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 タリカーンは長い回廊を二人に挟まれるようにして歩いていた。赤の長は無言で迷いなく先導した。
 建物の中はそう複雑な造りではなかった。最後はひたすら真っ直ぐ歩いていくと、つきあたりに普通より少し大きめの入り口があった。ドアはなかった。代わりに幕がたれている。
 赤の長が一歩進み出た。
「――長老、我々の新しい修学者を連れて来ました」
 タリカーンは好奇心をもって耳をそばだてていた。幕の向こうから、年月を感じさせる年取った声が答えた。
「――来たか。入るがよい」
「失礼します」
 タリカーンは入った部屋が意外に広くなかったので、かえって驚いた。
 これまで広大な回廊を抜けてきたので、どんな大広間に出迎えられるのかと身構えていたのだ。しかし、考えてみれば入り口のサイズからしてそんな大きな部屋が待っているわけはなかった。
 この一室は、奥で石の椅子に深く身を沈ませている老人の私的な部屋らしかった。
 どことなく、人の住んでいる様子が、家具や置物などの調度品から感じられる。
 真っ白な髭を床に垂らした老人は顔を上げた。
 輝くばかりの白い髭というものが、尊敬と畏怖を起こさせる対象であるというのは世界共通だ。ましてや、威厳のある彼のような人間がそれを備えていると、ただの旅人であるタリカーンは緊張せずにはいられなかった。
 その一方で、敬うのはいいが彼のようなお年寄りに固い大理石の椅子を用意するのはいかがなものか、という間の抜けた感想も浮かんでくる。
「長老。例の娘です。ユナンの儀式の最中に彼女が来ました」赤の長が端的に説明した。
「うむ」
 長老はうなずいた。次に彼が注目したのはタリカーンではなく、その横に控えているユナンだった。
「――ユナン。残念だった。しかし、今回はお前自身の出した結果ではない。気を落とすでないぞ」
 ユナンは手を上げ、古式の深い拝礼をとった。
「承知しております。僕はあきらめたりはしません」
 赤の長は若者の不敵な言葉に苦笑をもらしたが、しかし引っかかる情報を聞いたタリカーンは首を傾げていた。
 長老が彼女に声をかけたときは、そのため慌ててしまった。
「――娘よ。そなたは何故、ユナンの試練の最中に現れたのか?そなたは自ら弁明することを許されておる。答えよ」
 命令ではあったが、穏やかな口調だった。タリカーンは準備していなかったので最初は焦りを感じたものの、すぐ老人の穏やかな態度に安心して話し始めた。
「……はい。あの、最初に断っておきますが、私は今だにその試練というものについてよく分かっておりません。ですから、邪魔したつもりがなかったということだけは、はっきり申すことができます」
 タリカーンは話した。
「……理由ですが、私は、あの…ユナンとはロークタルクまで一緒に旅をしました。 それで、彼とはそこで別れたきりだったのですが、何をしているかはずっと気にかかっていて……あの日、彼があの塔に入っていくところを偶然目にした私は、ほとんど迷わず追いかけていました。 入ってはいけないともちろん止められましたが、元来好奇心旺盛な私は諦めるのもしゃくだったものですから、かえって意地でもユナンに会ってやろうと。…はい、そうです、いけないことでした。…十分分かっております。子どもではありませんし、自分でもでしゃばった行動だったと反省しております……」
 タリカーンは言いたいだけ言うと口をつぐみ、いかにも反省しているかのように頭(こうべ)を垂れた。
 しおらしく顔をうつむかせたタリカーンに、しばしの沈黙がかぶさる。左右で待機している赤の長とユナンは言うに及ばす、長老まで黙っている。
 タリカーンはまだ何か言わなければいけないのかと焦った。
「……あの、全部です…。謝罪が足りないのなら……」
「ふむ」
 長老はやっと声を上げた。ふさふさした長いあごひげを撫でている。
「釈明としては十分なように聞こえるが、今ひとつ大事なことを話していないようじゃ」
「そんな……!」タリカーンは一瞬だけ口を挟むことができた。
