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 そんな日が数月続いた。

 来る日も繰り返される労働は、カロンの体を限界まで疲弊させた。
 今日も一日辛抱できればいい、と願いながら、どうにか仕事を終え、納屋に向かうのだった。

 いつもどおり、カロンは食事が終わると疲れた体を横たえて寝入った。
 しかし、夜中に突然母親に揺すられて起き上がった。
「どうしたの…?」
「しっ」
 母は指を立てた。あばら家の隙間から差し込む月明かりで、眉根の寄った深刻そうな表情が見えた。カロンは口を閉ざした。
 母は弟たちも静かに起こすように言った。カロンは言われた通り、母と一緒に他の兄弟たちを起こした。
 全員が寝ぼけ眼をこすっていたが、母のただならぬ様子を見て、カロンがしたように口をつぐんだ。
「出るのよ」
 母は抑えた声で子どもたちに言った。子どもたちは全員そろそろと小屋を抜け出した。

 夜の闇の中で、彼らは既に勝手知ったる敷地を横切って、端まで辿り着いた。
 敷地を囲む簡略化された塀の内に、下僕用の通用口があった。その扉の前で、召使い頭が待っていた。

「全員だね?」
 召使い頭はささやいた。
 母は黙ってうなずき、感謝の言葉を述べた。カロンは母親が目に涙を浮かべているのを見て驚いた。
「――…お元気で。あなたに幸運がありますように」
「家族で無事に暮らすんだよ」

 召使い頭はそう言うと、通用口を開いて家族たちを通した。
 警備の男たちの目をくすねるのは、長年努めてきた彼女ならたやすいことだった。だが、危険がないではなかった。
 ほとんどきちんとした挨拶もなしに、一家と召使い頭はそこで別れた。
 それから母は子どもたちをともなって夜の通りを歩いた。母には目指す場所があるようだった。


 真夜中のため、周囲に灯りはほとんどなかった。
 月明かりを頼りに先導する母について歩き、やがて子どもたちは一軒の家に辿り着いた。その扉の隙間からはわずかな光が漏れ出ていた。 

 母が扉を開けると、そこに父と兄二人が待っていた。彼らは家族たちの姿を見て、はっと表情を変えた。
「――抜け出せたか…早く扉を閉めろ!」父が言った。
「お母さん!」兄二人が叫んだ。

 カロンは呆然として戸口に突っ立った。
 他の兄弟たちにせっつかれて、彼女は慌てて敷居をまたいだ。灯りが通りに漏れることを嫌がり、扉はすぐに閉められた。そしてようやく、再会が果たされた。

 緊張に強張っていた面の父と兄も、相好を崩して家族に駆け寄った。
 兄が母の胸に抱きしめられていた。母の頬も濡れていた。彼女はゆっくり兄たちの頭や背中を撫でてやっていた。

(すごい…!みんな会えたわ。家族みんなが揃った…。兄さんたちが泣くのなんて、初めて見た)

 カロンは口元を緩めて笑った。兄や弟とはしゃぎ回って、父や兄や母の足元を駆け回った。
 父と母は何か相談を始めた。まだ幼いカロンや兄弟たちは、久しぶりに会った兄二人にしばらくじゃれついた。
 しかし、五ヶ月ぶりに会った兄たちは、以前より厳しい顔つきになり、もう完全に一人前の男のように振舞っているのを見て、戸惑いも生まれた。
 兄たちも父の隣に立って、これからのことを相談し合った。

「では、やっぱりカピトゥーを目指すしかないな」長男が父に言った。
「ああ」
 父がうなずいた。
「よく焼きしめたパッチナを持って来てるわ。何日かは持つはずよ」
 母が懐から食糧を覗かせて言った。「指輪を一つ、カロンに持たせているわ。何かあったらそれを使って食べ物と服を買いましょう」
「いや、それはまだ取っておけ。とりあえず、ここを出よう」

 幼い兄弟たちは久しぶりに揃った家族の顔を見て、安心しきった。
 これからの事情はよく飲み込めなかったが、親と兄たちの言いつけを聞いておけば大丈夫だと思って、大人しく後について行った。
 彼らは夜の闇に紛れて、街を出た。父は役人に金を渡して、町から出る道を案内してもらった。一家は再び外へ出た。

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 街道を南下して、小さな町に辿りついた。
 ろくな塀も門もない小さな所だった。兵士もいなかった。
 父は軍隊を脱走した時に持ってきた武具と剣を売り払い、その金で食糧と外套を二つ買って、兄と自分とが持った。そして道々家族と分け合って食べた。しばらくその小銭が生活の足しになった。夜は外套にくるまり、肌を寄せ合って野宿した。
 何日か歩くと、金は乏しくなった。それで母は屋敷で働いている時にもらった頭巾を売り、また食糧に換えた。
 少しづつ持ち物を切り崩しながら、一家はカピトゥーへ辿り着いた。



