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 カロンは遠い道のりを歩くのには慣れていたし、足腰も鍛えられていたせいか、それほど苦にはならなかった。食糧も十分与えられたので、空腹で目が回るようなこともなかった。
 そのせいか、家族と離れていたわりに、カロンは悲しみを抑えていられた。
 しかし、一月半歩きどおして、目的地の都に着いた時には、さすがにほっとした。
 街の影が見える前に、男たちはもう近いぞと呟いていた。

 やがて、実際にその影が見えると、カロンは思わず口を開けていた。

「……大きい」
 カロンの小さな声に、前を歩いていた男が振り返った。
「そうだろう?立派なところだぞ」

 それは想像以上に大きな街だった。
 カロンが住んでいた町が何個も入ってしまいそうだった。これが都だ、と男たちは言った。
 この国の首都らしい。しかし、カロンはまだこの国の名前も聞いていなかった。

 男たちはそんな説明さえも忘れたように、心もち足を速めて歩いた。帰る場所が目の前にあると、道のりが遠かった分、心が急くのだろう。
 カロンは大またでほとんど駆けるようにして、必死に彼らの後をついていった。
「……?おい、ちょっと足速いみたいだぞ」
「ああ」
 やっと気づいたように男たちが振り返った。
 カロンはほっとして、男たちに追いついた。改めて顔を上げ、街を仰ぐ。


 巨大な都市だ。そびえ立つ塀を見るといい。なんて高く、そして広大に広がっているのだろう。
 蒼く霞んだ空を背景にして、自然の中に突如立つその雄々しい姿は、人々の力と偉大さを誇示しているようだった。
 積まれているのは日干し煉瓦だろうか?かつておそらく大勢の人が、その腕と汗でこの広大な土地を拓いたのだ。
 そしてどれだけの人の手が、煉瓦をつくり、どれだけの労働者が、それを並べ建てていったのだろう。
 遠目に見る限り、歪みもなく素晴らしく均整な塀が、その美しい並びを勝ち誇ったように輝く日にさらしていた。その中にどんな建物や人が詰まっているにせよ、素晴らしい知恵と卓越した力の技が、そこに存在しているということを、中を見る前に、既に訪れた人に実感させるのだった。

 自分の生まれた町の門は、とても高く手の届かない場所まで伸びていた。しかしこれは、その何倍も高かった。
 カロンは思わず目を細めて、天高くそびえる塀の先へ目をやった。

「おい、ちび。早くしろ」
 長身の男が、突っ立って塀を仰ぐカロンに気づき、門前で立ち止まっていた。カロンは慌てて追った。
 前をゆく男たちの背中からは、わずかにくつろいだような気配が伝わってくる。彼らはもの慣れた都市へやっと帰って来たのだ。

 反対にカロンは目をみはり、初めて目にするものばかりの、知らぬ世界に驚いて、とても嬉しかった。


 …なんて綺麗な布だろう。
 道を通り過ぎた貴婦人は、綾な色の布を気取ったしぐさで肩に上げ、焚き染めた香りを通りしなにカロンへくゆらせて行った。
 あの道端にいる商人らしき男はどうだろう。珍妙な、見たこともない帽子を頭にかぶっている。
 遠い地から来たのだろう。しかし取引の相手らしい男に、声高にウラム語で売り文句をまくしたて、堂々としている。

 ここはきっと有名な場所なのだ。だから遠路はるばるあの男はやって来て、おそらくすさまじい冒険を果たして、ここにいるに違いない。
 街道によく出る盗賊団と戦い、魔物の潜む数々の危ない森をくぐり、星が降り注ぐという北の大地も通り過ぎて。
 今周りに溢れている、奇妙奇抜な品々は、きっとああいう人がもたらして来たんだろう。

 見たこともないこしらえの壷がある。薬なのか、とかげにしては大きな変な動物の干物が、軒先に吊り下がっている。
 水車が変形したような奇妙なからくり仕掛けや、珍しくて手に入らないという、傑作の粘土板の書物を振り上げて宣伝している男がいる。
 歩いてゆくと、通りのよく目立つ壁に字が書き殴られていた。カロンには読めなかったが、男の一人が立ち止まり、悪態をついて連れと何か話していたのを見て、それが落書きではなく、誰かの主義主張が書きつけられたものらしいのを知って驚いた。