「――慌てるな。人は、まず一番軽いことから先に話すもの。それからやっと大事なことに話が及ぶ。順番としてはそれが妥当じゃ。では、そなたがまだ語っておらぬ重要な問題とは、何か。――何か忘れていることはないかね?」
 タリカーンは首を振った。半分は真実そう思ったから、半分はしらを切って。「ありません」
「長の話では、そなたは部屋に入って真っ先に倒れかけた槍を受け止めに走り寄ったという。まるで最初からそれが目的だったかのように見えた、と長の一人は語っておる。それはどう説明する?」
 タリカーンは用意しておいた答えを述べた。
「…信じられないかもしれませんが、私はあの部屋に入った時、やはり、と思いました。槍が傾くのを目の当たりにして、自分は正しかったと思ったのです」
 長老が興味を引かれたような目つきになった。その目が先を促す。
「…私は、幼い頃から勘が良かったのです。色々言いますよね。第六感、虫の知らせ、三番目の目とか神の啓示とか。そんな大げさなものではありませんが、確かにそういう災難に対してはこと勘が働くのです。 ……その日、私は嫌な予感がしていました。それはユナンに関係しているような気がしました。そして、実際にユナンを目にして胸騒ぎはひどくなりました。…塔に無断で入ったのも、その強い予兆があったからです。私が彼を助けねばならないような、そんな予感がしていました…」
 長老が静かに聞き返す。「予感だと?」
「はい」
「――そなたは、まだ一番肝心な部分を明かしていない」
 タリカーンは意識的に情けない顔をした。
「話すべきことは全てお話しました。お許しください、尊きお方さま」
 それまで沈黙を守っていた赤の長が口を挟んだ。
「長老のお言葉に反対するわけではございませんが、しかし私は彼女の話に一応の筋は通っているように感じられます。そうではないでしょうか?」
 長老は再び椅子に深く身を沈めた。
「そうかもしれぬ。…よい、今大事なのは真実を明らかにすることではない。この娘の将来を決定することじゃ」
 その傲慢な言い方に内心タリカーンはむっとした。
 彼女には、私の未来を決定できるのは、私だけだ。という確固とした強い考えがあった。それでも反抗的な人間だと思われたくないために、口をつぐんだままでいた。
「――では、"行き照らす千代の鏡"で審査いたしましょう」
 赤の長が言い、隣の部屋へ足を運んだ。しばらくして、彼は一抱えもある長方形の箱を抱えて出て来た。
 彼はそれを慎重に部屋にあった台の上に置き、蓋を開けた。中から取り出されたのは丁重に布にくるまれた鏡だった。上下に長い形で全身を映せる、大きなものだ。
 鏡は植物を象った華麗な銀の縁に囲まれ、すべらかな表面は入念に磨かれていた。タリカーンはそれを目にした瞬間、言いようのない反発を感じた。
 何か突っぱねられたような、ある種の独特な感覚があった。まるで、鏡から周囲を圧迫する不思議な力が発せられているかのように。
 赤の長はそれを彼女の前で立てた。床に直接触れて傷つかないよう、部屋にあった古布を敷いてその上に鏡を載せた。
 タリカーンはそこに移りこんだ自分の姿に嫌なものを感じた。普段庶民が己を鏡で見る機会は滅多にないし、自分が好きな人間以外は鏡に気後れを感じることがままある。タリカーンもそういう人間の一人だった。
 赤の長は懐から取り出した玉を鏡越しにタリカーンに手渡した。タリカーンはそれを受け取ってためつすがめつ眺めてみたが、ただの濁った白い石の塊にしか見えなかった。
「こらこら、大人しくしなさい。――ただそれを持って立っているだけでよい」
 赤の長が注意したので、タリカーンは慌ててそれを胸の前で抱えた。
 横ではユナンがずっと黙したまま見守っている。何故か彼は、タリカーン本人以上に緊張しているような顔つきだった。
 やがて、鏡を見ていたタリカーンはぎょっとした。鏡に映るタリカーンが手に持つ玉が、光りだしたのだ。タリカーンは慌てて視線を下に降ろした。しかし、手の中の玉は相変わらず濁っているだけだ。
「その水晶はお前の将来を暗示している。――水晶は何色に輝いているね?」
