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「カロン」
 ――三年が経っていた。
 カロンは呼ぶ声に、控えていた部屋の隅から進み出て、己の主を見た。
 絶妙な素晴らしさの取り合わせで、見事に全身を飾り立てたルイアナが待っていた。

 薄く透けた紗(しゃ)の生地を一番上に纏い、肩から腰から額から、金銀の精緻な飾りに、様々な宝玉――紅玉髄(カーネリアン)や、エメラルドなどを垂らして輝かせていた。色鮮やかな生地が幾重も彼女の体を巻いている。

 十五歳の少女にしては、彼女は素晴らしく気品に満ち、成熟した気配を漂わせていた。何も知らない人が出会っても、思わずはっとするような迫力を持っていた。

「乳香(にゅうこう)の香りが、少し薄くないかしら?」
 カロンはルイアナの言葉にうなずくと、急いで係りの者に告げ、部屋で焚きしめている乳香の量を増やさせた。儀式で使うこともある、東方の大変貴重な香だったが、王族のルイアナはいつも惜しげもなく焚いていた。

 ルイアナは満足した様子で寝椅子に座った。
「――もうすぐおじたちがやって来るわ」
 ルイアナは露台を通して見える外を見やり、呟いた。
 カロンはうなずいて、ルイアナの側に立った。
「…少し多めに焚いておきました」
 ルイアナはふっと笑った。
「…駄目よ。彼はこの香りが好きじゃないのよ。神殿や儀式で嗅ぎすぎて嫌なんでしょうね。あんまりやると露骨だわ。……でも、いいわよね、この位だったら」
 密かな、本当に小さなしっぺ返しだったが、ルイアナはわずかに嬉しげに瞳を揺らした。それから手をひらひらさせて何か欲しがった。
 カロンは控えていた侍女から遊戯盤を受け取ると、ルイアナの前の床に置いた。
 ルイアナは絨毯の上に座り込んだ。
「久しぶりに一緒にしましょう」
「はい、殿下」

 カロンとルイアナはしばらく二人で遊戯にふけっていた。ルイアナが続けて二勝したが、その後カロンが勝った。

「いつもあなたは段々強くなるわね。いいわ、庭に出ましょう」
「はい」
 ルイアナは露台に出た。カロンもその脇に控えた。

 風を浴びて、ルイアナはどこか気持ち良さそうに頬に手をやった。まるでそこを通り抜ける風が感じられるように。
「――綺麗な庭になったわね」
「はい、ルイアナ様」
 ルイアナの前には、しっとりした緑をもつ庭が広がっていた。

 彼女は見事に極楽のような庭園を造らせた。
 庭には、歌姫も喉を潰すと言われるほどの美声で鳴く鳥や、極彩色の鳥が飛び交い、幻と言われていた、南国の珍しい花も咲いていた。
 ルイアナは満足げにそれを眺めていた。

「あの庭師たちは素晴らしかったわね。私の領地の灌漑もしてくれたわ。土木技術の抜きん出たところも、水を引くやり方も、キッサリアの技術者にきっと負けていないわ。ああいう設計士にはきっと滅多に出会えないわ。もっと長く留まって欲しかったのに」
「カピトゥーに行ってしまいましたね」
「もっといい給金の仕事があれば、そっちに行ってしまうんでしょう。残念だわ。でもいいわ、庭師を何人も残してくれたから、庭はこのまま完成できるし。彼らには、領地の用水路の工事もまだすると誓ってもらったから」
 庭の話をする時のルイアナは、本当に楽しげだった。

 カロンもその庭をよく歩いた。
 庭の中にはパルム風の建築様式の東屋(あずまや)まであった。おかげで、カロンは今ではパルムという国について、自分がこの国の誰よりも見知っているような錯覚にすら陥っていた。まったく見事な庭だったのだ。

「用水路の工事も頼んだのはね、領民のためでもあるけど、自分のためでもあるのよ。あまり遊興にばかりお金を使っていると、大臣たちがうるさいから」
「勝手に言わせておけばよろしいですよ」
 いつもどおり無責任なカロンの追従(ついしょう)に、ルイアナは首を振った。
「――駄目よ。有用な目的のためにも人を雇っていると思ってもらわないと、彼らはとっても鼻がきくのよ」

 しかし、ルイアナは領民を思ってもいた。
 領主にしては珍しく、貧しい者のための施療院を建てたり、作物の獲れ具合に応じて合理的に税や苦役を増減していた。何か領地内でいさかいがあると熱心にその話を聞き、当事者を館に呼んで直に耳を傾けることもあった。
「でもこれは自分のためよ」
 ルイアナは誇らしげに庭を見下ろした。「誰がなんと言おうと、自分のためだけにしてみせるわ」
「はい」
「そういえば」

 ルイアナは突然振り返って、背後の人の気配のなさを確かめると、カロンに身を寄せた。
「ジョザンスキムが私に直々に苦言を言ってくださったわ。少し庭が華美すぎやしないかって」
「………」

