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「――セントンが牛を連れているところを見た百姓よ。もう一度前へ」
 百姓がおずおずと進み出た。「どうも……あの、光栄です、お会いできて」
「まず宣誓を、それから私の質問に答えなさい」
「セトメキオンのごとくに公明なる行いをなすこと、言葉を述べることを誓います。…はい、なんでもお答えいたします」
「さきほど、クノッセが、疑われし者セントンが牛を西に連れていくのを見た、とあなたが発言したと述べました。間違いないですか」
「はい」
「彼は西に向かっていたのですか?」
「ええと……方角?向かってた方角ですか?」
 侍従長が手元の板に目を落とした。「申し立て人によると、西の村ではその日昼から市場が開かれており、疑われし者は、そこで牛を売るつもりだったと思われるとの主張がある。ヒナギクの原を通って、そこに向かう途中だったと主張している」
「はあ、まあ…。あそこを西へ横切ったら、その市場へ行けますが」と、百姓。
「つまり、セントンは市場の方へ歩こうとしていたのですね?その方角を目指して進んでいるところを、あなたが目撃し、後から探している人々に知らせたと。あなたが知らせに行ったのですか」
「いいえ。向こうから、大勢人が来て、牛を見てないかって大騒ぎしてたから、知らせてやったんです。……ああ、思い出しました。あの小僧は、市場とは反対の方向へ歩いていました。最初に、わしはそれを見て、市場で牛が売れねぇで、帰って来た百姓かと思ったんです。でも、どうも若い奴だったんで、ちょいとおかしいと思ったんで、どこ行くんだって聞いたんです。でも、よく聞こえなくて」
 ルイアナは少しざわついた聴衆たちを無視して問いかけた。
「セントンは市場とは反対の方向を向いていましたか?」
「はあ、東に向かってました。市場に行くなら逆です」
「――見間違いだろう。それか、記憶がごっちゃになってるんじゃないか」
 クノッセが大声で問い返すと、百姓は首を振った。「はあ、でも、最初に見た時、市場から帰って来た人間かと思ったのは、間違いねえ」
「向いていた方向がなんであれ、奴以外、牛を連れてるとこを見られた人間はいないんですよ」ゲオルグが遮って、大きな声で言った。「だとしたら、やっぱり奴が盗人ってことになります」
 ルイアナは侍従長に顔を向けた。
 侍従長はそれを受け、手を挙げた。
「もう一人呼んだ証人が来ているはずだ。――シノ町のナナン、前へ出よ」

 ナナンという男が前へ来て、宣誓した。
「神々にかけ、真実を述べることを誓います。――わしはシノ町で金貸しをしているナナンです。そこの…」彼はクノッセの方を見た。
「そこの男に、金十メルクを貸しています。ですが、期限を過ぎても返してくれません。返さないのなら、こっちの商売が成り立ちません。だが、あいつは待ってくれの一点張り。この月が最後の期限です。もうすぐ金をつくる当てがあると、奴が何度も頼むので、本当に最後の期限にしました」
「――…そんな話をした覚えはない!」
 クノッセが大声で叫んだ。「…でたらめだ!」
「クノッセ。彼に見覚えはあるか。金を借りた事実はあるか」
 侍従長に問われると、彼はしばらく赤い顔をしていたものの、ようやく答えた。
「……確かに、あの男に、少し前に金を借りました。…十メルクも借りてたかは、覚えちゃいません。ですが、知人に金を貸してくれる当てがあって、返すつもりでした」
「その知人の名は?証人として呼ぶ必要がある」
「…言えません」
「ならばその事実の裏づけにはならぬ。ナナン、証言は確かだな」
「はい」ナナンはうなずいた。「どうあっても、返してくれなくりゃ困ります。誰が牛を盗もうが知りはしませんが、私の元に金が返ってくるようにしてください。――それから、あの男にも貸しました」
 ナナンに指されたのは、聴衆の中にいた男だった。
 男はうろたえた顔をした。
「…バーンか!」聴衆が叫ぶ。
 侍従長はもう一度板に目を落とした。「屋敷の人間から証言をとる際に、バーンが博打によって金に困っているという話が三人から出た。バーン、お前にも借金はあるのか」
「その話が、今関係がございますか?」
 バーンは戸惑ったように聞き返した。
「あると判断する。ナナンから金を借りたか」
「…はい」
「返済期限は、返済は」
