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「――…あんまり乗ってこなかったわね」
 帰りの輿の中でルイアナが呟いたので、カロンは聞き返した。
「何ですか?」
「あのクィルネレスよ」
 ルイアナはカロンを振り返った。
「怒らせて反応を見ようと思ったのに、そこまでいかなかったわ。…周りの人が止めなかったら、もう少し揺すってみたかったのに。残念だわ」
「…まったく、ザンメルクさまも何をお考えなのでしょうか」
 カロンは思わず眉をしかめて呟いていた。
「アジオン市の長の息子だなんて…引き合わせられても困りますし、何も殿下にお会いするよう仕向けられなくても…」
「そうねえ…」
 ルイアナは景色を見ながら呟いた。「彼が望んでいたことは分かるような気もするけど…」


「私にすら事前にお知らせくださらないとは、一体どういうことです」
 ――残された後、マラダームは怒りの色を見せて問いつめた。
 しかしそれに対し、ザンメルクの答えはそっけなかった。
「…まあ、いいじゃないか。…殿下にお知らせしなかったのは私の故意だが、君にもクィルネレス殿を紹介しておかなかったのは、ただの私のうっかりだがな」
「なんですって?うっかり?そんなことがありますか!」
 さらに怒ったらしいマラダームだったが、ザンメルクは変わらずひょうひょうとしている。
「偏見なしに初対面をすませられるのであれば、よかったのだ」
 ザンメルクは言った。
「お互いに微妙な立場に置かれた者同士。できれば、前情報なしでお互いの印象を持ってほしかった。…あのウノッポス国の王子は予想外だったがね」
「私も驚きました。…今日の奇妙な接触が、ジョザンスキムらに伝わらないといいのですが」
 少し深刻な顔をしている弟子に対して、ザンメルクは意外そうな顔をする。
「なぜだ?後ろ暗いところはあるまい」
「こちらに後ろ暗いところがあろうがなかろうが、先方が構いますか?口実を求めてやまない連中に、かっこうの餌を投げつけたかもしれません。…アジオン市は我々王都にとって目の上のたんこぶ、敵です。親しくしていたという噂が流れないようにしないと…」
「それはどうかな」
 ザンメルクは言った。
「私が王宮の動向を見るに、都はアジオン市を懐柔したがっている。敵対的に突き放すより、懐にもう一度取り込みたいと願って、近寄ろうとしている向きさえあるのだ。ここでルイアナ殿下が、アジオン市の次期長候補と親しくなったところで、友好の礎を築くのに一役買っただけの話におさまるだろう」
「そううまくいきますか」
 マラダームは不服そうな顔をした。
「ジョザンスキムたちがどう反応するか――…」
「もし仮に彼らが、、アジオン市の者と王女殿下が親しみ、密かに通じているとの噂を流して大騒ぎすれば、せっかく王宮や王陛下がとっていた親アジオンの路線が崩れるおそれがある。そうなれば。ご不興を買うのはジョザンスキムたちだ。連中も今はやらんよ。今は、な」
 ザンメルクは茶目っけのある微笑みすら見せたが、マラダームの不満はまだ解消されなかった。

「…しかし……。…第一、あのアジオンの長の息子というのも、友好的なのはあなたに対してだけだった。我々やルイアナさまに対しては、警戒心の塊だったではないですか。あれで今後友好的な仲に発展できますか?」
 ザンメルクは初めてかげりのある顔を見せた。
「…クィルネレスとて、私の望みが分からなかったわけではあるまいが…積極的に王女と親しもうとしてくれなかったのは、私の計算違いという他ない。どちらも理論を好み、やや好戦的なところは通じるし、相性がいいと思ったが…」
 マラダームはため息をついた。
「…殿下も殿下ですよ…。あれがあの方のやり方の一つなのでしょうが、もう少し親しみを見せてもよかった」
「お互いに、相手を引き出そうと揺さぶるばかりで、ちっとも前に出なかったな。つまらん」
 師の淡白な呟きにマラダームはあきれた。
「まったくなんて勝手な…。…しかし、あのウノッポスの王子。初めてお会いしましたが、あれは好感がもてますね。穏やかで人当たりのいい態度で、外向的だ。どういう人物と見ました?」
「うぅーむ、分からん」
 ザンメルクは問いに首を振った。
「…いまいちそつのない王子だな。ひとかどの人物かどうかは、まだ分からん。…まあ、敵でなければよしとするか、というところだな」
「なんとも投げたお答えですね」

