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 翌日、カロンはただ待機させられていた。そして突然、なんの予告もなく、女がカロンのいた部屋に入ってきた。

「ご主人様の前に参上なさい。初めて顔をお見せするのだからね。無礼のないように、よくわきまえて振舞うのだよ」
 カロンは慌てて部屋を出た。

 通された部屋で、カロンは衝立(ついたて)の後ろに隠れて待っていた。
 カロンが入ってきたのは使用人たちの出入り口の方、召使いたちの控えの空間だった。衝立の向こうの応接室らしき広い空間からは、今人の話し声がしていた。
 カロンは耳を澄ました。

「――…ところで、また新しい侍女を見つけてくださったのですわね?」
 鈴が転がるような、凛とした声だった。少女の澄んだ声音だった。
「ああ、一人」
 答える男の声に、わずかに聞き覚えがあった。
 カロンはその時背を押され、慌てて衝立の陰から出た。

 部屋には数人の人間がいた。
 椅子に座って語っているのが、昨日見た男で、その向かいに座っているのが、部屋の主らしい少女だった。男の方には連れがいた。そして、部屋の脇には侍女たちが控え、少女のほど近いところにも、いつ用を言いつけられてもいいように侍女が控えていた。
「この子なのですか?」
 少女がこちらを見て言った。
 カロンは慌てて辞儀をした。面を伏せる時に、つんのめりそうになって慌てて足に力を入れた。
「ふうん…」

 少女はカロンと同じくらいの年だった。
 素直に伸びた青みがかった黒髪は顔の横からさらりと肩に垂れ、残りほとんどを結わえて、頭の後ろに趣を凝らして結わえてある。
 髪飾りの宝玉が、耳元にこぼれ垂れて、頭を傾げるとしゃらしゃら音がした。
 細められた瞳は涼しげな紺碧の輝きを放っている。屋外で日に長くさらされることのない白い肌は、陶器のようになめらかだった。

 うやうやしく頭を下げながら、カロンはなんて優雅なお人なのかと、それも同い年の少女の、その大人顔負けの典雅な仕草に、惚れ惚れしていた。
 そのほのかに漂う麗しさと気品は、どちらかと言うより、少女の見目からでなく、その仕草と口調から発せられているように思われた。

「…また同じような年の子なのですわね、おじさま?」
 少女は横を向いた。カロンは無礼にならないように、盗み見るようにして彼らの挙動を目端で観察していた。
「彼女たちは、お前が上手に使いさえすれば、これからお前の気心の知れた腹心になる。大事に使いなさい」
「承知いたしましたわ、おじさま」
 少女はほとんど間を置かずに応答していた。どこか機械的なまでに正確で無駄のない受け答えにも思えた。

 やはり一切の迷いや無駄もなく、彼女はスっとカロンの方を向いて、また一瞥した。
「――あなた、姓名は?生まれは?」
「は、はい。……あの、恐れおおくもはばかることなく、御前にて口を開きます光栄に浴しまして申し上げますに…」
 カロンは昨日覚えこまされた口上をもって、口火を切ろうとした。下々が発言を許された時に言う、それはお決まりの文句だったのだ。

「……ああ、黙りなさい!私はそのうっとうしい言葉が嫌いだと、何度言わせたら分かるの」 
 突然の少女のきつい声に、カロンは驚いて肩を縮めた。
「――アステナ!」
 少女は短く呼んだ。衝立の向こうから、カロンを導いてきた女が慌てたように姿を見せた。「…はい!ここに」
「あなたがあれを教えたの?」
「は、はい。わたくしが教えました…」
「私の前では使う必要がないってことも、教えなかったの?」
「は、はい。…あの、どうしましても無礼なことですから、わたくしどもは…。わたくしども、最低限の礼儀、わきまえは、教えておかねばなりません…。ご無礼にあたりますことは、させられませぬので…」
 女は怪しい口ぶりで弁解するように言った。

 カロンはそれを見て、少女の日頃のやり方を少し分かったように思った。
 あれほどわきまえろと言われたにもかかわらず、思わず興味をひかれ、じっと少女の横顔を見ていた。

