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「まったく。あんたはいつでも予想外だな」
 ユナンはそっとタリカーンにささやいた。前を歩く赤の長に聞き取られまいというのだ。
「私こそあなたには驚きっぱなしだよ。こんな秘密を隠していたなんて」
 タリカーンは目を回してみせ、おどけた。「全然教えてくれなかったじゃない」
 三人は再び回廊を歩いていた。今度は別の場所へ向かっている。
 タリカーンは赤の長という男に言いたいことが山ほどあったが、ひとまず相手の出方を窺おうと考えていた。

 それにしても、この建物は広い。
 王宮や神殿もこのように豪華ではないのではないか、とタリカーンは恐れるような気持ちで、廊下の壁から浮き出している優雅な浮彫りを眺めた。
「…試練の間は、外部の人間に揺るぎの玉のことを教えてはいけないんだ。僕はあんたに試練があると言うだけで精一杯だったんだ。僕が一人前だったら、そうする必要もなかったのだが……」
 ユナンの言葉は尻すぼみに消える。
 そういえば、とタリカーンは思い出した。今回の試練とやらで、ユナンは一人前だと認められたのだろうか?
「なんか邪魔しちゃったけど、試練、どうだったの?合格できたの?」
 タリカーンはユナンならもちろん合格だろう、と信じていた。なんだかんだで、ユナンがその誇大な自信に見合うだけの実力を持っていることは疑っていなかった。
「…いや、落ちたよ。……なんだよ、そんな顔するなよ。来年だってあるんだから」
 タリカーンは目を丸くしていた。慌てて顔を横に向けてごまかそうとしたが、もう遅い。
 ずいぶん素直な反応を見せてしまった。それぐらい意外だったのだ。
「本当に?…いや、信じられなかったものだから。なにか、手違いだったんでしょう。だってあなたなら絶対――…」
 自分は何を言いたいんだろう、とタリカーンは黙り込んだ。何を言っても無神経な気がする。
 何故か逆にユナンがなぐさめるような言葉をかけてきた。
「気にするな。僕は今回無理かもしれないと思っていたんだ、元々期待していなかった」
 でも、その言葉にはどこか力がないような気がした。
「――…何をべちゃくちゃおしゃべりしている」
 赤の長が振り返った。慌てて手を振ってごまかそうとする二人に眉をしかめる。「私に聞きたいことがあるのなら、はっきり言いなさい。そうでないのなら黙りなさい」
 タリカーンは大人しく黙った。
 しかし、次の瞬間赤の長が発した言葉で、パッと顔を上げた。
「――まったく、そっちの娘は試練を邪魔して駄目にしただけでは飽き足らず、ここの風紀を乱そうというのかね。ユナンは前はもっと優等生だったろう」
「…駄目?駄目にした、私が!?」
 思わず口にしてから、タリカーンの脳裏に蘇るものがあった。……そういえば、タリカーンが塔の部屋に乱入した時、ユナン本人が怒っていなかったか。「試練を台無しにした」と。
 何故今まで忘れていられたんだろう、とタリカーンは真っ青になった。
「…ちょっと待ってください。私がユナンを不合格にしたんですか?そのせいで彼は一人前になるのが一年遅れるのですか?」
 赤の長は片眉をはね上げた。「そうだ。今気づいたのかね?試練は関係者のみで行われる。その間に発生した問題が、試練を受ける人間が引き起こしたものなら、その人間は失格だ。そして試練が行われている間は、試験官と受験者以外はなんびとたりとも試験の部屋に入ってはいかぬ。それが決まりだ」
 タリカーンは今までの自分の無神経な言動の数々を思い出して、横にいるユナンの顔を見れないと思った。自分への怒りが湧いてくると、それをどこかへぶつけなければいけない気がした。
「ちょ、ちょっと待って!そんなことでユナンは不合格になったというの?一体彼の志をなんだと思っているの?そりゃ……試練が台無しになったのは私のせいかもしれ…いや、間違いなく私のせいだけども、でもそれはユナンの責任ではないでしょう!」
 タリカーンは怒って抗議せずにはいられなかった。
 試練というものがなんなのか知らないが、そのためにユナンは様々な努力を重ねたろうし、合格を信じて突き進んできたはずだ。長たちのやりようは無慈悲で理不尽に思えた。
「しかし、お前はユナンの知り合いであり、その行動を予測できなかったのはユナンの責任だ」