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…マラダームがあきれている頃、メネト市の一角では、並んで歩く友人二人が今日の感想を交わしていた。

「――しかし、本当に驚きだな。まさか俺がいない間に、王女と親しくなっているとは」
 クィネレスがからかうように言うと、
「だから偶然だ。何度も言わさないでくれ」
 サリムは少し怒って横の友人をにらんだ。
「…それより、今日はとんだ恥をかいたぞ。ザンメルク殿の家には約束より大分遅れて着いたし、到着したらしたで、王女殿下と剣呑な空気をつくってくれるんだからな」
「やや遅いくらいがちょうどいいのさ。このあたりではな。それに、突っかかってきたのはむしろあちらに思えたがな」

 サリムは道を行き交う人々を眺めながら、そこへ立ち止まった。
「…どう思う?あの王女殿下は」
「ん?」
 クィルネレスは友を見た。
「さあな…。だが、ザンメルク殿がせっかくお心遣いいただいたのに、友好的な関係にはなれそうもない。王女のあの調子では。かなり気の強い性格と見た」
 少し迷った顔をした後で、サリムがつけ加える。
「…それに、聡明な方だ」
「ああ、そうだな。だが聡いだけかもしれん。すぐ突っかかるのは得策とは言えん。あれでこちらの出方を見ようとしたかったのだとして、賢いやり方ではないな」
「…お顔立ちはどうだ?」
 サリムはじっと友人を見つめて言った。
「――…やはり王女殿下とあって、さすが、気品にあふれて、美しいたたずまいだったと思うが」
 クィルネレスはやや眉根を寄せた。
「うん…?まあ、王女ならばそれもさもありなん、というところか。しかし、ジョザンスキムは話でしか知らないが、どちらも王の器には届かないんじゃないか。まだまだだな。いかんせん、彼らは若過ぎる」
「そう、お若いのに芯のしっかりした女性だ。清廉なまなざしも美しい…」
 ぼんやりしたサリムの言葉に、クィルネレスは初めて異常を感じとった。
「……おい、どうした?」
 彼は相手の肩をつかみ、友人の目を覗きこんだ。
「…まさか、麗しいご婦人だなどと思っているんじゃないよな?」
「まさか。不遜だ、彼女はトパス王の第一王女なんだぞ」
 クィルネレスは一瞬あっけにとられたような顔をした。
「…まさか、本気か?偶然の再会を果たしたからって、すなわち運命的恋愛になるとでも?のぼせあがっていないか、サリム」

 サリムは黙って友人を振り払い、怒ったような背中で歩き出した。
 クィルネレスはその背を追いかけた。
「――待て。亡命中にふざけた冗談はよせ。今お前は、運命気取りの恋に酔っている暇があるか?…第一、ああいう気の強いだけの扱いのむずかしそうな王族の娘に夢中になって、お前の貴重な時間を浪費するなど…」
 サリムは怒ったように振り向いた。
「君は皮肉屋だ。それは知っている。だが、今日だけはその皮肉…いや、侮辱の言葉は許さない」
 彼は強いまなざしで言った。
「彼女は俺がこれまでに出会った、他の誰より振る舞いが上品で、可憐で、たおやかな美しい女性だった。聡明さは君も納得したとおりだ。ああいう人に、また出会えるということがあるだろうか」

