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 神殿の入り口は、大勢の庶民たちでにぎわっていた。
 ロビングスの神殿は大神殿だ。この地区の住民のみならず、都中の人、時には遠方の旅人たちも大勢詣でて、ここで祈りをあげていった。
 人々は、何か奉納の品を抱えたり、神官たちに、忙しいので祈りを代わりにあげてくれと頼んでいたりと、おのおののやり方で詣でている。
 彼らは、王女が貴賓者用の通路を通って神殿に入っていくのを目撃すると、偶然とはいえ王女と行き会えたことを喜んで、遠くから微笑んだり、拝んだりした。
 ルイアナは神の加護を受けた王の娘だから、神殿においてありがたがられるのは、いわば当然のことだ。
 ルイアナは特にそちらに目を向けたりすることはなかったが、いかにも敬虔そうな老女が寄って来ると、微笑んで、彼女が、「ありがたいお姿を拝見できて…」と、自身の感動を語るのにまかせた。
 少し話が長くなりそうだったので、頃合いを見て、侍従長がやんわり断った。
「信心深き人よ。あなたの感謝の心は大変けっこうなものです。――…しかし、そろそろ日が傾いて参りましたので……」
 フメールの人は、時間が経ったことをこう表現した。相手に、「お引き取りください」と言いたい時もこの言い方をした。異国の人なら、けげんな顔をするだろうが、普通、これを言われた人は、大抵はっとした顔で空を仰ぎ、
「ああ、ほんに、日が傾いてしまいまして……」
 と、この老婆のように言って、うやうやしく礼をして去るものだった。
 老婆が喜んだ様子で、王女から去ったのを見送って、一行はしずしずと神殿の中へ入った。


 石造りの神殿の中は少しひやりとして、薄暗い中に香の匂いがただよい、神秘的で静謐な空間が広がっていた。
 驚くほど縦に長い空間で、その高さを支えるための太い柱が並び、暗いこともあって、あまり見通しはよくなかった。しかし、はっきり見通せないが、奥行きを感じさせるその空間が、この神秘的な空気を形作っているようでもあった。神秘は、つまびらかな状態からは生まれないものだ。
 ルイアナは静かに前に進んで、少し離れたところで立ち止まった従者たちに見守られながら、そこに建てられていた大きな像に祈った。
 それは、ルイアナがリアンナの神殿の女神官になった時に、記念としていくつかの神殿に奉納した像だった。大きさも作りも、実に立派なもので、寄進した彼女の位の高さが十分にうかがえるものだった。
 庶民も像をささげることはあるが、それは大抵、像を安置すると、その像が身代わりに病になってくれるとか、家を守ってくれるとかいう、昔からの民間信仰によるもので、王族のように自分たちの偉大さを見せつけるためのものではなかった。それに、像を奉納することで、神殿になかなか通えない人も、これで少しでも、神様に信心を見せることができただろう、とほっと安心できるのだった。
 そのような素朴な像もたくさん並べたてられ、この祈りの間には、数多くの像が置かれている。その像の間を、参拝の人が行ったり来たりしていた。
 時々、王女に気づいた人が、いかにも興味深げなちらちらした視線を寄越してくる。
 一目見てあれが王女だと気づく人は少なかったが、飾り立てた身を見れば、高貴な身分であることは明らかだ。ずけずけと、あれは誰だ、と側の神官を捕まえてたずねている人もあった。王女だと分かると、彼らは何かご利益があるかもしれないからと、念のために、できるだけ近くまで走り寄って、一生懸命拝むことも忘れなかった。幸運にも王女の参拝に出会えた彼らは、そうしてとても満足して帰って行った。

 ルイアナは、それらの少し雑然とした気配を背後に感じていたが、静かに沈黙を守って、一心に祈っていた。するとそこへ、何やら聞き覚えのある声が、遠くから聞こえてきた。
「――…ガニ様、本当に、これは大変なことなんでございますよ」
「――ええ、分かっております」
 二人組の男の話し声だ。
「一昨年も、ひどい不作でございました。今年もどうやら日照りで、獲れが十分でないんでございます。こんなことがございますか?一体私の何がいけなかったんでございましょう。もっと立派な石工に、像を彫らせりゃよかったんですかね」
「神々はいつも気まぐれなものです。しかし、祈っていれば、幸いを降り注いでくださることもあります」
「すると、家内にこう言われましてね。――お前、ロビングスは違うんじゃあないのかって。あれは太陽の神様だけど、畑とか、作物とか、そういうのは、豊穣の女神様にお祈りするのが筋だろうって。それで、私も気づきましたんでさ。確かに、お角違いの祈りだったんです。そうです、リアンナ女神様のが、“向いてる“んだってことは、疑いようのない事実でさ」
「確かに、豊穣の女神リアンナが、豊かな実りをもたらしたもうことは事実です。しかし、ロビングスに祈ることが、筋違いとはなりません。神々はいつも我々の声に耳を傾け、人間の行いの――…」
「ああ、本当に悔しいことで!」怒った声は遮った。「なんで言ってくださらなかったのかって、私が腹を立てたのもお分かりでしょう?ええ、ガニ様。わたしゃ、本当に疑問でございますよ!どうして私の間違いを教えてくださらなかったのかって」
「いえ、ナグナントさん。そもそも神々の役割は、それしか果たせないという、厳密なものではなく――…」
「ええ!分かっています。像を建てさせたほうが、そちらのもうけになりますからね!そりゃあ、よいでしょうよ。黙って像を置かせて、黙ってもうけを受け取るだけ!本当にありがたいお役目ですよ!ねえ、神官というのは、立派なもんです!」

(――話を聞かない男だわ)ルイアナは祈りの姿勢のまま、こっそり心で呟き、
(なんて話を聞かない人なの)遠目に怒鳴る男を見ていたカロンも、こっそり眉をひそめた。

 今や、怒鳴る男と、それをおさめる神官は、話しながらルイアナのすぐ側まで来ていた。彼らが側へ来ると、ルイアナは立ち上がってそちらを振り返った。
 激高する男をなだめていた神官が、ルイアナに目をやった。
「――…姉上。いらしていたのですか」
 少しだけ驚いたように、神官は目を見開いた。
「リアンナの幸いがあなたの上にあるように。――相変わらず厳粛に務めを果たされているのですね。ルク・ガニよ」ルイアナは言った。
 ルク、とは、ロビングスの大神官(ガニ)に付けられる呼称だった。一口にガニと言っても、都の中には大神殿がいくつもあって、その数だけガニがいるので、そのような呼称を付けて呼んでいた。ロビングス大神殿のガニ、と呼ぶのは面倒だったからだ。
「ロビングスの幸いが、あなたの上にありますように。――どうぞ、我が弟と呼んでください。水臭い方だ」
 王の(庶子を除いて)三番目の子ども、フーディーンは屈託なく笑った。


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