 赤の長の言葉は、火に油を注ぐような結果になった。タリカーンはその無情な考え方に猛烈に腹を立てた。
「責任がなんですって!?予測できるわけないでしょう!私は他人の考えたとおりに行動できる、素晴らしい人間じゃないんですよ!あなたの言っていることは全然筋が通っていない。滅茶苦茶だ!私があの部屋に侵入したのは全く私の勝手な行動で、そのことでユナンが本来受けるべき正当な権利を奪われたというのなら――」
「奪われたのではない、僕が自ら放棄したんだ」ユナンが冷ややかな声で訂正した。「勘違いしないでくれ」
 そこでタリカーンは初めてユナンに目を向けた。うわ、まともに目を合わせてしまった。できることならこの場でひれ伏して謝りたい。ごめんなさい。でも、その前にやることが残っている。
「ユナン、どうしてそう簡単に諦めるの」
 タリカーンはユナンに言い、赤の長に顔を向けた。
「――赤の長、私はまだあなた方について十分理解しているとは言えませんけどね――それはさっきあなたがおっしゃったとおりですよ――その決まりにも詳しくありません。でも、何が道理で何が道理ではないか、短い私の人生でも分かります。彼にはもう一度試練を受けさせるべきです。それが道理です」
 赤の長は首を振った。
「ユナンはお前と知り合ったことで、既にその運命が決定していたのだ。あそこでお前が部屋に駆け込んでこなければ、ユナンは試練をまともに受けられたかもしれない。ユナンは自分で問題が発生した原因をつくったと言える。どのみち、今さら決定は覆せない」
 タリカーンは怒り狂った。人の人生をこんな淡白に決めやがって、この野郎。
「私が部屋に駆け込まなければ?ああ、そうですよ。私があの槍が倒れることを知らなければ、ユナンの短い人生は終わったかもしれないんですよ。あそこでユナンの人生が終われば良かったと?終わりか、不合格か。ユナンはそんな二択しかとれないんですか?」
「槍が倒れることを知っていた?お前、そう言ったかね?」
 赤の長が不審げに眉をひそめた。
 タリカーンは慌てて自分の不用意な発言を撤回した。「…もとい、彼の身に降りかかる災いを予感していなければ、ってことです。赤の長、私が言いたいのは、ユナンは立派な男だということです。私が見た限り、彼はもう立派に成長を遂げています。この上また一年も待たなければならないなんて、そんな馬鹿げた話、信じられません。ありえないことです」
「タリカーン。…タリカーン」
 ユナンは二度繰り返さねばならなかった。そのくらいタリカーンはいきり立っていた。
「――もういい。長たちの決められた決定は正しい。これは僕が決めたことでもある。僕はあの日、長たちに呼び出されて、色々意見を聞かれた。そのどれにも僕は正しく答えた。その結果がこれなんだ。僕は不満に思っていないよ」
 そんな馬鹿な話があるか、とタリカーンは言ってやりたかった。言わなかったのはユナンの表情を見たからだ。
「吟遊詩人の娘。ユナンを見なさい。彼はもう気持ちを切り替えている。――うむ、私はお前のそういう潔いところが好きだぞ。――娘、この上彼に迷いを起こさせるような言葉はつつしみなさい。ユナンは今から一年後の試練に向けて、心構えをしなければいけないのだ。それを考えてみるといい」
 赤の長がそう言い終わる前に、段々タリカーンも冷静さを取り戻しつつあった。彼女は試練の部屋に乱入した後の、ユナンが自分をかばおうとしていた態度を思い出していた。彼は、あの時既に自分が責任を取らなくてはいけないことを覚悟していたのだ。
 その覚悟を自分が揺さぶってよいものではない、とタリカーンは思い直した。
 かえすがえすも悔やまれるのは、どうしてあんな方法しか取れなかったのだろう、ということだ。他に方法はなかった。それはタリカーンの中ではっきりしている。
 これだから自分の力って嫌いなんだ、とタリカーンは内心嘆かずにはいられなかった。
 赤の長は議論が終わったとみて、背を向けて再び歩き出した。二人は無言でそれに従った。
 タリカーンはうつむき気味に歩きながら、こっそり目を上げて横のユナンを見ようかと思った。が、それはやめておいた。目が合えば謝りたくなってしまう。謝っても解決されることはないし、自分も間違ったことをしたつもりはない。どうにもならないことなのだった。


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