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 ルイアナは十二歳の頃、女神リアンナをたてまつる、大神殿の女神官の役職を賜っていた。

 しかし、それは形式的なもので、実際にずっと神殿にいるわけではなかった。ただ、多少は神殿の運営に関わることもあったし、祭祀にあたって出席することもあった。
 それ以外に彼女に政治の役職はない。
 しかし、神官といえど、国政に関わることも多く、大神官ガニともなれば、王に直接意見を言うこともあった。また、フメール諸都市の中には、都市の支配者である王の代わりに国を動かしている大神官もいた。
 祭人だからといって、俗から足を洗った人ではない。巫女や神官は神の声を聞く役割がある。その影響力は大きかった。

 王族の婦女子の道としては、幾つかの選択肢しかない。
 他の都市の王族と姻族関係を結ぶのに一役買うか、神官職のように、神聖性は失われないが冷や飯喰らいにならない程度の飾りの地位を与えられるか、だ。
 母親の出自が低ければ、もっと選択肢は広いが、その代わり待遇は格段に落ちることになる。卑母の子は、庶民とその扱われ方があまり変わらなかった。

 ルイアナは王宮に出入りすることが認められていた。もちろん、賜っている女神官の役職を果たすためにも参内していたのだ。しかし、弟ジョザンスキムがいなければ、彼女が王になっていてもおかしくはなかった。それでまだ都の中に、実際の役職以上に高い地位と存在感を保って、留めおかれているのだった。

 ルイアナが王宮に足を踏み入れると、よく見知った大臣や貴族たちが近寄ってきて、さっそく愛想よく挨拶をかわした。
「――これは、殿下。ご機嫌麗しう。どちらへ?」
 その時明るく声をかけてきたのは、このところ頻繁にルイアナに近寄っている臣下、ルッソネムだった。
「ご機嫌よう、ルッソネム。陛下に拝謁いたしますの」
「そうでしたか。おみ足の運びをお邪魔いたしまして、畏れいります。しかし、私めは王女様のご尊顔を拝するのが日々の喜びでして……。毎日お顔が拝見できれば、さらに喜びも増すのですが」
「そうですわね。それはそうと、あなたさまもお健やかなようで、わたくしほっと致しましたわ」
 ルッソネムは王女の淡々とした調子に気づいているのかいないのか、まくしたてるように話した。
「もっと王宮に足をお運びなされれば、よろしゅうございませんか?陛下にも、私再三申し召しておるのですが…」
「ええ、そうね。あなた様のご好意とそのお力添えには、私本当にうれしく思っておりますの。でも、私は神官の役目を賜っておりますわ。それに差しさわりがあってはなりませんから、これぐらいがちょうどよろしいのです」
「もったいないことでございます!王女様が積極的に政務にたずさわっていた、トセオム市の例もありますというのに。ご存知でござましょう、トセオムのアパレレオンの女(むすめ)、王女キッパの伝えを。あなた様のような賢く照る尊いお人が、そのような閑職しか賜られておられないのは、はなはだ納得いきません」
 カロンにだけが、ルイアナが心底うんざりしているのが分かった。まだルイアナは十五だったし、年齢を考えると普通の待遇だった。
「本当に、あなたときたら厚いお心をお持ちなのね、ルッソネム。その上、本当に慎ましやかな人だわ」
 そろそろその不用意な口をつぐめと冷たい目を向けられているのにも気づかず、ルッソネムはまくしたてた。
「私めは聞き及んでございます。殿下が、ご領地をいかに公平かつ清明に治められておられるか。そのご聡明な采配に、領民がみな涙を流し、ゆえあってそのご領地を離れねばならない者は、地を叩いて悔しがるほどだということを。殿下は本当に賢く素晴らしい方でございます!」
 続けてルッソネムは、とんでもないことを口にした。
「…この前も、ローグ次官主催の宴で、私めは陛下にそれとなく、しかし声を明(めい)にして申し召しました。――殿下の素晴らしさを!是非に、ふさわしい職をお持ちになるべきだと。いえ、きっとこのような不遇は公明正大なるセトメキオンもお怒りになられておられるはずだと。きっと、きっと近いうちに、陛下から素晴らしいことが賜られると申します」

 ルイアナとカロンたちはぞっとした。
 まさか、ジョザンスキム派の大臣たちも大勢いたであろうその宴の場で、不用意にこの男はまくし立てたのだろうか。
 今頃彼らは、ルイアナの指示だと思って顔をしかめているに違いない。
「まあ、それは……本当に」ルイアナは言葉を切った。
 汗だくになった額を光らせて、何か期待するようなきらきらしたルッソネムの瞳が向けられる。
 ルイアナはもうかける言葉もなく黙り込んで、背を向けた。
 いずれルッソネムはなんとかせねばならないが、とにかく、今は早急にジョザンスキムたちの反応が知りたかった。
「――殿下、列を離れることをお許しください。わたくし、これより財務庫の方へ参りますゆえ」
 侍従長が急いだ様子で、ルイアナに寄って言った。
 侍従長には王宮にも何人か心強い知人がいたので、今の王宮の状態を知ることができた。ルイアナはうなずいて、彼が列から離れることを許した。

(……許しがたいわ…。あの男……)
 カロンも呆れるより怒りが湧いてきた。
 こういったごたごたは日常茶飯事だったが、何故か、いずれも予期しない方向から不意打ちでやってくるのだ。その対応に追われて窮することも度々だった。
 しかし、いつも決まった道順で王宮の中を通る一行は、早くも王の間に到着しようとしていた。侍従長が姿を現さないので、列をわざと遅々と進ませ、一行はやきもきしていた。――まだ侍従長は来ないのか!
 王に拝謁するに、どのような顔をして、どのような言葉を聞かせたまうのがよいのか、ルイアナ王女が判断しかねるではないか。

 侍従長がやっと姿を見せた。彼は慌てて列に合流し、ルイアナに何か抑えた声で話した。ルイアナの表情が変わった。カロンは遠目にひどくやきもきしながらその様子を見ていた。
 ルイアナはいつものように一人で王宮の奥の宮を進み、そのまま王の間へ向かった。
 ルイアナがどんな風に陛下と謁見したのかと想像して、カロンはひどく心が落ち着かなかった。
 王女とはいえ、ルイアナからねだっていいものなど、限られている。ルイアナ自身が、恥もわきまえもなく、もっといい待遇を寄越せと訴えたのではないことぐらい、陛下ならきっとご存知のはずだ。しかし、それでも…ひょっとすると、これは愚かな娘だと王陛下が思われてしまっていたら……。ルイアナの侍従たちはそわそわして、謁見の間(あいだ)控えていた。
 ルイアナはいつもどおり冷静な顔で王の間から出て来た。そのまま、特に何も話すことはなく、帰路につく。
 帰り路で、ルイアナは従者たちに声をかけた。
「――神殿に向かいましょう。祈りをあげたいわ」
 一行はロビングスの神殿をたてまつる大神殿へ足を運んだ。


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