 カピトゥーは海に面した国だった。
 ごった返す隊商や驢馬、商人や旅人が大通りを闊歩していた。道の両脇には珍品からがらくたまで、幅広い商品がうず高く積まれていた。
 家の窓を見上げると、珍しい模様の絨毯が干され、往来を歩むラクダは、カロンたちが知っている種類より大柄でのっそりしていた。
 幼い兄弟たちにはもの珍しく、異世界のようだった。しかし大人たちは険しい顔で歩いていた。

 父は宿を探したが、大層な値段を吹っかけられて、激怒して出た。
 何度もそういうことがあると、どうやら相場がひどく高いらしいと知って、どうしてよいのか途方に暮れてしまった。
 せっかく安全な町に入ったのに、家族を道で寝させるというのが父には我慢ならないようだった。しかし、兄たちがなだめて、どうやらその日は道で寝ることになった。

 固い石畳の上で、母がぼろ布になった古着を敷いているのを見て、兄弟たちは騒いだ。
 カロンも横で不思議な表情で首を傾げていた。兄の一人が言った。
「なんでー?また道で寝るの?」
 母はゆっくり強い口調で、そうだと答え、すぐに寝るように言い聞かせた。
 兄弟たちは不満を言いながらも、疲れていたのですぐに寝てしまった。

 翌日からは、ひどく不潔で胡乱な風だったが、どうやら宿が見つかった。二番目の兄が探し当てて来た。
 いつまで金が持つか分からないので、兄たちが説得して、父を納得させた。とても安い宿だったのだ。
 母は胡散臭い目で、時々出入りするいかがわしい身なりの怪しい女たちを見て、絶対に泊まりたくないと言い張ったが、背に腹は変えられないので、しばらくそこに滞在することになった。
それ以上の場所は、どのみち望むべくもなかった。

 寝床にはしらみがいたし、壁の剥がれた所からはよく分からない腐臭が漂っていたが、カロンはそこがひどく気に入った。
 久しぶりに家族が落ち着いて暮らせる家だったからだ。屋敷のぎゅうづめの寝床よりはましに思えた。
 シーツで弟たちとふざけて遊んでいても、他の召使いたちから怒鳴られることもなかったし、心いくまでおしゃべりすることもできた。

 幼い子どもたちが元気を取り戻していくのとは反対に、父や母はどんどん深刻な顔になっていった。
 生活する当てが見つからないせいだった。しかし、幼い子どもたちはあまりその深刻さを分かっていなかった。

 次男は方々を訪ね回って、どうやら陶器職人の工房に雇ってもらえそうだと、帰ってきて報告した。
「そうか…」
 何故か父は余計不機嫌そうになった。
 子どもが先に生活する道を見つけたことが、大黒柱としての彼の自尊心をささやかながら傷つけたのかもしれない。

 次男はその工房に徒弟として出入りすると決め、親方の住居に住むことになった。それで家族は次男の心配はしなくてもよくなった。

 問題は他の家族たちだった。
 日に日に父の機嫌は悪くなり、母といさかいをするまでになった。
 両親たちがしょっちゅう口論する様子を見て、兄弟たちは驚いてそれを眺めていた。
 大勢の子どもは、今は父の悩みの種だった。金はほとんど尽きようとしていた。
 長男は、父に内緒で稼いでくるようになった。こっそり食糧を宿に持って帰って来たが、他の兄弟たちは、彼がどうやってそれを得てきたのか知らなかった。
 ただ食べ物を見ると、顔を輝かせて兄を誇らしく見上げた。

「すごいや、兄さん」
「食べていい?」
「まだだ。母さんに渡せ」
 兄のきつい目つきと態度を見て、カロンは、少なくとも兄が父から気に入られないことをしているのだけは察知した。それですごく恐くなっていた。
 父が知ったらどんなに怒るだろう?でも、カロンもありがたく兄のもたらすパッチナをよく噛んで味わい、それで空腹を減らした。
 母は長男と声を低くして、これからのことを心配そうに相談し合った。カロンは不安な目でそれを眺めていた。
 幸い、父は一番末の娘が日々何を恐れていようと、無関心でいてくれた。
 よくも悪くもカロンにとって父は遠い存在だったので、いつ気づくのだろう、と思いながら父の顔を眺めているだけですんだ。


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