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「……ねえ、何を言いたいの、あなた?…急に、あなたにだけ分かる話を、しないでちょうだい」
 カロンは精一杯、そして空しく、抗った。
 侍女頭は首を振った。
「そんなにきょろきょろ、無闇に目を動かさない。手に取るように気持ちが分かってしまうわ。殿下の名を汚すつもりかしら?あなた」
「………なんですって?」
 あくまで芝居を続ける娘に対し、侍女頭はぐっと顔を寄せた。
「――生半可な真似など、するぐらいならば、一切するなと言うのよ!コマリア・テルンの娘!」
 カロンははっきり青ざめて、左右に目をやり、誰の気配もないことを改めて知ってから、乱れた声で呟いた。
「…な、何を…。――…ああ、侍女頭、どうか…」
「ばれてないと思う方がどうかしてるわ」
 侍女頭は、乱暴に手先の櫛を振り回していた。
「――元乳母の私をだましおおせると思っていたのなら、あの方も、すっかり賢さを失ってしまわれたようね!」
「侍女頭……」
 カロンは情けない顔になって、すがりつかんばりの姿勢で、小さな声で頼み込んだ。
「…殿下のご命令なんです…。…どうか、館へお戻りになられるまで、このままで。でなければ――…」
 侍女頭は鼻をならした。
「ご命令ですって?ええ、そうでしょうね。あの方が、どちらまで行かれて、いつお戻りになられるかも知りはしないでしょうけど、あなたなりに、忠実に務めを果たしたのでしょう」
「侍女頭…」
 侍女頭は、突然乱暴な手つきでカロンの指先をつかみ、無理やり動かした。
「…ぶ、ざ、ま、に、動かさない…!手は白魚のように!」
「――い、痛…っ」
「背筋をのばす!」
「…痛、痛いです、侍女頭…!」
 しかし、侍女頭はけっして許さず、カロンを立ったり座ったりさせ、怒涛のように指示を飛ばした。
「怒った時は、かすかに右眉の先をけいれんさす!考え事をしている時は顎に指先をそっと添える!踏み出す時は右足から。さん、はい!――さあ、やるのよ!」
「あの…」
「ああ、何してるの!…一体、これまで何を見てきたの、あなた!」
 カロンのぎくしゃくした動きにたまりかねたように、侍女頭は声を荒げた。「人には癖というものがあるのよ。普段、どれだけお側に侍っているの。ご様子を一番に見ておかねばならないのは、あなたなのよ。なのに、何?なんだというの?その体たらく!そのみっともない、無様な仕草!似ても似つかぬ他人ぶり。まさか、殿下の癖を知らないとは言わせないわよ!」
「そんな、そんな細かいところまで…」
「――王宮の人々が、相手のどこを一番に見ているのか、あなた知っているの?」
 突然低い声になった彼女に、
「え……」
 カロンは当惑して口を閉ざした。
「顔よ」侍女頭は告げる。「もちろん顔。それから表情の動き、目の動き。それだけで相手の心の動きが、手にとるように分かる。時にはそれを転がさす。それが王宮の人間の、できて当たり前のこと」
「………」
「できて当たり前のことが、まったく一つもできないで、何が腹心か、身代わりか。まったくこの情けのなさ…ため息すら引っ込んでしまう!」
 侍女頭は、冷徹な顔で娘を見下ろした。
「やる気はあるの?」
「私は……。あの、侍女頭。…どうしてそんなこと、教えてくださるんです?」
「――聞こえなかったかしら?やる気は、あるのか、ないのか。どちらか答えなさい」
「………」
 直立不動の姿勢で、無表情に見下ろされて、カロンは黙り込んだ。
 常々、思ってきたことだが……ルイアナのあの厳しい口調は、この、幼い日に彼女を養育した元乳母の影響が少なからずあるはずだ、とカロンは考えた。
「…あります。でも、侍女頭」
「口答えしない」
 ぴしゃりと切り落として、侍女頭は彼女を立たせた。
「背筋を伸ばして、部屋を往復なさい。あちらからこちらまで。殿下になりきってやるのよ。いい?そこらへんの、でくの棒か泥人形みたいにぎこちなく歩いてる、野暮ったい娘じゃあないのよ。優雅で気品をもった、王女殿下のつもりで歩くのよ」
 つまり先ほどまで、自分はでくの棒だったと、とカロンは思い知って、思わず相手を振り返った。
「はい、やりなさい。歩く、はい、歩く。目をきょろきょろさせない。口は、あるかなしかの微笑みを。…そんな腰の引いたお辞儀をする王宮の人間がいる?え、いると思っているの、あなた?…でくの棒はやめろと言ったはずよ!」
 なぜかいつの間にか猛然とした特訓を受けて、しばらくの後には、カロンはへとへとになって、ルイアナの寝間に転がり込んだ。
 侍女頭は侍女も誰もいないことを確認してから、カロンをそこへ座らせ、自身は横に座った。
「思い出したけど、この前言いかけたことね」
 侍女頭は何事もなかったような顔をして、カロンに話しかけた。
「――あなた、ちょっとでしゃばり過ぎなのよ」
 そのものずばりで言われたカロンは、しばらく彫刻のように固まっていた。


 屋敷の女たちの采配を一手に引き受けている侍女頭から、そのようなことを言われるのは、ルイアナの言葉とはまた違う重さでのしかかってきた。
「――…私が……ですか?」
 カロンが、からからに乾いた口で、ようやく返すと、
「だからあなた、引っ込みなさい」
 侍女頭はきっぱりはっきりした口調で告げた。
 きりりと山型に引き絞られた眉を持つ顔で、ぴんと背筋を伸ばし、ただそこに立っているだけで、館の女たちを震え上がらせる女、それが彼女だった。
 今その顔には、言葉と同じようにあっさりした表情しか浮かんでいない。それが余計にカロンに恐怖を感じさせたのだった。
「…ど、どう……引っ込めって…。……私…お暇を…?」
 それは最悪の結果だった。
「そんなこと、殿下がお許しになりはしないわ。厨房でもどこでもいいわ。とにかく、よそへ引っ込んで。殿下のお付きはなし」
 カロンは唖然とした。
 矢継ぎ早に告げられた言葉に、頭が追いつかないのだ。侍女頭は鈍い反応を嫌うように、大きく顔をしかめた。
「なんとか言ったらどうなの。あたしはほんとにでくの棒にでも話してる気分だわ」
「…だって……そんな……」
「何?文句があるなら、はっきり言ったらどうなの」
「そんな……」
 侍女頭は呆れた、と言った。「分からないの?馬鹿ではないと思っていたのに。文句があるなら、嫌だというなら、今が最後のチャンスだから、はっきり言えとあたしは言っているのよ」
「あ……。…い、嫌です…。殿下のお側つきをさせてください…っ!」
 カロンは大声を上げ、侍女頭にすがりついた。
「――お願いします!」
「駄目よ。もう決めたのだから」侍女頭は信じられないことを言った。「あなたは従うしかないの。この館にいる女で、あたしの言うことを聞かなかった人間はいない。いても、いないようにしてきた。分かる?分かったら、お裁縫部屋か厨房か、どれでも好きなところを選びなさい」
「…ひ、ひどい………」
 カロンの声は嗚咽で揺れていた。


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