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「ここは宿舎だ」
 散々歩かされたような気分で辿り着いた先には、廊下がなかった。唐突に外の景色が広がっていた。
 それまで回廊の白く冷たい床が整然と並んでいた先には、剥き出しの地面と、そこに埋め込まれた荒く削られた飛び石が等間隔で並んでおり、その向こうにはまた別の建物があった。こちらの建物と同じ材石でできているらしく、やはり白く上品な石の壁が眩しく輝いている。
「宿舎?長であるあなた方と、教え子が住んでいるんですか?」
 タリカーンは赤の長にたずねた。
「私はここに住んでいない。――が、青の長がここに住んで修学者の面倒を見ておられる。私について来い」
 宿舎はまだこじんまりして見えた。が、それでも普通の庶民の家五軒並べたよりは広い。赤の長が率先してそこに足を踏み入れた。
 中はわずかにひんやりしていた。石の壁が太陽を遮断しているからだろう。タリカーンは周りを見回した。
 そこここに潜む好奇心むき出しの小さな瞳が、こちらにじっと視線を注ぎ、観察していた。この宿舎に住んでいる子どもたちだろうか。
「こら。部屋に戻りなさい。誰がお前たちに見世物をすると言った」
 赤の長が不機嫌な口調で子どもたちを叱りつけた。
 子どもたちは慌てて壁の角や階段の手すりなどに頭を引っ込めて隠れたが、立ち去ろうとはしなかった。あくまでも野次馬根性のままに居座る気なのだ。
 赤の長も最初から反応が分かっていたらしく、諦めたようにため息をついて、彼らは放っておいて先へ進んだ。

 階段は二箇所あった。入ってすぐ見える位置にあるものと、建物の真ん中より奥にあるものだ。
 その奥の階段の脇に、こじんまりした部屋が備えつけられるようにあった。入り口には草を編んでつくった細い紐が幾重にも垂れ、中の様子をうかがい知ることはできない。
 そのすだれの紐をあげて、一人の女性が顔を現した。彼女は立っている赤の長に目を止めると、にこりと微笑んだ。
「子どもたちから聞きました。――…あらまあ、その子が新しい修学者?確かに年長さんだわ」
 おっとりした口調は穏やかで優しい。タリカーンは一目見て彼女が好きになった。
 誰からも慕われそうな柔らかな雰囲気で、物腰もたおやかだ。ふくよかな女性的な体格は、彼女の気質にぴったりだと思った。
「…タリカーンです。初めまして。お世話になります」
 状況はよく分からないままに、タリカーンは彼女に挨拶した。今日はここに泊まらされるようだからだ。
「ええ、こちらこそ。ここで過ごす間は私があなたのお母さんですよ」
 女性はえくぼの可愛らしい笑みを見せた。
「――私は青の長、セイテバン・シエリスタです。セイと呼んでちょうだい。困ったことことがあったら、私に聞いてね」
「青の長。あまり子どもに馴れ馴れしい態度を許さないように」
 赤の長は厳しい声で注意したものの、それから幾分声と表情をやわらげて続けた。
「…とはいえ、あなたに子どもを任せたら間違いない。この娘は既に大人なので、あなたの手を煩わせることはないだろうが、それでもくれぐれも頼みましたよ。貴重な人材なのですから」
「まあ」青の長は鈴が転がるような笑い声を立てた。
「なんて念の入れようでしょう。ええ、ええ。分かっていますとも。――さ、あなたこっちへいらっしゃい。…タリカーン?でしたね」
 宿舎中から集まっている視線を背中に感じ、タリカーンは苦笑して部屋に入った。どうやら自分はかなり注目されてしまっているようだ。

 中に入ると、二人だけにされた。
 赤の長がどこかへ行く気配はあったが、戸口にはユナンが残されたようだ。何故彼もここへ来ないんだろう、とタリカーンは首をかしげた。
 青の長はタリカーンの手を取り、彼女の詰め所であるらしいその小部屋の中央にいざなった。
 部屋の棚には書物である粘土板が並べられていたかと思うと、編みかけの藁ひもや、薬瓶が置かれていたり、非常に雑多な様子だった。衣装箱のようなものの上には、たたまれた服の上に誰かのプレゼントらしい枯れかけた花の冠が載っている。
 奥にもう一つ戸口があり、そこには木の扉が備わっていた。そちらが寝室なのだろう。
 青の長はタリカーンの指先を握ったまま、彼女の目を見て話し出した。