「今月です。まだ返してません…」
 侍従長は係官から新しい板を渡され、それに目を走らせた。
「――ここに、シノ町で、去年酒場で起きた暴力沙汰の裁判の記録がある。双方とも酒に酔ってのことであったゆえ、判決によって、殴りあった上で和解という、両成敗の結果に終わった。その一方はクノッセだな。この裁きにおいて、お前は、シノ町の賭博場で、たびたび喧嘩騒ぎを起こしていたという証言がのっている。その時、バーンも側にいたという話が出ている。この事実は認めるか」
 バーンはうろたえた顔で、クノッセの方を見ている。
 まさか、たかが牛泥棒で、他の町の裁判記録まで引っ張りだしてくるとは思わなかったのだ。
 普通は、訴えの前にいくつか証言を集めたら、後は裁きの場で、当事者たちから話を聞くだけである。
 ――だのに、なぜこんなに徹底しているのだろう? 聴衆たちは不思議がってざわめいた。
 二人とも、まさか、その話まで出てくるなど考えもしていなかったという顔だった。
 一番予想外の話に衝撃を受けているのは、主人たるゲオルグだった。
「…その話は聞いていますが」ゲオルグが険しい顔で口を開いた。「…罰として、給料を二月なくしましたから――…賭博場にしょっちゅう出入りして、金を借りていたというのは初耳です」
 バーンはおろおろと仲間の方を見た。
 クノッセは黙っている。彼は周りの人々をにらんでいた。
「――あらためて、あなたに聞きたい」
 ルイアナが静かな声でバーンに告げた。「その日あなたが、セントンが干し草を捨てる時に、長い間話していたというのは、どれぐらいのことだったのか。また、あなたはなぜそこにいたのか?」
「えーと…。あの……」
 バーンは口ごもっていた後、「…あそこは、実を言うと、わしらの休むのにうってつけの場所なんです。みんな、あそこでよくくっちゃべっています。わしだけじゃないです」
 ルイアナはしばらく、何も言わずにバーンの顔を見ていた。
 冷ややかでもない、まったく無味な面で、長い間見つめられていたバーンは……とうとう震えだし、しまいに、その場でひざまずいてしまった。
「……お許しください!クノッセの野郎が、最初に盗もうって言いだしたんです…!」
 聴衆たちは騒ぎたてた。
「なんだと!」クノッセが猛然と怒りの声を上げた。「おいっ、この野郎、お前は――!」
「黙りなさい」
 ルイアナは氷のような一言で黙らせると、バーンに目を戻した。
「…あの、どうしても金が必要で…。俺、最初、よそうって言ったんです。どうせばれるからって。でも、俺が時間をつくって、誰も見てない時にすれば、ばれねぇって、そう言われて…」
「嘘だ!この野郎」
「……この恩知らずめっ!」
 ゲオルグが二人に怒りの声を上げた。
 聴衆たちはこの騒ぎに大喜びだった。…裁判は村人たちにとってまたとない見世物だったのだ。
 クノッセ、ゲオルグの怒りの声と、聴衆たちの騒ぎたてる声に、一時謁見の間は大変な喧騒だった。
(…まあ、なんて騒ぎ……)
 カロンは驚いて壁際にあとずさった。
 その横では、書記が筆を止め、あきらめたように聴衆たちを眺めている。そして、彼は短い休息を終えると、次のゲオルグの言葉から、また書きとめだした。
「――クノッセに罰を与えてください!牛を盗んだ罪で、クビだ!」
「俺は盗んでない!」クノッセが叫び返す。「濡れ衣だ!」
「もし、あなたがその罪によって、下男クノッセを訴えるならば、それを認める。また別の裁きになるが、そこで判決が下されるだろう」ルイアナが告げた。
「奴にどのような罰を与えられますか?百叩きですか?」
「百叩き!?」
 クノッセが悲鳴を上げたのも無理はない。鞭で背中を百も打たれるのは酷な罰だ。
「それはまた裁定することになるだろう」侍従長が告げた。
 ゲオルグは、その間にもいきりたっていた。「…奴をすぐ放免してやる…!…”ご免金”もなしだ!」
 バーンとクノッセが、主人のその言葉に抗議の声を上げた。
「なんだって!?…あんまりだ……!」

 ”ご免金”とは、自由民である労働者がお役をご免される時に、長年その主人の元で誠実に(ここの誠実という言葉は、特に大きな問題なく、というような意味で、かなり大勢の人に当てはまるようだ)働いた者に支払われる金だ。働く者にとって、ありがたい金だ。
 また、このあたりでは、将来多くのご免金を払うことを盾に、労働者にかなりの無理を押しつけることが慣習として行われていた。