 少女が気づいて目を合わせた。カロンは慌てて目を伏せた。
「――…目の動かし方、振舞い方も、教えなさい」
 少女は言うと、おじと呼んでいた男に向き直った。
「…お見苦しい限りですわ、おじさま。でも、ご勘弁なすってくださいませ。私、許せないことはどうしても許せないとしか申せませんの。お許しくださって?」
「召使いの教育ぐらい、きちんと果たせなくては」
 男の声はただ冷ややかだった。「上に立つ資格などない。特にお前のような人間ならば、なおさら」
 少女は男の冷徹な眼ざしにも気づかぬように、優雅にうなずいた。
「承知いたしておりますわ、おじさま」
 少女はわずかに腕を動かして脇の侍女を促した。侍女がさらに手を挙げ、奥で控えていた下女に新たな果物を持って越させ、自分は男の杯に酒を注ごうとした。
「いらぬ」
 男は不快そうに侍女を睨んだ。少女が、「まあ、失礼を」とだけ謝った。
 男は立ち上がった。帰るということだった。
「――よく教育を施し、育てよ。先に私が寄越した侍女たちにも」
「はい。お見送りを」
「いらぬ」
「はい」
 男は身を翻した。そばについてきた男はとうとう一言もしゃべらず、行ってしまった。

 少女はやや黙って椅子に座していた。それから手を上げた。
 奥からしずしずと下女がやって来て、先ほど男に断られた果物を少女の前に置いた。
 少女は一つ掴み、口に入れた。

「――それで、名前は?」
「………あ、はい」
 少女がこちらを見ていなかったので、カロンは一瞬自分の事だとは思っていなかった。
「もうあの前口上は私の前で使わないでちょうだいね」
 もう一つ果物を摘みながら、少女が釘を刺した。
「――カロンと申します」
「出身」
「……コマリア・テルンという町です」
 カロンは小さな声でつけ加えた。「もう無くなってると思いますけど…」
「…コマリア・テルン?知ってる?」
 少女は傍らの侍女にたずねた。侍女は首を振った。それで少女は顔を戻して続けた。「戦争か何か?家族はどうしたの」
「戦争です、ご主人様。家族は、みんな途中の町にいます。そこで暮らしていると思います」
「全員無事なの?町を失ったのに」
「はい、無事でございます。ご主人様」
「それは素晴らしいことだわ」
 少女はちょっとの間頭を傾げ、アステナと呼んでいた先ほどの侍女へ目をやった。「教えてあげてちょうだいな」
「は、はい…?」
 アステナは当惑して聞き返した。
 少女は眉をひそめた。「…まったくあなたは、鈍いから嫌よ」
 ずっと少女の一番近くに控えていた年かさの侍女が、直立した姿勢のまま言った。
「――殿下をお呼びたてまつる時は、ルイアナ様とお呼び。ご主人様と呼ぶのはお嫌いでいらっしゃる。もしくは、殿下とお呼びなさい」
「は、はい…」
 カロンはまごついた。

 普通は貴人の名前を呼ぶことは無礼なことなんじゃないか、とカロンは知っていた。
 しかし、国や地域によって違うのだろうか。それで少し変な気がしたが、おずおずとそちらを見やれば、少女は黙って待っているようにこちらを見ている。

「…あ、あの……ルイアナ様。お仕えできることが、とてもうれしいです」
 教えられた口上は、もっと丁寧で決まりに沿ったものだったが、先ほど教えられた言葉はあまりにも評判が悪かったので、カロンなりの言葉で伝えることにした。
 周りの侍女たちはこれを聞き、あまりに気安いと顔をしかめたようだった。

 少女は立ち上がり、カロンに近寄ると初めてにっこり笑った。
「私もうれしいわ、カロン。――ルイアナよ。あなたの主人であり、親愛なる人間となれることを願っているわ」
 静かな少女が見せた、豊かな表情に、カロンは何かとっておきの素晴らしさを感じたように、その顔を見つめた。

 しかしすぐ叱咤する声が飛んできて、カロンは慌てて膝をついた。そのまま教えられていた口上を読み上げて、もう一度改まった挨拶を述べた。
 頭を上げなくても、何故だかルイアナの笑んだ顔があるように感じた。


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