 ジョザンスキムはルイアナの腹違いの弟だった。由緒正しい王子として育てられ、王位継承者として遇されていた。
 今の王には子どもが十五人ほどいたが、由緒ある血統の母親を持つ者は、ルイアナとジョザンスキム、その下の弟フーディーンだけだった。
 この国では、過去に女王もいたが、男女の子がいれば、男が優先して位を継ぐことになっていた。
 それで自然ジョザンスキムが次の国王候補になっていた。フーディーンは体が病弱なことで知られていたので、ルイアナの次に位置づけられていた。
 弟と言えども、母親が違えば他人同然だった。いや、母親が同じでも、そうなることさえあった。ルイアナはジョザンスキムと親しく話をしたことなんてないと話していた。もし、二人が話をするとしても、互いの後ろに連なる臣下たちの心情を思いやっての、非常に政治的な会話だった。
 ジョザンスキム一派が、ルイアナの遊興を咎めだてたとなると、それは穏当な話ではなかった。

「私の庭が、国王陛下であるお父様の庭に近い、華美で豪華な贅を尽くし過ぎたものなのではないかということよ。臣下なら臣下らしく、控えた美しさの庭があるのではないかと言われたの。おかしな話だわ」ルイアナは言った。

 クスイキオンを頂きとした、ここフメールの連合国が栄えているのは、海に開かれた貿易国家だからだった。
 商人たちは王のお墨つきをもらって続々船を出し、ゴメナ、クルメキア、キュリオンなど世界各地を回り、時には王直々の命令と守護を受けて、貴重な交易品を国にもたらした。その働きによって、商人たちは莫大な富を、国と、そして自分たちに運んだ。
 富める者は競って宮殿のような館を建造していた。豪勢な館はフメールでは珍しくなかったし、派手すぎて嫌われるということはなかった。むしろ危険な旅路を踏破して財を成した商人とその財産は、尊敬の念でもって人々から賞賛されることも多かった。

「…それで、なんと仰ったのですか?」カロンが問うと、
「私もそりゃあ非常に恐縮したことよ。それで言ったわ。『確かに仰ることはもっともです。私は世の道徳や規範に背く心は少しも持ち合わせておりません。ですから、すぐに庭を縮め、木を抜き、あでやかな花は枯らしてしまうことでしょう。私にならっていた人々も、すぐに、陛下の民にふさわしく、私がしたように世の習いに従うでしょう』と」
 カロンは笑んだ。

 ルイアナのパルム風の豪華な庭を目にして、あるいはその噂を聞きつけて、さっそくその素晴らしい庭を模倣したものを、既に何人かの豪商が造っていた。
 彼らはルイアナの庭で働いた経験のある庭師を高給で雇い、パルム風の壮麗な庭を、ある者は本元以上の規模で真似た。

 ルイアナが国王の威光を傷つけることを恐れて庭を縮小すれば、彼らもならわねばすまなくなるだろう。
 ある者は恥をかいたと思うかもしれないし、戸惑う人々も出てくるだろう。
 今まで許されていた贅沢を、何故控えねばならないのか?ルイアナ王女さえ控えたとなれば、今まで築かれてきた商人たちの大邸宅も、ひょっとして咎められる種類のものなのか?
 単純な国民の中には、そうした疑問を持つ人々も出てくるだろう。そういう風潮が巻き起こるのではないのかとほのめかしたのだ。

「太子はなんとお答えになられたのですか?」
「優等生の弟らしい回答だったわ。にっこり笑ってこう言うのよ。『もちろん木を引き抜けだなんて、そんな残酷なことは私も申しません。ですが、きっと、これ以上の拡張はお止めになってくださるでしょうね?姉上』。そうまで言われたら、私もこれ以上の工事はできないわ」
「まことに残念でございますね」
「いいのよ。基礎はほとんど完成してたから」

 カロンはうなずいて、改めて庭を眺めた。庭園をさらに囲い、その遠くまで広がる敷地の端に、今人馬の群れが入って来ようとしていた。

「……おいでになられたようでございますね」
「予定通りだわ。定刻に来るなんて嫌味な連中ね」
 ルイアナの口調は冷ややかだった。彼女はじっと傍らの侍女を見た。
「…どうかしら。今日も挑戦してみる?」
「え。今ですか」
 カロンは思わず強張った声を出した。
「…時間がありません」
「いいわよ。あそこからここまで、たっぷり半刻(一時間)はかかるわ。その間に着替えておしまいなさい」
「……あの、でも」
「どれぐらい騙しとおせるかしら」
「………」
 しょせん自分に拒否権なんてないのだ。カロンは重たいため息を吐き出した。
「仰せのままに。すぐに支度いたします」
「そうね。でも焦らず、ゆっくりね」
 ルイアナは元通り露台から庭へ顔を向けた。
 カロンは渋々奥へ向かった。



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