その糸をつまんで指をすべらして演奏する、一風変わった楽器だ。とても幻想的に響く音色がするので、タリカーンはシュケルタイが好きだった。

 左右に立つ高い壁のために日の当たらない通りだった。それでも、風が時々吹き込んで涼しい。
 そこに、その楽師たちはいた。二人おり、一人はシュケルタイを抱えるように持って座ったまま演奏している。
 壁にもたれて立っている方の男が、近づいて来たタリカーンに気がついた。鈴を持っている。男は顔を上げた時、その鈴をシャリンと小気味よく鳴らした。
 タリカーンは向かいの壁の下に座り込み、しばらくその音色に耳を傾けた。演奏が途切れた時、立ち上がって彼らの前にあった皿に小銭を入れた。
「おかしなやつだな。同業者だろ」
 鈴を持っていた男が話しかけてきた。タリカーンは顔を上げた。
「素敵な音色だ。――糸弾きはいつ聞いてもいいですね。なんて言う曲なんでしょう?」
 シュケルタイを演奏していた老人が、顔を伏せたまま答えた。「"プロパスカンの流れ"。東から伝わってきた古い曲だよ」彼はそう言うと、ぶ厚くなった指の腹で鼻を掻いた。
 長年糸を弾き続けてきた彼の指の皮はとても厚く、それを目にしたタリカーンは何故だか胸が熱くなった。
 自分もいつかこんな姿になれたら、と憧れがつのる。

 それからもしばらく黙々と演奏を続けていた二人は、立っていたタリカーンとおしゃべりを始めた。
 人通りは少なく、二人は長いこと演奏していたにもかかわらず、その間の稼ぎはわずかだった。しかし慣れているのか、彼らは気にした様子もなかった。

「…へえ、ジャインタインに行ったのか。あそこはまだいいよな。人は多いし、のんびりした気勢だし。俺たちは二年前に行ったことがあるよ」鈴もちの青年は思い出すように遠くを見て言った。
 節ばった腕にシュケルタイを抱えた老人は壁にもたれ、目をつぶりながら話した。「――昔は、あそこはもっと小さな街だった。いつの間にか人が増えたんだ」
「あなた方二人はずっと旅を?」と、タリカーン。
「ああ、俺はじいさんに引き取られてからずっと。昔はじいさんももっと若かったよな、そういえば」
 どうやら糸弾きの老人がこの青年を引き取り、老人が亡くなった後は青年がそのシュケルタイを引き継ぎ、また鈴もちをする若者を探すという段取りらしい。こうやってずっと続いていくのだろうな、とタリカーンは思った。
「そうそう、広場はもう占られていたろう。あの楽師集団はずっとこの街に住んでる連中だよ。よそ者には演奏させてくれないんだ。――どうだ、姉さん。東門の近くに行ってみたら。あっちには手入れされていない原っぱがあって、人は少ないけど同業者は誰もいないから思いっきり演奏できるぜ。俺たちも時々あっちで演奏するんだ」
 青年の勧めに従い、タリカーンは街の東門にゆくことにした。

 なるほど、確かに広々とした通りがあった。
 門まで続く通りは荷車が四台並べるくらい広い。道をはみ出しても大丈夫なように、両脇はただの原になっている。
 辺りには、荷運びの労夫を目当てに水や果物を売っているうさんくさい風情の露天商以外、ほとんど人影もなかった。蝶が花から花へと飛んでいて、のどかだった。

 原に腰を下ろしたタリカーンは、しばらくそこでトロポンをかき鳴らしていた。
 時々、荷車を牽く労夫や、馬に荷を運ばせる荷運びなどが通って行く。彼らは仕事中なので立ち止まることは少ないのだが、気前のいい人は通りがかりに小銭を投げてくれた。
 誰にも邪魔されず、自分だけの演奏を思う存分できるというのは気持ちのいいものだ。目の前の原を越えた先、遠くに白っぽい家々がかたまってまぶしく、午後の陽気な空気を作り出している。通行人がそれを遮るように歩く。
 タリカーンは好きな歌を好きなだけ歌っていた。


 ――やがてそれは見えてきた。今度はタリカーンも、すぐそれと気がついた。

 …白っぽい基調の室内だった。
 塔のような構造の建物なのだろう、白亜というにふさわしい上品な壁が部屋を丸く囲んでいた。壁には、三角形の窓が等間隔にあいている。窓の一つから、珍しい形をした茶色の屋根が見えた。
 部屋には机があり、その上に儀式にでも使うような燭台が置かれている。その手前には、絹らしい手触りのよさそうな布にくるまれた、球状の物体がおごそかに置かれていた。
 机のちょっと手前の床、その左右には、何かの象徴だろうか、飾りの槍が立っている。武器を部屋に飾るのはただの趣味だからそれは珍しくない。

 机の奥には威厳のある男性三人が立ち、彼らが見つめているのは――驚いたことにあの少年、ユナンだ。
 ユナンが驚いたように振り返った。男性三人も目を向ける。その時、ユナンの横に立っていた槍が傾いた。
 穂先はユナンの頭に落ちようとしている。

 タリカーンはぎょっとした。手元が狂い、トロポンが不協和音を立てた。
 ぎょっとしたせいかどうか、その幻はまたたく間に消えてしまった。ほとんど一瞬の映像だった。

 ――思わず天を仰ぐ。すでに夕陽が空を染める時間帯だった。
 橙に照らされたタリカーンの面は緊張し、濃い影を落とした目が考えに沈んだ。
 さっき見た光景では、窓から外が見えていた。快晴の青々とした空、あれは明らかに日の高い時間帯だった。

 気のそげてしまったタリカーンは演奏を中断し、宿を探すことにした。


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