 往来で大声で演説する男がいる。立ち止まった兵士が喝采を送っている。
 その少し離れた場所では、若い健康そうな娘たちが、彼らを見て秋波を含んだ視線を横流しにしていた。
 兵士たちの方が気づくと、娘たちは髪に飾った花をわざとらしく直して、それからくすくす笑った。
 雑踏には、肌の黒い頑健で逞しい体つきの男。刺青を顔に彫りこんだ風変わりな男。フードを目深にかぶった見るからに怪しい人間や、それに奇妙にぬめりのある肌と耳かきを持つ、亜人までまぎれこんでいるではないか。

 カロンはぽかんとしていた。
 ここは、故郷より何倍も都会で、栄えていて、豊かな場所だというのが、とてもはっきりしていた。そして同時に心が躍った。こんな魅力的で、想像もつかないような面白そうなものが転がっている場所があることを、全然知らなかった。そして来れたことを喜んですらいた。

(…すごい…。お母さんに見せたい)
 そう思ったとたん、喜びに溢れていたカロンの気持ちは一気にしぼんだ。
 一緒にはしゃいで騒げる兄弟はもういない。こんな時、あの幼くて素直な弟が横にいたら、どんなに楽しいだろう。
 カロンはつらくなり、周りを見て、かえって途方に暮れてしまった。

 …慣れない土地の匂いがする。誰もがすまして、知った風な顔で通りを歩いている。おそらく彼らが何べんも通っているその道を。家族を連れている人間もいる。辺りには聞きなれない言葉や単語も飛び交っていた。

 カロンは歩き続けるのにもうんざりして、重たい表情で男たちの後ろを歩いた。
 いつになったら休める場所に辿り着けるのだろう?もう門をくぐってから二時間も歩いているのだ。
 男たちが、何か言って、一つの家に入った。カロンはほっとしてその後に続いた。

 非常にしっかりした造りの家だったが、カロンが前いた屋敷のような、目の回るような派手さというのはなく、内装を無駄に飾り立てるものがなかった。それはカロンはほっとさせた。
 日陰に入るとわずかに涼しい。
 カロンは少し肩の力を抜き、辺りをきょろきょろと観察した。

 男たちは中にいた人間となにやら話すと、別の大人が肩に手を置き、カロンを奥へ行くよううながした。
 カロンは少し緊張したものの、大人しくうなずいて、言われるまま奥へ連れて行かれた。
 何人かの大人がいた。いずれも召使いのような身分の者だろうと思われた。
 ここでは誰もがぼそぼそと密やかに話していた。少し年を取った女が新たに出て来て、カロンの腕や足を触り、よく観察した。

「…病気はしていないようだね」
 カロンはうなずいて女をじっと見た。
「今まで、重い病気にかかったことはあるのかい?」と、女。
「…小さい時。熱がすごく出て、死にそうだったって。お腹もよくこわしてた」
「今は」
「あんまりない。…働けます」
 女はうなずいた。「年は?それと、名前は」
「十か十一位です。…カロン」
 女はもう一度カロンの全身を眺めた。「よろしい。ご主人様に後で会わせよう」
「…あの……はい」

 カロンは正直、ここがどこで、自分が誰に仕えるようになるのかとか、本当に知りたいことを教えてほしくてたまらなかったのだが、自分から質問していいのか分かりかねて、じっと黙っていた。
 女は部屋にいた若い女を呼んで、カロンを預けた。

 カロンは体を洗わせてもらえた。たらいに入り、壷を使って水をかけてもらい、麻布で体をごしごしこすられると、それだけでさっぱりして、すごく気分がよくなった。旅の疲れもすっと和らいだようだった。
 カロンは辺りを見回した。目の前の女の人は無表情に仕事をこなしていた。用意されていた衣服をカロンに着せると、部屋の外へ連れて行こうとした。

「あの…」
 カロンは勇気を出して声をかけてみた。
 女は立ち止まって見下ろした。
「……あの、ここ、なんてとこですか?」
「何?」
 女は意味をはかりかねたように聞き返した。
「あの…ここは、なんていう町なんですか…?…あの、さっきの人たち、何も教えてくれなくて、それで……」
 下手をすれば、自分は大人になるまでこの街の名前を知らないまま過ごすことになるのではないだろうか。カロンはいいかげん不安でたまらなかった。自分がどこにいるのか分からない状態は長いこと続いていたが、それにしたって、これから住むらしい場所の名前くらい、知っておきたかった。
「町の名前?」
 女はやっと理解したらしい顔になった。「――クスイキオン。ウラム語風に言うと、クセーオン。それがここの名前」
「あ、ありがとうございます」
 廊下に出て、女はしばらくちまちま歩くカロンの頭を見下ろしていたが、
「…何、誰も教えてくれなかったの?」
「…は、はい」
 女はうろたえている様子のカロンを見て、初めて表情を動かして、ふふと笑った。「可哀想に」


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