 と、鏡の向こうの赤の長。
「な、何色って……」タリカーンは再び鏡を見つめる。「………白?」
 とたんに、赤の長と長老が驚いて叫んだ。「白?」
 タリカーンはその反応に驚いて口ごもった。
「え、いやあの……黄色に見えなくないこともない?え、でも……白い、かな?」
 赤の長が苛立ったように舌打ちした。彼は背後に長老がいることを思い出して、慌てて取り繕うようにユナンに顔を向けた。「お前が見なさい。水晶の光は何色だ?」
 当然ながらユナンは先に鏡の中を見ていた。「…はっきりしています。白です」
「なんと!」
 腰を浮かしていた長老が叫び、驚いたように首を振りながら再び椅子に深くもたれた。
「――近頃では珍しいことだ。ううむ」
 赤の長はユナンに鏡を支えさせ、自ら水晶の光を確認した。
「本当だ!長老、白色です!何年ぶりでしょうか、"夢睦の白"ですよ!」彼は興奮したように続けた。「――ぜひ、彼女を仲間に加えましょう。貴重な才能ですよ!」
 しかし長老は渋ったような顔で黙考している。

 タリカーンは何を大騒ぎしているのかと彼らをいぶかった。
 何を審査しようとしているのか、さっぱり分からない。てっきり、自分に処罰を与えるために自分についての審査をするのだと思っていた。
 領事が裁判でよくたずねるがごとく、生い立ちはどうか、両親はどんな職業か、あるいは前歴のあるなしは、とかを調べるのだろうと考えていたのだ。どうやらそれとは違うようだ。
 タリカーンは顔をしかめた。当事者であるところの自分に十分な説明がないなんて、と彼女は不快だった。
 彼女の気持ちが伝わったように、ユナンが鏡を持ちながら説明した。
「――"夢睦の白"は、最近は珍しくなったある力を持っていることを表している。その力とは、"予知"。つまり未来をうかがうことのできる力だ」
 タリカーンはぎくりとした。
 それは彼女の天性の力に肉薄した言葉だった。しかし彼女は動揺を表に出すまいと努めた。こんなところでボロを出したら、数年来の苦労が泡になる。
「……予知。つまり、あれか…未来を知ることができるってこと?わあ、そりゃまた夢みたいな才能ね。…それが実現できるなら、だけど」タリカーンはおどけて肩をすくめた。
「もちろん実現できるとも。お前が努力しさえすればな」
 赤の長はタリカーンの肩に手をやった。タリカーンはそのなれなれしい態度に嫌な気持ちになった。
「そりゃありがとうございます。でも、どうしてこの鏡でそんなことが分かるのですか?この鏡は一体なんなんですか?」
 タリカーンの質問に、
「これは"行き照らす千代の鏡"といってな、遠い昔から存在する特別な鏡だ。何故か分からないが、我々"揺るぎの玉"が玉を使うにあたって、その者がどんな力を得手とするのか映し出す、不思議な現象を有している。この鏡の前で古い揺るぎの玉を持って立つと、その者が玉からどんな力を引き出すことができるか分かるのだ」
「え?待ってください」タリカーンは合いの手を入れた。「その揺るぎの玉のもつ力っていうのは、一つじゃないんですか?」
「まだ説明していなかったのか」長老が呟いた。それからユナンに目を向ける。
「ユナン、そなたが詳しく説明しなさい」
 うなずき、ユナンは流れるように語り出した。
「――僕たち"揺るぎの玉"は、その名の由来である特別な水晶玉を操る集まりだ。それは前にも言ったな。僕たちは揺るぎの玉から力を引き出し、色々なことにその力を利用できる。玉に炎を纏わせて誰かを攻撃したり、あるいは玉に命の成長を促す力を込めて土に埋め、植物の成長を早めたり。…でも、その力を誰でも自由自在に操れるわけではない。個人個人によって、その得意とする力が違うんだ」
「じゃあ、あなたは何の力が得意なの?」タリカーンはたずねた。
「僕か。僕は"輝(か)ぐ日"、すなわち炎を起こす力だ」
 タリカーンはなんとなくユナンにぴったりだ、と思った。
 炎のように燃え立つ烈しい気性は、ユナンという少年の内面そのままだ。