 ルイアナは首を振った。
「――クノッセとバーンは両人とも、自由民である。また、盗みを実行しておらず、未遂に終わっている。そして家族があることを加味し、ご免金をなくすことはまかりならぬ。三分の一程度までの減額ならば認める。まったく払わないことは認められぬ」
「…なんですって!そんな話がありますか。それじゃ、私は腹がおさまりませんよ!」
 ゲオルグはしばらく怒っていた。「こっちは、牛を盗まれたってのに!年二回の褒美までやって、裏切られて、こっちは大損だ!」
「褒美なんか毎年ももらっちゃいない。代わりに罰金ばっかりとるじゃないか」
 誰かが小さくつぶやいたのを、ゲオルグは聞き逃さなかった。「誰だ、今のは!?…この恥知らずども!」

 係官たちに連れられ、クノッセとバーンは、大声で喚きたてたまま連れていかれた。これから詳細を調べるため、厳しい取り調べが待っているのだ。
 ずっと黙っていたセントンが、前に進み出た。
「あの…私の疑いは晴れたということで、いいんでしょうか…?殿下」
 ルイアナはうなずいた。
 セントンはぱっと晴れやかな顔になった。彼はその場に額づいて、感謝を表した。「……ありがとうございます…!」
 セントンが立ち上がり、その場を動こうともせず目を向けているのに気づき、ルイアナは問うた。
「セントンよ、疑いの晴れし者よ。まだ何か?」
「あの……殿下は、その、法ってやつについて、よっくご存じなんですよね…?」
 侍従長以下、館の人間たちは、セントンに呆れを越した怒りの目を向けた。ルイアナはそれを目で制して、うなずいた。「ええ。何か質問でも?」
「あの、聞きたいんです。俺たちが病気で休んだりした時に、罰金をとるのは、法ってやつにのってる、正しいことなんですか?」
「おい、お前!何を聞いている」ゲオルグは下男に厳しい目を向けた。
「どうせ、こんなやっかいごとを起こしたんだから、俺、ご免されるんですよね、旦那。だから、俺も今までの疑問をぶっつけるだけです」
 セントンは、少年に似合わず不敵な目で主人をにらんだ。
 田舎くさい話し方をした、まだ幼い顔立ちの人間とはいえ、彼のそれは、すでに敵には向かっていく果敢な男の目であった。
「だから、みんなを代表して聞きますよ。――旦那、どうしてです?おたずねするのは、具合が悪いんですか?」
 挑発的な言動はまだ若い少年らしかった。おい、と聴衆の中から、心配そうな低い声が飛んだ。
 ルイアナはまっすぐ不動の姿勢のまま、よどみなく答えた。
「答えましょう。ゲオルグの行いは法に背いている。――旧来の法であれば、自由民を直接雇用する者には、労働者に対し、条件が合えば、罰金なしに、年二日の休息を許している。新法典によれば、五日に変更された。条件とは、三親等以内の葬式、もしくは婚礼祝いへの出席。その他、本人、または親、兄弟、子、孫、義両親のいずれかが重篤な病にかかった場合、休むことを認めるものとしている。ただし、雇用日数の少ない、請け負いの小作人などには、その休息を認めない」
 セントンは眉間にしわを寄せ、懸命に話を聞いている様子だった。
 ルイアナは、彼のために少し口調を緩やかにし、続けた。
「あなたは、身柄を父から今の雇用主、ゲオルグに買われており、自身の土地をもたず、屋敷に居住している。明らかに直接雇用の労働者に該当する。よって、ゲオルグは、給料の天引きや、罰金の付与なしに、彼セントンに、重篤な病という条件を満たしている以上、年に最大で五日の休息を認めねばならない」
 ゲオルグは何か言いかけたが、ルイアナは続けた。
「我が名の下に、我が領地、ワー村に住まいする、ゲオルグ・ゼン・ナイマンに命じる。――すべて、汝が直接雇用する自由民の労働者に対し、これまで年二日以内の休息で、徴収していた罰金を返金すること。そして、これから先には、さきほどの条件を満たす限り、休んだからといって罰金をとってはならぬことを知り、その法を守ること。…ただし、自由民でない労働者に対しては、これまでと同じく、罰金の徴収は認める」
「――横暴だ……!…私に破産しろっておっしゃるんですか!」
 ゲオルグが叫んだ。その後ろでわっと聴衆たちが沸き立った。彼らは色めいていた。
 これまでに休んだ日と苦労、その時徴収されたなけなしの金を思って、喜んでいるのだ。