 クィルネレスは雷に打たれたような様子で、しばらくそこに突っ立っていた。
「…おい、まさかサリム…。――やめておけ」
 彼はやや必死な顔になって、友人の肩をつかんだ。
「…ルイアナ王女はお前が思っているより微妙な、弱い立場だ。お前が夫になったところで、助けになるどころか足を引っ張られるだけだぞ。どうせなら有力な国の娘の婿になって、盤石な地位を築け」
 サリムはそこで突然上を向いた。
「何だ?」
 クィルネレスは身構えた。
「…ああ、ルイアナ王女か…」
 呟いた後で、サリムは来た道を振り返った。
「…お名前まで麗しいと、そう思わないか、キール?」

 クィルネレスはぽかんとした顔をしていた後、その顔を手で覆った。

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「……でも、ルイアナさま…」
 狭い輿の中で揺られながら、カロンは横に向かって言った。
「――あのサリヌアーク王子さまというのは、とても感じのいい方でしたね」
 ルイアナにしては珍しく、応答に一拍間があった。
「そうね」
「気配りのお上手な殿方に見受けられましたよ。…横の…なんですか、ご友人のクィルメネス殿は、ちょっとふてぶてしいお感じがありましたけど、私、サリヌアーク殿はとても頼もしいお方じゃないのかと思うんです」
「そうね、さり気ないお優しさというものがあったと思うわ」
 今度はルイアナも即座にうなずいた。
「次回お話する時には、もっと時間をとって仲良くお話できるとよろしいですね、ルイアナさま」
「そうね…」
 はずんだカロンの言葉に対し、ルイアナの答えはやや沈んでいる。
 カロンが首を傾げていると、
「…今日の私のやりようは、あの方にどういう印象を抱かせてしまったのかしら。うるさい小娘?口の減らない高慢な王族の人間とか…そういう風に思われていないかしら…」
 いつもなら、むしろそう思われるとことを喜んで受け入れているルイアナの言葉に、カロンはびっくりしてその手を握った。
「まあ、ルイアナさま!…大丈夫ですよ。あんなに感じのいい、お優しそうな方でしたもの。きっといい風にとらえてくださってます。…私、事前にお聞きかせいただいていたより、何倍も人の好くお人柄で、本当に今日は尊敬してやまないほどでした。あんな方が、そんな風に悪くお思いになるなんて…」
「ちょっと待って。…私が聞かせていたより?私は十二分にあの方の魅力を伝えておいたはずよ。分かっていたでしょう?カロン」
 たちまち反発した主人に、カロンはやや背を引いた。
「は、はい。それはもう」
 ルイアナは息を抜いて、そこで微笑んだ。
「…こんな風にころころ戸惑って、私、馬鹿みたいだわね」
「そんなこと…」
 しかし、ルイアナは外の方に顔を向けて、もうこちらを見ていなかった。
「――でも、あの方に今日また出会えて、私本当にうれしかったの」
 カロンは黙って、そのほんのり柔らかなルイアナの顔と言葉を見つめ、しみじみ感じ入った。


 しばらくしてルイアナは言った。
「…さ、そろそろ降りてちょうだい。もしかしたら、侍女頭が玄関で迎えに来ているかもしれないわ。ここにあなたが一緒にいていいはずがないもの」
 カロンは慌てて腰を浮かせた。
「待って、今輿を止めさせるわ。――カロン、久しぶりに会えてよかったわ。またおしゃべりできるといいわね」
 微笑んで言ったルイアナを見つめ、カロンは胸がいっぱいになりながら答えた。
「…はい!また喜んでお伴します」
 
 そして降り立ち、輿がだいぶ先に進んでしまうまで見送りながら、カロンは深呼吸し、改めて気を引き締めた。
(侍女に戻れたわけじゃないけど、でも今日は十分。これでまた頑張ってみせるわ)
 カロンは後ろに歩いてついて行きながら、力強く心の中でうなずいた。



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