「――ちなみに、赤の長が得意としてらっしゃるのは、"ことほぐ生"、つまり生命力だ。"ことほぐ生"はさっきも言ったように、その力で植物の成長を促したり、あるいは怪我の治癒を助けたりもできる、素晴らしい力だ。…もちろん、長のような方になると、得意な力以外の力もかなり使うことができる。玉をほとんど使いこなしていらっしゃるようなものだ。よく覚えておけ」
 赤の長が大仰なユナンの言葉に苦笑いを浮かべた。
「いや、それは褒めすぎというものだよ、ユナン。 大昔は、玉の持てる力を全て引き出して使いこなせるような素晴らしい使い手が大勢いたというが、それも今や限られている。私などは、太古の素晴らしい"揺るぎの玉"の使い手の足元にも及ばない」
「大昔の話なんか、真実かどうか分かりません。どうせ誇張されて伝えられているに決まっています」ユナンはあくまで強気に返す。
 赤の長はその論議をそれ以上重ねようとはしなかった。彼はタリカーンに目を転じた。
「――そして、"夢睦の白"の力を使いこなせる者は、ここ数十年稀であった。私が揺るぎの玉に入った当初もその使い手は少なく、今はほとんどいない。長老でさえそれを操ることはままならぬ」
 長老はうなずいた。まだ翳りのある慎重な顔つきは変わっていない。
「…しかし、手放しでそなたを歓迎することはできぬ。近頃では稀な才能であるゆえ、その扱いもまた定まっておらぬ。…わしには、そなたがその力を使いこなす使い手となれるかどうか不安なのじゃ。中途半端にその力を使わせるくらいなら、いっそのこと何も手をほどこさぬ方が良いとも言える」
「なんて惜しいことをなされようというのですか!」
 驚いた赤の長が叫ぶ。
「これはまたとない機会ですよ。教えをしっかりほどこせば、何も心配いりません。ようは、育て方を誤らねばいいという話です。そうではないですか?」
 まるでタリカーン本人がそこにいないかのような話ぶりである。タリカーンは少々不愉快な気分でそれを聞いていた。
 それに、タリカーンはまだ一番大事なことを口にしていなかった。彼女は進み出て口を開いた。
「――お話し中のところ大変お邪魔いたしますが、私はまだあなた方に身をゆだねるかどうか申しておりません。そして、私はあなた方の仲間に加えていただきたいとは思いません。…試練とかいうものの邪魔をして、その処分を下すというのでついて来たのです。私はもう謝罪しました。――どうしてあなた方の手によって私の人生を決められなければいけないのですか?理解できません」
 長老は少し驚いたようだった。目を見開いてこの娘を見る。
「――我々に参加する気はないと言うのか?」
「もちろんです。私はしがない吟遊詩人です。…しがない身分ですが、それでもこの仕事に誇りを持っております。私はこの愛器、トロポンを愛しております。これをこの身から離したいとは思いませんし、そんなことをして生きていかれるとは思えません。私とトロポンは一体なのです」
 タリカーンは胸を張った。彼女は何よりトロポンが好きだった。その奏でる音が好きだったし、それを演奏する自分もまた好きであった。いつかは放浪ののちに人生を終えるのだ、と固く信じていた。
 長老は思案するように指先で髭を触っていた。
「ふむ。……そなたは、幼いとは言えぬ。考えてみればそう答えるのが当たり前だ。わしの考え違いであった」
 長老の言葉に、赤の長が焦って言いつのる。
「――しかし、修学者が幼くなければいけないという決まりはありません。彼女は今はこう言っておりますが、我々のことを理解すれば考えを変えるやも……いずれにせよ、即決できる問題ではございません。……いかがでしょう?審議を開いては」
「わしと長たちでか?」と、長老。「それも良かろう。そなたが納得できぬというのなら。確かに、わし一人の考えで何もかも決定するわけにはいかぬ。…わしは反対だが」
 ほっとした赤の長は肩の力を抜いた。
「では、よろしいですね?審議の準備を進めさせていただきます」
 長老はゆっくりうなずいた。その憂いをたたえた瞳が、タリカーンのそれとかち合った。


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