 ルイアナはゲオルグの抗議の声にうなずいた。
「ゲオルグの声はもっともである。彼の財産をつぶし失せるほどの損失を与えるおそれと、彼の返済能力を加味し、それらの返還は、今後一年かけて行われるものとする。また、罰金の返金は、過去三年以内までしか、さかのぼって請求できないものとする。そして、返還の請求は、労働者自身の手によって起こすことを告げる」
 聴衆たちはざわめいた。
 彼らには事務的な言葉はよく分からなかったが、なんとなく雰囲気で分かった。
 …労働者自身の手で?もちろん、彼らとて、日々の生活で訴えを起こすことはあったが、自分の雇い主となると、話は違った。
「あのう…それは、殿下がしてくださらないのですか?」男の一人がおずおずたずねた。
「私がなすのは、そなたらの権を告げることである。それにしたがって、行動を起こす自由は、自由民であるあなた方には、生まれた時から認められている。私はその陳情や訴状を受け、裁くことを務めとしている。訴えを受けたのちは、ただちに正しく調べ、ゲオルグに罰金の返金を命じるだろうことは約束する」
 ルイアナの言葉はひたすら淡々としていた。
 聴衆たちは当惑して、お互いの顔を見合わせた。
「――…なんだよ、みんな!うれしくねぇてのか?」
 セントンが大声を上げた。「殿下が認めてくださったんだぜ。なんとなりゃ、俺が…ええと、あれだ、代表して、なんかしてやるよ。みんな集まって訴える時には、代表をつくってもいいんですよね?殿下」
 慣れ慣れしい口調に、侍従長が苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
 ルイアナはうなずいた。
「集団で陳情、訴状を出す時には、代表をつくり、とりまとめることは許されている。ただし、それは成人の男に限る。女、年少の男が代表では訴状は受け取ることができぬ」
「あちゃー…。俺、来年成人なんです。駄目ですか」
「――では、俺が代表になる。いいだろう、みんな」
 大柄な男が聴衆の中から進み出て、周りを見回し、ゆったりとした口調で話した。
「…小僧にばっかり啖呵を切らせちゃおれん。――旦那、そういうことで、ようござんすね。俺たちには、あの罰金を返してもらうことができるってことが、お上に認められたんですから。…そして、他にも旦那は、実に色んな、うまい理由をもうけて、俺たちから罰金をとってくれましたよね」
 男に話しかけられ、ゲオルグは吐き捨てた。
「…好きにしろ……!…いいか、お前らが思っとるほど、わしも楽じゃないんだ!」

 ルイアナは騒ぎが収束したのを見てとって、背もたれに身を預け、凛とした声で言った。
「取り調べの上、疑われし者クノッセには、裁きが下される。その裁きは場を移すゆえ、罪状はここでは述べぬ。――疑われし者、セントンの疑いは晴れた。これにより、この裁定は終了することを告げる。なお、労働者は、訴えを希望するのであれば、そこにいる係官から、訴状の作成の仕方を聞くことができる。侍従長、後であらためて、係官にワー村の村人たちに指導するよう指示せよ」
「かしこまりました。――では……」
 侍従長は威厳のある顔と声で告げた。
「…これにより、裁定を終了する。すみやかに解散せよ」
 ワー村の人々は、興奮したように、今見たことや、王女の迷いのない采配について話しながら、がやがやと騒ぎながら、館から出て行った。

 少年セントンは、村人らに肩を叩かれ、ねぎらいの言葉をかけられた。
 しかし彼は、興奮した人に囲まれて流されてゆく途中で、突然入り口で立ち止まった。そして、そこでしっかりとひざまずいて、王女のいなくなった空の御座に向かって、額づいて敬意と謝意を表したのを、カロンは見逃さなかった。



 ルイアナは開放的な部屋に戻って、臥台に身を預け、宙空を見つめていた。
「――お見事なお裁きでございました」
 カロンは水で冷やした布をルイアナに差し出した。
 ルイアナはそれで面をぬぐい、戻した。
「…頭に血が上ってるわ。働いた後はいつもこうよ」
「今日は三件も片づけておしまいになりましたもの。当然ですわ」
 ルイアナは吐息をついた。
「あれでも、気になる裁定だけ選んでいるのよ。全部は裁ききれないから」
「そうなんですか。やはり、今年も訴えは多いのですね」
「暇さえあれば、揉めなきゃすまないのが人間よ」