「あらあら。ちょっと混乱しているみたいですね。仕方ないわ、聞けばいきなり連れて来られたそうですものね。あまりに強引な扱いを受けて、びっくりした?――赤の長たちは厳格ですが、そのやり方が間違っていることはほとんどありません。そう不安にならなくてもいいのですよ。質問したいことがあれば、私に遠慮なく聞いてちょうだい。何でもお答えするわ」
 タリカーンは頭の中で言葉を選んだ。
 この穏やかな女性は、あの堅苦しい雰囲気の充満した長たちより、百倍は話し易い相手に見える。かと言って、初対面の相手に無条件で信頼を預けられるわけがなかった。
 タリカーンはようやく口を開いた。
「――…さっきたくさんの子どもが……あ、すみません。まず、私のことを少し紹介したいと思います。あなたは丁寧な自己紹介をしてくださいました。――私はタリカーンと言います。数年前から吟遊詩人として放浪を続けております。もうお聞きのようですが、私はユナンの試練を邪魔し、そのことの処分を受けなければいけないらしい、という認識でここまで連れて来られました。そして、さっき初めてあなた方のことについて詳しく説明されて……今は正直、戸惑っています」
 青の長はゆっくりとうなずいた。その目が先を促す。
「――私は、ここへ来たらすぐ帰されると思っていました。罰が重いものだとしても、それを受ける覚悟はありましたが――もちろん抗議するつもりもありましたが――どういう偶然か、私にはあなた方の仲間になれる資格があるようです。…でも、私はここに留まっていたいとは思いません。私の天性の職業は、吟遊詩人です。これからも歌を歌いながら旅を続けるつもりです」
 青の長は驚かなかった。うなずき、考え込むように顎に手を当てた。
「…そうですね。見た時から、あなたが自立した立派な人間だということは分かっていました。ここにいる子どもたちは、大抵幼い内にその才を見出されて連れて来られた子ばかりです。親元から引き離されて泣く子もたくさんいますが、ほとんどの子はここの生活に満足し、与えられた使命に誇りを持つようになって巣立っていきます。――あなたはそういうわけにはいかないでしょうね」
「親元から?」と、聞き返すタリカーン。
「…さっきから気になってはいたんですが、あれらの子はどこから連れて来られたんですか?家族はどうしているんです?親は反対しないのですか、こんな人里離れた場所で人知れず生活しなければいけないなんて」
 青の長は微笑んだ。「もちろんそういう方はいらっしゃるわ。親御さんが子どもと引き離されるのは嫌だと言ったら、もちろん無理に勧誘したりなどしません。揺るぎの玉に入れる素質を持った子は、探せば大勢いるのですから。でも、孤児院などから身寄りのない子を引き取っていることもよくあります。その方が色々と都合がよいのでしょうね。…それと、揺るぎの玉に守らねばならない規律が多すぎるのは、秘密が漏れないよう、色々な努力をしているからなのです。ですが、大抵は揺るぎの玉がどういう仕事か分かったら、喜んでその仕事に就きます。身分に関わらずよい待遇を受けられる、珍しい仕事ですからね」
 タリカーンは首をかしげた。「そんなに貴重な職業なのですか?一体、どういう仕事をするのですか?」
 青の長はとりあえず、と呟いて側の椅子を指した。「二人とも座りましょう」
 二人とも腰を下ろすと、青の長がにっこり笑い、口を開いた。
「――久しぶりにたくさん喋ったので、疲れてしまいましたよ。いつもは子どもたちと喋っているので、こういう堅苦しい説明の仕方を忘れてしまっていたみたいです。タリカーン、あなたは大丈夫かしら?疲れていない?あらそう、良かった。じゃあ、どう説明しましょうか…」
 青の長は思い出したように、戸口に目を向けた。
「そういえば、ユナンはどうしちゃったのかしら?あの子も入ればいいのに」
 廊下からは甲高い笑い声がいくつも聞こえる。青の長は合点がいったようにうなずいた。
「みんなと遊んでいるのね。あの子は本当にいい子だわ。面倒見がいいし、色んな子に好かれて」
 タリカーンはちょっとびっくりして聞き返した。「面倒見がいい?そうなんですか、あのユナンが」
 そういえば、コロに対しては親切だったと思い出す。
「そうねえ、意外かしら?」
 青の長は首を戻した。「――タリカーン、あなたはあの子としばらく一緒に居たそうね。どうかしら?あなたの目から見たユナンは」
「…立派な子だと思いますよ。大抵のことは自分でやってしまえるし、正確な判断力があって、成長後が楽しみです。でも、あの鼻につくような態度はいただけませんね」
 タリカーンは率直に述べた。青の長はわずかに苦笑する。
「それはおいおい治っていくでしょう。あの子は優秀なのですよ。自分でもそれを知っています。――そのせいで、昔はずいぶん苦労したものだけど」
 何か含みのある言い方だった。タリカーンはさらに突っ込んで聞きたかったが、話題を変えるように青の長が明るい表情に戻って言った。
「そうそう、揺るぎの玉がどういう仕事かという質問だったわね。……そうね、一番有名なのは、"伝え口"かしらね。戦場では揺るぎの玉の使い手が欠かせないのですよ」
「"伝え口"?なんですか、それは」
「揺るぎの玉を使うと、遠い所にいる仲間とも話ができるのです。戦場では、どうしても遠い所にいる味方とは連絡が取れないでしょう?狼煙や伝令では、正確に連絡を取れないことがあるわ。そのためにこの手段を使います。あらかじめ味方同士で揺るぎの玉を雇っておき、伝えたいことがあると、使い手に揺るぎの玉でもう一方の使い手と連絡を取らせます。そうするとわざわざ伝令を立てなくったって、玉一つで正確に連絡を取れるのです。すごいでしょう?」
