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  身代わりの少女 ルイアナ



*****序章 あらすじ*****************
 故郷の街が陥落する前に逃げ出した少女カロンとその家族は、しばらく奴隷に身を落として暮らしていた。
 なんとかそれを脱したものの、貧しさに困っているところを、ある二人の男たちに買われて、カロンは旅に出た。
 大きな街に着いた彼女は、そこで一人の少女――王女 ルイアナと出会い、侍女として暮らすことになったのだった。

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第一章        一.

   …ダロガンシュ王の息子にして、偉大なる王、トパスは、我らが<<神セトメキオン>>に、
   その金なる法を、天に世に、声高らかに聞こし召し奉られたもう。
   詔りの白く輝き、空より雷が落ちたる。
   ----詔は白く変じ、----炎の赤く燃え----
   万民は大いに驚き、かの神の偉大なるみわざにひれ伏したり。

                           ――古代都市跡の、王宮の壁碑文より




 カロンがやって来てから、すでに半年が経とうとしていた。

 ルイアナの側近くに控え、世話をする侍従として、カロンは召し上げられたようだった。前に奴隷として働いていた家では、考えられない待遇だった。

 あの屋敷よりもっとずっと広く豪華な館なのに、そのてっぺんにいるはずの主人は、カロンと目を合わせて話をするのだ。
カロンはあの屋敷の主人の娘の顔すら見たことがなかった。完全に隔てられた表と裏の、裏の隅に縮こまって生活していたのだから、当然だった。
 この館にも下の召使いはいる。だが、ルイアナ付きの侍従というのは、召使いの中でも、上等に位置づけられていて、羨ましがられる立場だった。


 カロンは他の召使いたちからある程度の事柄を知らされていた。
 ルイアナの生母は既にないこと、他に共に暮らす親族はいないこと、ルイアナが王族であること。
 養育者はどうやらカロンを連れてきたあの男らしいが、今のところ彼と深く関わることはなく、いまいちよく分かっていなかった。それにあれ以来見てもいなかった。

 ルイアナは高貴な人間らしく、気品と威厳を兼ね備えていた。
 しかし、少女らしいあどけなさや好奇心はそこここに見え隠れしていたし、時に親愛さも示した。整った顔を保ちながら、彼女は指一つで、侍女たちに自分のご機嫌を取らせる方法を知っていた。
 ルイアナは退屈すると、年の近い侍女たちを側に侍らせ、他愛ない遊戯に興じたりした。


 その日もルイアナは遊戯盤で侍女たちと遊んでいた。
 列をなして孔(あな)の空いた盤の上に、動物を象った木の駒を差して、先に終着点(ゴール)まで進む遊戯だ。カロンも知っているものだったので、その相手をすることもあった。
 ルイアナは飽きるまでゲームを遊ぶと、午後の休息をとった。
 この時間は大体寝椅子に横になって休憩していた。時々話し語りの好きな侍女が、側で昔話を話していることもあった。


 カロンはいつもどおり、刺繍をしに召使いたちの仕事部屋へ向かった。裁縫も侍女の仕事の一つだった。

「――まあ、あんたそれっぽちしか進んでないの」
 仕事にとりかかってすぐ、手元の針と糸は、前に立ちふさがった女の影がかぶさって見えづらくなった。
 カロンは少し口元を固くした。
「大したもんね。…百姓の娘って、あたしよりずっと手つきが器用なんだと思っていたわ。あたしは、あんたよりよっぽどちゃんとした家から出て来たもんだから、お裁縫から詩を歌うことから、ルイアナ様のみ姿をふさわしく整えてさしあげることだって、簡単にできるのよ。だのに、あんたのそれはなんなのかしらね」
 この娘は話し出すと長かった。すでにこの館の召使いとして数年働いているうえ、事あるごとに自分は貴族の娘だとのたまわって、周りを押さえつけていた。
 ここの侍女にはそういう娘が何人もいた。カロンは彼女たちからどうやら嫌われているようだった。

「あんたの得意わざってなんなの?」
 取り上げられた布を追って、カロンは手を上げた。「…返してください」
「あらあら、それだけ?あんたがちゃんと人並に手を動かして働かないから、こういうことになるんだって思わない?」
 女は嫌味ったらしく言うと、馬鹿にするようにふっと布を息で吹き上げた。
「…返してください…」カロンの言葉尻は震えていた。
「それそれ、それがあんたの得意わざだったわね」
 険しい顔で涙目になって睨む少女の頭に、女は視界を覆うように布をかぶせた。「はぁーい、お嬢さん」

 カロンは引ったくると、仕事部屋の奥に走って、そこに座り込んで針を動かした。
 その隅の壁の出っ張りに腰をかけて仕事することがカロンの決まりのようになっていた。
 下級貴族の娘は、まるで鼠のようだと笑って、しばらく小言と嫌味を繰り返していた。やがてカロンは完全に孤立して、隅で作業に没頭するようになった。

 目端に涙がにじむのは、自分が情けないからだった。母にも昔から不器用だと呆れられていたぐらいだった。
 手の遅い娘は近所から怠け者だと言われる。嫁の貰い手も少なくなる。いいことなどない。
 カロンも、どうせなら器用で要領のいい人間でありたかった。
 蝶よ花よと育てられた貴族の娘より、自分の方がずっと手が遅いとは、一体どういうことだろうか。そういう情けなさを自分で感じるから、余計に悔しくてたまらなかった。カロンは慌ててこぼれかけた涙を手で乱暴にこすった。
 いつもこのみじめな表情を見られぬよう、壁を向いて仕事をしていた。
 この辛さと悔しさは耐えがたかったが、みんなの側で恥をかくことも嫌で、どうしても壁際にしがみついて、こんな風に縮こまっているのだった。

 …あたしは鼠なの?カロンは顔を歪めながら、一心に手元を睨んでいた。鼠。こんな生き方しかできない、情けない人間。

「鼠」
 どきりとして振り返ると、これもやはり親が官吏だという小間使いの娘が、鷹揚な顔つきで立っていた。
「ルイアナ様がお召しよ。早く行きなさい」
 カロンは慌てて布を置いて駆け出そうとした。
「ちょっと!」
 娘のするどい声に振り向く。
「あんたねえ、急いでって言われたって、自分の道具ぐらい片付けて行きなさいよ。針なんかそのままにして、危ないじゃないの」
 カロンが慌てて針をしまうと、娘はこらえきれないように吹き出した。「…ばっかじゃないの。そんなことも自分で分かりゃしないんだから」
 周りの娘たちも呆れたように笑っている。
 悔しい気持ちをこらえて、カロンは廊下を駆けてルイアナの部屋を目指した。



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