 ルイアナの口調には少しうんざりした気持ちがにじんでいた。「お父様に比べれば、これも大した苦労ではないのでしょうけどね」
「それにしても、あれだけ、証言をくわしく確かにお調べになって、町をまたいだ裁判記録まで取り寄せるのは、珍しいのではありませんか?村人たちも驚いていましたし…」
「そうね。そこは、お父様譲りの血のせいだと思うわ。人を裁くに厳格であろうとするならば、その調べも厳しいものでなくてはならないわ。昔から法典の話をお聞せいただいて育てられた私が、法をおろそかにしているわけにはいかないわ」
 こういうところは、ルイアナの真面目さだ。カロンは主人の一面を改めて見て微笑んだ。
「でも、あれは優秀な部下のおかげよ。私が都にいる間、ここをおさめている男は、王宮の元法務官だった人間よ。優秀なエリートだったけれど、ちょっとした運のいじわるさから、私が雇えるような立場に移っていたのを、もらってしまったの。彼と出会えたことは私の幸運ね。彼の教育した優秀な係官、警ら隊のおかげで、私はあれだけきちんとした調べの上で、裁きにのぞめるのよ」
 ルイアナはそこで、急に眉をしかめた。
「――それにしても、呆れたわね……」
「何にでございますか?…その優秀な、係官たち…ではございませんよね」
 カロンは突然の話の流れに、首を傾げた。
「…調べをしてくれるのはいいのよ。その腕は優秀よ。でも、彼らでさえ、新しい“セトメキオンの法典”について、まだ熟知していないの。去年来た時に、ちゃんと覚えておくよう通達しておいたはずなのに。あれじゃあ、お父様のご苦労はなんのためにあるんだか分からないわ」
 カロンは考え込んだ。
 ルイアナの裁きは、公平で明瞭だと評判になっているくらいだ。その裏打ちになっている、父王のつくった法典の評判か、実際の現場の司法官たちの間で悪いのは、なぜなのだろうか…?
「……なぜなのでしょう?何か理由があるんでしょうか?」
「さあ、どうかしらね。司法の官吏は、頭の固い人間が多いせいかしら。古い慣習に囚われがちなのかもしれないわね」
 ルイアナはしかし、肘掛けに肘をのせ、頬杖をついて考えるようだった。
「…ただ、もう少し理由がありそうな気もするのよ。それが分かっていれば、除くこともできるというものでしょうけど…」ルイアナはそこで言葉を切り、無意識のようにため息を吐きだした。
 カロンは急に顔を曇らせ、主人に身を寄せた。
「……あの、ルイアナ様。お顔の色がよくありません。…働かれ過ぎではありませんか?どうぞ、お考えになられるのはもうその辺にして、今日はお休みになられてください」
「…ええ、そうね。今日はもう予定もないし。侍女頭に伝えておいて。私はもう休息に入ると。そろそろ、侍従長が新しい用事を持って来る頃だから、彼女も入って来ると思うわ」
 カロンはうなずき、とりあえずいくつかクッションを集めてルイアナの背に敷いた。
 それから、侍女頭に伝えに行こうとした時、ばったり戸口で彼女と出くわした。
「――…あらっ。…あなた、こちらにいたの」
 侍女頭は目を見開いて、カロンの顔を見た。
「はい、殿下にお呼びいただいたので。…あの、殿下は、もうお休みに入られるそうでございます」
「ああ、そう。侍従長がまたご用をお聞きになろうとした先に、間の悪いこと」
(…ああ、やっぱりね。殿下は全部お読みになられているわ…) 
 カロンが心中得意な気持ちでいると、ふと、侍女頭がこちらを見ているのに気がついた。
「……あの…、どうか…?」
「ああ…、いえね。あなたもあれだわね――」侍女頭は何か言いかけて、言葉を引っ込めた。「…まあ、今日はいいわ。どれ、早く、寝間を整えてさしあげなくてはね」
 侍女頭はいつもどおりきびきびした足取りで立ち去り、その先で、寝間のしつらえ係りと、宿直(とのい)を呼ばわっているのが聞こえた。
「…何だったのかしら……?」
 カロンは首を傾げながらも、あまり気にとめずに、その場を立ち去った。



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書きためているものがほとんどなくなってきたので、これから更新が遅くなるかと思います。
この話を全部読んでいらっしゃる方がいらっしゃるかどうか分かりませんが、
辛抱強くお待ちいただければ幸いです。 お付き合いいただきありがとうございます。 1.21