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 …さっきからずっと、カロンは新しい亜麻の服を手で掴んでいじっていた。
 新しい服の肌触りが気になるのではなく、これから会う人がどんな人かと考えて、不安に思い、どきまぎしているのだった。
 この家の主人は、今どこかへ出ているらしい。それで、これから帰って来て、会わされるのだ。
 周囲の人々の会話や空気から、カロンはそれを悟って、よく分からない胸の動悸を抑えていた。まるで何かの予感のようだった。

 少し家の中がざわついた。どうやら主人が帰って来たようだった。
 部屋にその男が入ってきた時、カロンは緊張して面を上げた。

 肩のはった、非常に丈夫そうな体つきの男だった。しかし表情は乏しくて冷たさを感じさせた。
 これが仕えることになる主人なのだろうか?
 カロンは精一杯みっともなくないように姿勢に気をつけて、目を伏せた。
 目を真っ向から合わせるのは主人に反逆することに近く、してはならなかった。それでその姿勢で待っていた。
 男の声が降ってきた。

「――ずいぶん小さいが、年はいくつだ?」
 昼間会った、年をとった女が答えた。「十でございます。体は健康のようでございます」
「どこの出身だ。訛りはあるか」
 カロンは部屋の向こうから女がうながす気配を感じ取って、慌てて言葉を出した。
「…あの、ウラム語は、あんまり話せません。……旦那さま」
「これから教育すれば問題ない。顔つきは悪くない、体に傷もなく醜悪でもない。…よろしい」
 男の声は非常に淡々としていた。
 カロンは何故か急に重たいものを感じた。男の声や気配にはどこか避けたくなるような雰囲気があった。
「館に送る。準備しておけ」
「仰せのとおりに」
 女が答え、男はすぐいなくなった。

 カロンはその晩その家で眠った。
 翌朝起きると、準備をしろと言われ、胴衣の上に腰紐を巻き、小さな編み上げ靴まで履かせてもらって、きちんとした身支度をさせられて、馬車に乗れと言われた。
 馬車とは、幌はなしに、木の板の上に、荷物が落ちないように横板を囲ってあるだけのものだが、それでも普通に移動で使わせてもらえるのはうれしいことだった。
 カロンは側にいた女の一人を見てたずねた。
「どこに行くんですか?」
「さあ…。いつも館ってあたしらは聞かされてるけど、どこだろう」
 その女はなんともぼうとした顔でそれだけ答え、カロンに座るように促した。
「まあ、行けばわかるんじゃないの」
 その通りカロンは到着して知ることになった。

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「……はあ」
 カロンの口から漏れたのは言葉にもならぬ嘆息だった。

 それは立派な住まいだった。前カロンがいた金持ちの家など、比べものにならなかった。
 村一つ二つ入りそうな広々した庭が広がっていた。カロンはそこを通り抜けている時、近所の原っぱだと思っていたが、それも敷地だったと後から知った。
 庭には動物が飼われていた。孔雀という置物のように美しい鳥が何羽も放し飼いにされていた。カロンは目をまん丸に開いて、それを見送った。
 そうしてよくならされた道を通り、館が見えてきた。

 立派な堀と塀があった。敷地には警護する男が等間隔に並んでいた。
 館の壁は磨き上げられて、ほのかに赤みを帯びた色合いが美しかった。名の知れた、スイハスハル産の見目良い石だ。腕のいい石工たちによって美しく切られ、積まれている。
 館の柱の上部には、執念のように掘り込まれた繊細な模様が這っていた。柱は、普通ただの円柱だったが、この館では、所どころ、代わって人の像が屋根を支えていた。像はそれ自体が一つの彫刻として十分に耐えうる優美な姿をしていた。
 なつめやしや棕櫚などの植物を美しく図案化した彫刻が、そこかしこにある。
 かつて生きていたものが、そのまま石になって館を装っているかのようだった。
 まるで財力を誇示するかのように、館の近くには金の像も建てられていた。カロンは信じられない思いでそれらを眺めた。

 館から出て来たきちんとした身なりの人間が、カロンを導いて館の中へ入れた。まるで信じられない夢を見ているようだった。

(……こんな立派な家…。こんな御殿に、あたしが住んでもいいのかな…。そうだ、宮殿だ。これって、お話で聞いていた、王様が住む宮殿なんじゃないのかな…。あたし、どんな旦那様にお仕えするんだろう?…優しい人かな…?)

 観察しているだけで忙しかったが、カロンは不安な気持ちを押しやれたわけではなかった。胸は苦しいぐらいに早鐘を打っていた。
 促されるままその御殿に入り、カロンは回廊を歩いた。少しだけ静かな時に思われた。
 カロンはある部屋に入れられ、衣服を整え、翌日にまたあの男と、そして大事な人物に会うことになった。



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