 なんだかいきなり物騒な話になってきた。タリカーンはうなずいたが、ちょっと不安だった。ユナンがなろうとしているのは危険な職種なのか。
「もちろん、王族とか身分の高い人が、ただ遠方と連絡を取るのにも使われるわ。色々活用の仕方があるので、揺るぎの玉は大変重宝されるのよ。だからこの里は、各地の王や豪族に守られている、特別な場所でもあります。その秘儀は厳重な警戒によって守られています」
 どうやら尊敬を集められる仕事、というのは間違いではなかったようだ。しかしそれでもタリカーンは魅力を感じなかった。
「お言葉ですが、私はそれでも揺るぎの玉に入りたいとは思いません。やっぱり私はただの詩人です」
「ええ、そうでしょうね」当然のように青の長がうなずく。
「…でも、ここに入ったら、それまでの自分を捨てなければならないという決まりはないんですよ。実際、揺るぎの玉で立派に成長を果たし、見事な使い手になって故郷に帰った子どもが、まったくその力を活用せずにただの農民として生活した、という例もあります。それは珍しいことですが、あなたがここで揺るぎの玉の教えを受けたからといって、必ずその道に進まねばならないということはありません。――ただ、ここで学んだことは他言無用です。もし、よそで私たちの教えを人に教えたことが分かった場合、その人には……死が待っています」
 青の長は真剣なまなざしをしていた。が、すぐにそれはやわらいで温かいものに変わる。
「ごめんなさい、おどかすような言い方をして。でも、あなたはここの決まりさえ守れば、あとはもう自由なのです。縛られるような生活ではありません。それだけは知っておいてください」
 青の長はそれからタリカーン本人についていくつか質問し、しまいまでずっと穏やかに語らい続けた。
 タリカーンは彼女の人柄が完全に好きになったが、揺るぎの玉に対して魅力を感じることはなかった。
「――そう、あちらに行ったことがあるのね。私もあの川の流れを見て感動しました。とても広かったのですもの。私の父が持っていた畑が何百個も収まるぐらい、大きかったわ…」
 青の長はしばらくそんな風に語った後で、タリカーンを部屋に案内しようと席を立った。
 二人は廊下に出た。廊下では十人以上の子どもが追いかけっこをして走り回っていた。
「…まあ、あなたたち。ここで走っては駄目と、何度注意したら分かるの?転んだら怪我しますよ」青の長が大きな声を出して注意したが、子どもたちは変わらず元気に駆けている
「…まったく、もう。言うことをきかないのだから」
 彼女はため息をつき、それから顔を上げた。「――ユナン、こっちへいらっしゃい。タリカーンを案内するから、あなたも宿舎の説明をして」
 鬼になって子どもを追いかけていたユナンが振り向いた。彼は捕まえた子どもを背後から抱きしめているところだった。それまで満面に笑顔を浮かべていたのに、タリカーンと青の長が見ていることに気づくと、すぐ真顔に戻った。「はい、すぐ行きます」
 タリカーンはからかってやりたくてうずうずしていたが、横に青の長が立っているので遠慮しておいた。三人は階段を上って二階へ行き、扉がたくさん並んだ廊下を歩いた。
 何番目かの扉で、青の長が立ち止まった。
「ここですよ。あなたにはこの部屋を使ってもらいます」
「そうですか。何人部屋ですか?」
 タリカーンは既に自分がここに住むことが決定しているような段取りについては、あえて何も言わなかった。一晩の仮の部屋だと思おう。
「六人です」
「六人?」思わず青の長を見つめる。「……しかし、それにしてはずいぶん狭いようですが」
「入ってみたら実際の広さが分かりますよ。ちょっと狭いのは否めませんが、慣れればそれも楽しいものです。経験した私が言うのだから大丈夫ですよ」
 青の長が可愛らしい手で自分の胸を叩いて請け負うので、タリカーンも信じることにした。
 しかし………
「なんじゃこりゃ」
 タリカーンは扉を開けたまま立ち尽くした。
 部屋の中にはあらゆるものが散乱していた。脱ぎっぱなしの服、汚れた遊び道具、しわがれた花、土のついた小石、ただの物として積まれた書物(・・・本当に書物か?)、よく分からない小物類、つぶれた木の実、何に使うのか不明な大きな木の枝、手作りの不気味な人形、壁にいくに従って盛り上がるガラクタの山、ありとあらゆる物がお出迎えしてくれた。
「……どうやら、ここの住人は片づけるってことを知らないらしいですね」
 タリカーンは落ちていた下着をつまみ、感想を述べた。
 青の長は戸口で恥ずかしそうに顔を赤らめた。その横ではユナンが知らん顔してそっぽを向いている。
「まあ、何かしら、この有様は……。今朝私が点検した時は……」
「セイ、これが現実ですよ。ここはエルバやリネットの部屋ですよ。整頓なんて期待する方が間違っています」
 自分のことのように恥じ入る青の長に、ユナンが淡々と告げる。
 タリカーンはしばらく無言で部屋を見回していた。寝る場所が見つけられない。そもそもこの部屋にベッドが存在するのだろうか?

 その時、慌てたような声が飛んできた。


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