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 それからは何もかも驚きだった。
 塔の一室に押しこめられたタリカーンは、外に出るなと釘をさされてその晩をそこで過ごした。鍵をかけられたので脱走できなかった。

 翌朝、昨日赤の長と呼ばれていた恰幅のいい男が部屋にやって来て、彼女にこう告げた。
「長老と相談した結果、どうやらお前を私たちの仲間に迎え入れることになりそうだ。出立の準備をしなさい」
 タリカーンはどこへ行くのかと聞いた。
「――我々の育った里、ミライオルだ」

 "揺るぎの玉"という集団は、それからタリカーンを伴ってロークタルクを出た。
 ロークタルクから二日歩くとラインという川に出る。一行はそこから船で遡って目的地へ行こうとした。
 それまで集団から一人だけ孤立するように旅をしていたタリカーンのところに、ユナンがやって来た。手に布切れを持っている。
「…すまない、ちょっと我慢してくれ」
 その声に少し気詰まりそうな色がにじんでいるのを聞き取って、タリカーンは彼に任せることにした。ユナンは彼女に二重に目隠しをした。
 舟に乗って川を遡る。いくつもの支流が流れ込んでいるライン川は複雑だ。タリカーンは自分がどこへ向かっているのか分からなかった。
 一昼夜かけて舟は進んだ。
 どこかの岸へ着いた時も、彼女はまだ目隠しをされていた。
 周囲の者はそこまでの道中で会話をすることがあったが、タリカーンに話しかけようとはしなかった。タリカーンが目隠しを取ることを許されたのは、用を足す時だけだった。
 彼女は孤独と不安で胸が圧迫されているかのように苦しかった。景色が見えないというのは想像以上に怖かったのだ。

「歩け」
 岸に上がったとたんかけられたその言葉に、タリカーンはびっくりして顔を上げた。
 相手は神経質そうな男だろうか。この状態で歩くのは危ない、とタリカーンは文句を言った。
「ここに初めて来る時はみなそうしている。お前が我々の仲間になるまで、拠点の場所を覚えることは許されない」と、神経質そうな声が苛立った。
「――僕が腕を組んで案内する。我慢しろ。あんたのためだ」
 ユナンがタリカーンの腕を取った。
 タリカーンはまだ不安だったが、大人しくうなずいた。少し離れた所から、ネウリカが騒ぐ声が聞こえた。

 目隠しをしていたタリカーンの時間感覚はあいまいだったが、それでもずいぶん長いこと歩かされたと感じた。
 今居るのは森林だろうか。というのも、足の裏に感じる柔らかい地面は緩やかに傾斜がついていて、木の根にけつまずいて転びかけることも何度かあったからだ。
 タリカーンは、今頃になって肌に感じる空気の変化に気がついた。
 街から遠く離れ、頬が引きつるように乾燥していた内陸の空気が、いつの間にか湿り気を帯びているようだった。ロークタルクよりは乾燥していない地域らしい。野から吹きつける砂塵を街を囲む防壁で遮るロークタルクは、乾いた土地だった。それも今は遠く離れてしまった。

 急勾配の坂を登った時は冷や冷やした。
 タリカーンは足が石ころにとられてすべりかけ、心臓がとまるような思いを味わった。
 他の者はかがむような姿勢で歩いていたろうが、タリカーンはほとんど這うようにして歩いていた。
「平気か?まだ三分の一だ。気を抜くなよ」
 横からユナンの声が聞こえてきた。タリカーンはうなずいた。
「…あなたこそ、気をつけてよ。私の大事なトロポンに傷をつけないで」
 タリカーンはこれから斜面を登ると教えられた時、彼にトロポンを代わりに背負ってくれと頼んでいた。自分は転げ落ちて怪我をしても治したらいいが、トロポンはそうはいかない。
「分かってるよ」
 ユナンはあきれたように返した。楽器の方を心配しているタリカーンにあきれたのだろう。
 斜面を登りきってなおしばらく歩くと、タリカーンはようやく目隠しを取ることを許された。


 その光景を目にしたタリカーンは、その場に立ち尽くした。
 見たこともないような、壮麗で巨大な建造物が、彼女を圧倒するように出迎えていた。
 一面が真っ白な建物だった。
 外を囲むように並び立つ円柱は根元に繊細な彫刻がほどこされ、それらが支える屋根は日差しをうけて眩しく輝いている。
 白い壁がめいっぱい陽光を照り返し、辺りはまるで太陽に祝福されているかのように輝かしい光に溢れていた。
 入り口の向こうには優美な線の柱が静かに林立し、奥へ向かって整然と並んでいた。影になっている屋内は翳り、神秘的な雰囲気が漂っている。
 その白い巨大な建造物は、山にのめり込むように建っていた。
 山の急な斜面から突き出した姿は、奇妙に自然と調和している。山を掘り出して建てたのだろうか。一体どれだけの人の手と年月がかかってできたのか、タリカーンには想像もつかない。ただただその厳かで優美な姿に息を呑むしかなかった。

 驚きいっているタリカーンに、満足そうに声をかけた者があった。
「どう?――これがあたしたちの里、ミライオルよ」胸を張ってそう告げたのはネウリカだ。
 タリカーンは呆然としたまま入り口へいざなわれた。

 見上げなければ見えない天井とは恐れ入る。
 巨大で長細い入り口の前に立ち、赤の長が懐から水晶の玉を取り出した。彼の"揺るぎの玉"だろう。
「――揺るぐものは水面なる。我を映すものは鏡なる。いざ、我らを受け入れたまわん、我らが白き敷居よ」
 玉が白く輝き出した。その光がなくなった時、タリカーンは何かが切れたのを感じた。何とは言えないが、張りつめていたものがフッとゆらいだような不思議な感覚だった。
「よし、みんな通れ」赤の長がうなずいた。
「入り口には結界が張ってあるんだ。外部の人間が侵入しないように」
 ユナンがタリカーンにそう説明してくれたが、タリカーンはほとんど聞いていなかった。
 見上げた天井には鮮やかで華麗な彫刻が施され、果てしなく並ぶ柱が神聖な空気をつくり出す、信じられないような広大な空間だった。タリカーンは驚嘆してぐるりと一回転した。目にするものすべて信じられない。
「すごい……信じられない」
 あまりに美しくて、呼吸も忘れそうだった。ユナンはそっとしておくようにタリカーンから一歩離れた。満足そうな顔をしている。この場所は彼らの誇りらしかった。
 少し先を行っていた赤の長が振り向いた。
「ユナン、彼女を連れて来い。長老にお引き合わせしなければならん」
「長老が直接お会いになられるのですか?」ユナンが驚いた様子で聞いた。
「これは異例だからな。長老は関心をもたれたようだ。お前も共に来なさい」
 ユナンは厳粛な面持ちでうなずいた。「はい」


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